今回の記事は、当ブログとしては久々の長文となりましたが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。
台中の義弟は大学卒業後2年間の兵役に就いた。
(亡き義父は職業軍人であり、定年退官まで軍務を全う)
その2年間の兵役中、台中の某駐屯地で起きた数々の怪奇な現象を記す。
記事にするにあたり、義弟には何度も電話を入れ、聞き取り作業を繰り返し、正確を期した。
話を聞いて背筋が凍る思いと同時に、先人の亡霊に、深い悲しみと哀れみを感じずにはいられなかった。
500名もの亡霊
夜間の非常呼集時のできごと。
そこには、本来いるはずもない別部隊がすでに整列していた。
彼らの顔を見ると、なんと目がない。
日除け用の縁が長い、特徴のある軍帽を被っていたことから、旧帝国陸軍兵だとすぐわかったという。
しかも500名もの隊列。
※前列の横隊と縦隊の数を見れば、総員数が導き出される。
日本語が話せない部隊長は、戸惑いながら咄嗟に至極簡単な英語で「Please Please !」と彼らに声掛けしながら衛門の方向へ指先を差し、
亡霊部隊をここからお引き取り願いたかったが、通じるわけもない。
また、ある深夜に営庭(駐屯地内の広大なグラウンド)を行軍している、やはり500名もの亡霊となって現れた旧帝国陸軍兵を目の当たりにする。
夜間とはいえ、駐屯地内は保安のため所々灯りが点いているので存在がわかる。
こうして夜な夜な現れていた。
無音の足音
亡霊だからだろうか、意外にも行軍しているのに彼らの足音は聴こえなかったという。
元々この駐屯地は、日本統治時代、帝国陸軍が設営したもの。
台湾における他の政府機関もそうだが、戦後国民党は日本統治時代の施設を接収し、フル活用。
大陸の紫禁城から持ち出した貴重な文物と莫大な金銀財宝、そして接収した日本の資産。
これらを背景に、潤沢な資金を有する国民党は今以て世界一の金持ち政党である。
少々脱稿したので、ここから本テーマに戻る。
義弟の目撃談はさらに続く。
麻雀観戦
夜間の坑道(戦備防空壕)警衛中、隊員たちは無聊を慰めるため麻雀に興じていた時のこと。
•••誰かが後ろから覗き込む気配を感じる。
ふと、後方を振り向くと、亡霊となった旧帝国陸軍兵が麻雀観戦しているではないか。
これまで楽しく麻雀に興じていた上官は、恐ろしくなり「私は、これから仮眠をとってくる」と言ってその場から出て行ってしまった。
おそらく、亡霊の彼らも生前は同じく麻雀に興じ楽しんでいたことだろう。
それにしても警衛中に麻雀とは、なんとも長閑である。今ではやっていないと思うが。
不慮の死
副連隊長が隊舎にて連隊長の拳銃を借用して外観の手入れをしていたときのこと。
その日、連隊長が休暇を取っていたため、代理で副連隊長が任に着いていた。
手入れを終え、最後に引き金を引き、空撃ちの動作をした。
本来なら、ここでカチャッという音で撃針が叩かれ、空撃ちが終わる。
ところが、入っているはずがない実弾が発射され、部屋中に跳弾した銃弾は、副連隊長の頭部に直撃した⋯即死である。
もし、外観だけではなく、分解手入れまで及んでいれば、弾倉内または薬室内の実包に気付き、事故は未然に防げたのだが。
しかしながら、銃は普段厳重に武器庫に保管されており、保管する際、銃に異常がないか使用者はもちろん、武器庫担当官によって必ずダブルチェック体制の安全点検が行われる。
よって、この副連隊長が武器庫から拳銃を持ち出した際、実弾が装填されていたとは考えられない。あり得ない。
わたくし自身、高校時代ライフル射撃部に属し、3年間の競技生活において自衛隊体育学校出や警察のピストル選手たちとの交流があったが、
後にも先にもこのような事故事案は聞いたことがない。
事故が起きた駐屯地内が騒然としたのは言うまでもない。
不在となった連隊長と副連隊長のポストは、急遽別部隊から埋め合わせ、頭数を揃えた。
判決は無期刑に
死亡した副連隊長に最期まで側にいた担当先任長。そして直属の上司である連隊長は軍法会議にかけられ、
国防部は、事の責任は重大であるとし、2人に対し無期刑を科せた。
この暴発事故死と亡霊との因果関係はないだろうが、なんとも摩訶不思議な事案である。
事故死した副連隊長はもちろんのこと、担当先任長と連隊長が気の毒でならない。その後の彼らの末路が気になる。
迷宮入り
さて、焦点の「実弾がどこから来たのか?!」は、いくら分析しても思い当たる節がなく、隊員の間では真相不明の迷宮入りになったという。
和服姿の霊
当時駐屯地には週一回芸能人が慰問に訪れ、演奏会や演芸会が開かれていた。
その日義弟が兵舎の廊下で、和服姿の若い女性2人がトイレへ向かうのを目にする。
義弟は、てっきり慰問団の人たちだと思った。
軍隊。そこは男所帯。若い女性が現れたことから、興味本位もあって先輩兵と共にトイレ前の廊下で待つことにした。
待つも待つも和服姿の若い女性2人組は一向に出て来ない。不穏な気がした。
そこで義弟らは、意を決して中に入った。
トイレへ向かったのは2人だったのに、なぜか一つの扉だけが閉じてある。扉は中からロックしてある。
確認のためノックするも、返答なしの無反応。中にいるはずなのだが•••
不思議に想い、不謹慎ではあるが先輩兵が上から覗き込む。
が、誰もいない!
そこには、木製の下駄2足、つまり2人分の下駄が置いてあるだけだった。
それを目の当たりにした義弟らは、ゾッとした。
下駄は先輩兵により片付けられたが、その後どうなったかは定かではない。
今も保管してあるのなら見てみたいものだが。•••いや、やめておこう。
日本統治時代、当駐屯地には軍とその関係者が最多で3000名、大戦末期には1000名ほど常駐していたという。
大戦終了時、駐屯地では日本の敗戦を受け入れ難く、悲観した人たちが集団自決したことが言い伝えられており、その中には民間人も含まれていたという。
成仏できず、夜な夜な亡霊となって現れる彼ら。
義弟によると、今も変わらず亡霊が出現しているだろうと語る。
彼らが成仏できるのは、実現できないだろうが、日本政府の高官クラスがここへ訪れ、直接彼らに敗戦の意を伝えることだと思う。
当駐屯地に着任した者は、ここで目撃した亡霊のことを軍機密ではないが、信じてもらえない、バカにされるのではないかという理由で口外したがらない。
義弟が今回こうして当事者以外の者に話すのは初めてだという。これまで家族にも話すことがなかった。
わたくしが、台湾で「日本探し」をしているものだから、それに突き動かされる形で義弟は自身兵役中に経験したことを堰を切ったように話し出した。
最近知ったことだが、驚くことに義弟が駐屯地で目撃した霊現象の事案は、他にも多数あった。
その続編をUPするのは、また別の機会に譲りたい。
鎮魂のラッパ吹奏
未だ台中の駐屯地をさまよう皇軍及び民間人を含めた先人の御霊に、鎮魂を込めてラッパ吹奏「国の鎮め」を捧げたい。
○中央のラッパ手が吉川さん
吉村さんには、今回ブログへの動画使用を快諾していただき、また、吉川さんに橋渡しをしていただいた茨城在住の関本さんに、
この場を借りてお二方のご厚意に、心より感謝申し上げます。多謝〜
祖国へ帰還を果たせず、台湾に留まる先人の御霊に、上述のラッパ吹奏「国の鎮め」が届くことを祈る。
合掌