容赦なく肌に突き刺す酷暑の日々。


あまりの暑さに外出する気にもならぬ。


今なら信じられないことだが、わたくしの学生時代は、家庭はもちろんのこと、学校の教室にもエアコンなるものはなかった。そんなもの必要なかったのだ。


熱中症になる人も少なかった。当時は日射病と言っていたが。


地球温暖化が叫ばれる遥か前のあの時代、扇風機と通気のための窓全開で事足りた。それで暑苦しいと感じた記憶はない。


ふと、幼少期の頃、扇風機を回しながら、ちゃぶ台で冷えたスイカにかぶりつく姿を、セピア色になって思い出す。


で、今のわたくしは、ギンギンに冷えたビールで満たされたプールがあったら、すぐにでも飛び込みたい。飛び込みたい。飛び込みたい。





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2019年11月訪台時の未公開写真の続き。


友人の弟が経営する台中市南屯區の日式カレー店へ訪れたときのもの。


疫病の気配すらなかったあの頃が、ただただ懐かしい。懐かしい。








繁忙時間を過ぎた午後2時にお邪魔した。 


右側の赤帽を被った方が友人のお母さん。


お母さんへ我々一行が腹ペコであることを告げる。

他人から見れば「台湾に来てまでカレーを食べるなんて」と思う人がいるかもしれないが、わたくしは、そんな偏狭なこだわりはない。

左から、ほうれん草カレーと唐揚げカレー。


盛りが日本の1.5倍はあるが、これで普通盛り。


日本のように、こじんまりとした上品な盛りつけだったら大食漢の台湾人は満足しない。


懐かしさを感じる幼い頃に食べた母の作るマイルドなカレーを思い出す。


台湾における日本式カレーの歴代は長く、日本統治時代の1920年代には食堂で提供されていたという。 


日本の技術により改良された台湾米との相性が良いのもカレーが普及した要因のひとつだと思う。


御多分に洩れず、当店も名の通り日本のカレーを踏襲。


思いっきり腹が満たされ、大満足の味とボリューム。


ごちそうさまでした。


次回台中へ行ったら、また食べに行きたいのだが•••


防疫の優等生だった台湾だが、最近は疫情厳しく、次にいつ訪台できるか先が読めず悶々とする日々が続く。


この店でカレーを食べていた当時は、そんなことつゆ知らず、近いうちまた店に寄るとお母さんに話したのを覚えているが、あれから2年半以上も経過した。


果たして今年は行けるだろうか?•••



利家日式咖哩專門店


台中市南屯區文心南五路一段321-8號




玄遠


「なだらかに遠い」という意味だが「台湾は、日本と海を隔てて、遠い島だな〜」と疫病流行後感ずるようになった。


台湾ばかりではない。国内の北海道や沖縄に対してもそう感じている。


疫病は、わたくしから地理感や距離感をも奪おうとしていた。


台湾での日本探しの旅は中断したままだ。この現況下では再開はまだまだ先のことになるだろう。