新北市永和區博愛街7號
楊三郎美術館
台湾美術界の大家、画家の楊三郎(1907~1995) は、小学校時の通学途中、文具店に飾ってある日本画の油絵に強い関心を持ち、将来画家になり、絵で生計を立てることを決意する。
他の美術館と同様、当館も撮影禁止。ただ、美術館隣の三郎のアトリエは撮影可で、そこには畳の間があり、日本時代の面影が残っている。
日本統治時代、日本へ美術留学。まず京都府立美術工芸学校で学んだのち、関西美術学院で学ぶ。父親の勧めにより、留学中も毎年台湾美術展へ出展し4年連続入選を果たす。
日本留学を終え台湾へ戻った三郎は、5年連続美術展入選を目指すも、意外にも落選。失意の三郎であったが、そこから奮起し、これまでとは異なった画法を学ぶためフランスへ留学。
リベンジ果たす
あの時の雪辱を胸に、次は留学中のフランスで美術展に出展し、見事入選を果たす。帰国後、画家仲間と共に台湾美術協会を立ち上げ、台湾新美術運動を展開。
アトリエでは三郎の絵が一部見られる。三郎の作品群は、台湾本土の風景画が多いのが特長。
二二八事件(1947年2月28日)に端を発する外省人・国民党政府による台湾人弾圧。犠牲者は、2万とも3万とも言われ、正確な数は掴めておらず、今尚調査が続けられている。
知識人を弾圧の対象
日本留学、フランス留学の経験がある三郎は、国民党政府から目をつけられ、何度も国府兵に捕まり、連行されるも、その都度奥様の機転により難を逃れている。
あっぱれな奥様
国府兵は2度も家宅捜索で三郎を捕まえに来たが、この時奥様は当時珍しい外国産の桃の缶詰を手に取り、兵に食べさせてあげると、それに満足した兵は退散した。当時の国府兵は飢えていたのだ。
3度目は、ある時三郎が街を歩いているところを国府兵に捕まる。奥様は勇敢にも軍へ出向き、なんと賄賂として机2つに大量のウヰスキーを並べ、三郎は即釈放された。
ウヰスキーは、これまた台湾では当時大変貴重で高価な品物だったという。奥様は国府兵が欲しているものがわかっていたのである。
現在館長を務めるのは子息の星郎さん。お母様が生前星郎さんに語った「美術館は絶対に存続させよ」の遺言を守り、老朽化した美術館を、莫大な費用と歳月を費やし、2015年修復を終え再オープンした。
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豪華な日本式弁当
館長•星郎さんの奥様の名は「のりこ」さん。そう、日本人である。日本式弁当を提供しているのは、そのためであろうか。














