明治からの音楽教育の欠落部分が、昭和世代にも大きな影響が今に残る | アカデミー主宰のブログ

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 会津磐梯山は明治以来の日本の政治の状況ばかりでなく、音楽教育の欠落の部分も、しっかりと見据えているような気がします。


 今日は午後から一件のアコーディオンレッスンがありました。毎回意欲的に取り組んでいますが、今回もかなり十分に練習してきたのか、かなり上達したと思いました。

 アコーディオンの演奏方法や、平均律の仕組みが大体わかってきたような感じで、納得していました。


 ずいぶんいろいろ音楽について理解してきたなぁと、

その成長ぶりを納得しながら感じていました。

  

 とにかく音楽の学習は、歌を覚えるのは耳覚えで良いのだけれど、楽器を弾くとなったら、音階をきちんと覚えること、ソルフェージュをちゃんとやること以外はありません。


 日本の音楽教育の中で、この音楽の仕組みを理解する平均律の学習の部分だけが、日本国民の中に明治以来の伝統として欠落しているのです。


 特に昭和生まれの方々も、音楽の学習の仕方がわからないので、歌を覚えるのは、耳覚え以外にはないって言う方がほとんどなのです。


 歌を歌えればそれでもう充分だと思ってる人は、それで良いのですが、本当に音楽の内容を理解するとなったら、平均律を学ばなければならないのですが、この部分が日本の明治以来の音楽教育には欠落してるのです。


 それ故、昭和時代に生まれた人は、楽譜を読むことができる人はほとんどいなく、読めてもハ長調の読みしかできないと言うことが、ほぼ9割以上だと言う現実があるわけです。


 このような状況を何とか変革して、人々に音楽の理論や仕組みを理解してもらうためには、やはり音楽教育の制度がきちんと変わる必要があるのでしょうが、今の学校教育でもそのことを教える事はありません。


 それらは、歴史としての明治維新の検証を通して、明治時代からの教育の検証を通して、次の時代にその本当の改革が引き継がれるものなのかもしれません。


 それでも、そのことを少しでもアコーディオンのレッスン生がわかってきただけでも、素晴らしいことだと思いました。ある意味でこれが本当の音楽的な成長なのかもしれないと思いました。


 やはり楽器の練習を通してしか、音楽の仕組みを理解することができないのかもしれません。平均律の学習は本当の意味での音楽学習の変革をもたらすものかもしれません。