いよいよ今日午前に退院することになりました。長かった闘病の日も、あっという間で懐かしい感じさえしてきます。お世話になった主治医の先生はじめスタッフのみなさん、病室のたくさんの仲間たち、この2週間の間、闘病と言う経験を通して、様々なことを学ばせていただきました。本当にありがとうございました。
主治医の先生には感謝してもしきれない感じもします。スタッフの皆様も本当に丁寧によくやっていただきました。
私もこれから病院から、新たな船出をしていきます。
レッスン生の皆様を始め、音楽を愛するたくさんの仲間たち、これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとう、さよなら、主治医の先生一病院の全ての皆さん、14日間の一緒に過ごした日々を、生涯忘れないで心に刻んでいきたいと思いました。
緑なす 朝の光の 清しさよ
病の床から 新たな船出に
退院記念、「今後の創作活動の展開について」
創作活動については、自分のライフワークとして青春時代から取り組んできていました。
数限りなく作ったような気もしますが、原稿が残っているものだけをまとめて、 2000年に自分のオリジナル作品だけを集めた作品集を出版いたしました。
その本の中には、見つかった作品だけで156曲を収めてあります。世の中への演奏発表済の曲はその中の数曲にとどまっておりますが、その中には1972年の全国大会で発表した「青春」も入っています。
2000年以降もこの20年間、様々な状況の中で作品を作り続けてきましたが、はっきりって目的意識的な創作活動は行ってこなかったような気がします。おのずから作品数が少ないのですが、震災の頃に創作した震災復興の作品などを含めて、今まで数十曲の作品が残っています。
このたび6月の末に行った研修視察旅行を契機として、新たな作品を2曲創作いたしましたが、これからは創作活動にも本腰を置きながら、取り組んでいきたいと考えるようになりました。
今まであまりにも忙しくて、創作活動のことなど考えられなかったのですが、今回入院していろいろ考えたあげく、創作活動はとても重要であると考えるようになりました。
これまで2000年以降に創作した作品について、思い出しながら、題名のみを記入していきたいと思いました。
ここに思いつくまま、順不同で列挙していきたいと思います。思い出せないものもあるかもしれませんが、思いつくものだけを記入いたします。
2000年以降もこの20年間、様々な状況の中で作品を作り続けてきましたが、はっきりって目的意識的な創作活動は行ってこなかったような気がします。おのずから作品数が少ないのですが、震災の頃に創作した震災復興の作品などを含めて、今まで数十曲の作品が残っています。
このたび6月の末に行った研修視察旅行を契機として、新たな作品を2曲創作いたしましたが、これからは創作活動にも本腰を置きながら、取り組んでいきたいと考えるようになりました。
今まであまりにも忙しくて、創作活動のことなど考えられなかったのですが、今回入院していろいろ考えたあげく、創作活動はとても重要であると考えるようになりました。
これまで2000年以降に創作した作品について、思い出しながら、題名のみを記入していきたいと思いました。
ここに思いつくまま、順不同で列挙していきたいと思います。思い出せないものもあるかもしれませんが、思いつくものだけを記入いたします。
2000年以降の創作作品(思いつくまま)
震災栗原復興音頭、
あなたのように.あなたの生き方(小野訓導の墓前に捧げる詩)
あの人のように(福島県三春町の自由民権運動に捧げた青春群像を讃えて)
ラブリー仙台、地球はまわる、この街に生きるあなたへ、Growing Up僕らの未来へ、
中野栄しあわせ音頭、ころころじぞうの子守唄、
みどりの田んぼのでもたち、幸せひかりのこどもたち、 杜の都しあわせ音頭、JAみどりのしあわせ音頭、
杜の都の街模様、
震災復興5部作、閖上わがふるさと、親子船、天国へのウエディングベル、追憶.ふるさとに眠れ、震災みちのく復興音頭、
たくして願いを.この胸に、あかり音頭、
明日への夢を(歌声バスツアーの主題歌)、桧原湖慕情、
Made in dream つなぐ架け橋 超特急、
灼熱の河(原阿佐緒麻と石原純(あつし)の灼熱の河)
福室市民センター老荘大学学生歌、
哀しみのクローバー(大川小学校の悲劇を題材として)
瞼の友に
このほかにも作品はあると思いますが、大体はこの位です。全28曲
今後も改めて創作意欲を高めながら、たくさんの作品に挑戦していきたいと思いました。