瑞鳳殿(ずいほうでん)


仙台藩祖伊達政宗公の遺命により1637年造営された霊廟。


先の大戦により消失。昭和54(1979)年再建。


戦禍を免れた石造りの階段。











写真では瑞鳳殿本来の美しさは出ない。伝えることが難しい。


伊達者、伊達男の由来は、政宗公だといわれる。

その名に相応しく煌びやかさを感じるには直接観に来ることが一番である。













戊辰戦争による仙台藩士戦死者慰霊碑


戦死した藩士は1260名。


幕府側の多士済々な若者が命を落とし、心情的にわたくしは幕府派である。


民間人を含む最多3107名の戦死者を出した会津藩の福島は、さらにその傾向が根強く、同情の念を禁じ得ない。


今回戊辰戦争について、とうとうと述べる処ではないので、詳細を記すのは改めて他の機会に譲りたい。




おお、政宗公見参!

イケメン政宗公とスリーショット。まさに伊達男!

この一枚は、瑞鳳殿入場時、伊達武将隊に出迎えていただいたもので、その時のひとコマ。

現代の政宗公は、顔が小さいこと小さいこと!わたくしの約半分しかない。 


んん、自分の顔の大きさがより強調される。


4年前五輪連覇を祝し、仙台凱旋パレードで見た羽生結弦選手もまことに顔が小さかったが。


で、武将隊に、かみさんが台湾人であることを伝えると、政宗公は開口一番、閩南語で多謝(ドーシャ)を連呼し、かみさんをいたく感激させていた。


続けて政宗公は、遠征で何度も台湾へ行っておるのじゃと語っていた。


おそらく400年前当時の政宗公も実際このような話し方をしていただろう。


幕府中央や全国の諸大名との意思疎通をはかるため、まかり間違っても、わたくしのような仙台弁丸出しではなかったはず。


ほんのひと時であったが、地元のヒーローに出会えて喜びもひとしおであった。


伊達武将隊の皆様、多謝〜