昨日14時46分、沿岸部方向へ正対し、東日本大震災の犠牲者へ1分間の黙祷を捧げた。


早いもので、あの日から11年が経過した。


が、いくら歳月が流れても、まるで昨日の出来事のように感じるのは、わたくしだけではないはず。


仙台空港から見える沿岸の松林は、震災以降禿げた砂地のままで、11年前のあの日からまったく変わっていない。時がストップしたままだ。



震災当初の数日間、通信手段が絶たれ、また、ガレキにより交通が遮断、入ってくる情報が限られており、被害の全容がまったくわからなかった。


全容が明らかになったのは、だいぶ先のことである。


自身の家族や親戚は無事だったが、高校の一学年下の後輩、元上司、元上司の家族、合わせて5人の知り合いが津波の犠牲になった。


未だ遺体が見つからない知人もいる。


目標や夢半ばで想いを残し、無念のまま亡くなった人もいるだろう。


生きている家族にも会いたかっただろう。


毎年この日、この時間の黙祷中、犠牲者皆の在りし日の顔が浮かんでくる。皆笑顔だ。


こうして犠牲者一人ひとりを思い出すことが最大の供養になると思う。


あなた方を決して忘れはしない。


合掌