今回のブログは、まとまりのない雑感。




副反応の数々


わたくし、すでに2回目のワクチン接種を終えているが、改めて現れた数々の副反応を記したい。


1回目は、打った右腕(左利きのため)が上がらなかった程度だった。


2回目は、接種当日の夜から頭痛、発熱、寒気、関節痛、食欲不振、極度の倦怠感と、まるで風邪に似た症状に襲われ、丸2日間寝込んでいた。


正確には体力が回復するまで3日間要した。


いやはや、これも全身に抗体が形成されつつある証だと思い、快くこの副反応を受け入れた。


次期訪れる3度目の、いわゆるブースター接種でもおそらく同様の反応が出るだろう。




台湾と少なからず縁がある岸田さん。


岸田内閣が始動したが、以下の理由により台湾でも岸田さんへの関心が高い。


曽祖父が1895年(明治28年)基隆にて呉服店と喫茶店を開業。


なんと、その建物は市の重要文化財の指定を受け現存され、今は書店及び食堂として使われている現役の建物。


台湾メディアが撮影した写真を見たが、明治のモダン建築を思わせる洋館風の佇まいで存在感がある。


今後観光名所になる可能性が高いと思う。


武漢ウイルスが収束したら、わたくしも行くかもしれない。


んん、わたくしのことだから、きっと行くだろう。





武漢ウイルスと言えば、長い長〜い第5波がようやく下火になった。


その間、元々日程に組み込まれる予定であった靖国神社参拝、夏祭り、秋祭り、20数台のオートバイツーリング、国内旅行、台湾訪問、芋煮会···その他諸々の行事。


上述のそれらは疫情厳しく、昨年に続き今年の夏秋も中止に追い込まれた。


また、大変お世話になっている地元親戚への訪問もままならなかった。


疫情前の何気ない日常が、ただただ懐かしい。


この冬にも第6波襲来が懸念され、絶え間なく変異する武漢ウイルスの脅威に、果たして人類はいつ勝利宣言できるのか?




しかしながら、この疫情禍は何もマイナスなことばかりではなかった。


県越えどころか、市越えさえも憚れたため、地元仙台を見直すいい機会になったのは確かだ。


市内の神社仏閣、歴史的名所、老舗を訪れ、新たな発見をし、制限がある中にも自由を楽しんだ。


ゆえに今後、当ブログは地元関連記事をさらに充実させたい。






武漢ウイルスの影響により2年半台湾へ行っていない。


次に訪台したら、いの一番に現地の日本語世代に会いたい。


20年くらい前まではボロボロになった帝国陸軍帽を被った元日本兵のおじいさんたちを散見したものだが、歳月の経過とともに年々見かけるのは稀になってきた。


彼らは皆90代以上だ。彼らから話を聞けるのは今しかない。





日本将兵亡霊の目撃談続編


台中の某駐屯地において500名に及ぶ日本将兵の亡霊を目の当たりにした義弟。


その目撃談続編を記すべく、早く義弟と再会し聞き取りしたいところだ。


義弟の語りに、強烈な衝撃を受け、鳥肌を立てながら聞いていたのを今でも鮮明に覚えている。


次回、義弟自身も話すのを心待ちにしているはずだ。




元国府兵のおじいさん


現在98歳。本省人から習ったという日本語が話せる元国府兵のおじいさんにも再会したい。




馬祖島へ


中共大陸に隣接するも、台湾が実効支配する馬祖島。この島には先人の足跡はないと思うが、一度は上陸したい。


(同じく中共大陸に隣接する金門島は上陸済み)




しばらく中断していた日本人軍事顧問団「白團」の研究も再開させたい。




やりたいことが多すぎる!


体一つだけでは足りない。叶うなら自分の分身を数名ほしいところだ。




結局ところ、わたくしは台湾で日本探しをしているのである。


未開の地台湾をゼロからインフラ整備し、日本本土以上の機能、好環境に作り上げようとしていた先人たち。


わたくしは、知らず知らずのうちに彼らが残した足跡をたどっているのである。


さて、いつになったら「台湾での日本探し」を再開できるのやら⋯⋯



願いを込めて··· 待ってろよ、台湾。