全国紙の合同慰霊祭に関する記事に抗議 | アカデミー主宰のブログ

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仙台ミュージカルアカデミーの旬な日常情報をお届けします。
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今日は一日予定が入っていないオフになりました。朝に日記を更新し、朝食をパン食で簡単に済ませ、乗用車で
8時過ぎにスタジオに行きました。必要な荷物は、昨日中に積み替えておきました。スタジオでメールチェックをしてから、8時半頃に富谷のおじさんに連絡して、一緒にドライブに行くことにしました。富谷まで飛ばしてスムーズに行き、9時丁度に到着しました。丁度おじさんが家から出て来た所でした。
乗用車で大和インターから高速道路に乗り、古川インターで下りて、鳴子方面とは逆の石巻方面に向かうことにしました。車の中で話をしながら、春間近の仙北の平野の中を進みました。どこまでも地平線の彼方まで、平野が広がっていました。
小牛田(こごた)を過ぎて涌谷から、北に向かい南三陸方面を目指しましたが、米山町の道の駅に寄って買い物をしたら、10時半を過ぎたので戻ることにしました。おじさんは今日13時過ぎから、町内の避難訓練があるそうで、出ることにしていたそうです。
米山町の道の駅で買い物をしてから、涌谷まで戻り、そこから国道346号で鹿島台経由で大郷町を通り、大和インター傍を経由して、富谷まで戻りました。
丁度12時頃だったのですが、おじさんは、急いで昼食を作ってご馳走してくれました。今日は、道の駅で買ったふかひれスープに、ご飯と鶏肉と葱の炒めものをご馳走してくれました。
中華料理屋で食べるような美味しい味でした。すっかりご馳走になってしまいましたが、13時過ぎには、おじさんも出発するので、急いで帰ってきました。
 
おじさんの家から、スタジオに戻り、おじさんから読売新聞を借りてきたので、先日の慰霊祭の記事を読んでいました。312日の新聞でしたが、記事の内容が、津波で流されたサークル員に焦点を絞って書いているのはいいのですが、その他は全く記述がないのです。大学の名前もなければ、市内のコーラスグループという全く違った記述とか、演奏曲の名前が掲載されているのに、作者の名前がなかったり、挙句の果ては、今回の取り組みに全く関係のない歌手の名前が記述されていたり、これでは私ばかりでなく、大学やサークル員も納得しないような記事でした。
私は大学の名前や作者の名前を伏せたり、関係ない歌手の名前を記述したりすることに、意図的な作意を感じてしまいました。これでは私やサークル員の大学に対する立場も無くなってしまします。この慰霊祭への出演の話は、あくまで名指しで大学のオープンカレッジの歌声サークルに、大学を通して依頼が来たものです。いろいろ話し合った結果、依頼された以上は、大学の看板を背負ってがんばることを、皆で意思統一したのです。
そうやって頑張ったのに、市内のコーラスグループとか、作品の作者を記述しなかったりとか、何か意図的な作意があるのかと考え、新聞社の記者あてに抗議のメールを送りました。
全国新聞としての名前が情けなくなるような記事の記述なのですが、読者が知りた5W1Hを何も記載していないのです。さらに補作詞したものを原詩の作者の物として掲載していたのです。全く私の立場はなくなってしまいました。
これでは皆で意思統一して、大学の名前を背負って取り組んだにもかかわらず、大学に対して申し訳なくなってしまいます。サークル員にしても然りです。
記事を読みながら、そんな作意を感じてしまいました。これは記事の力量不足だけでは済ませない、取材力の未熟さだけでは片付けられない問題だと感じたので、きちんとメールで抗議したわけです。
どんな結果が返るかわからないけれど、全国に名だたる読売新聞にしては、余りにも情けない記事だと言わなければなりません。
新聞記事は、記事を読んで、一生懸命取り組んだ本人たちが、納得する記事でなければならないのです。頑張った本人たちが蚊帳の外に置かれ、全てマイルドにぼかされたような記述では、それは作意があると言われても仕方がないと思うのです。
名指しで依頼された団体の名前の記載もない、作品の作者の名前も記載しない、しかも補作した作品を原詩の作者の物として掲載していること、今回の取り組みに全く関係ない歌手の名前が記載されている、サークル員一人にのみ焦点を絞って記事になっているが、他のメンバーの事については全く記載がない、しかも演奏の時にその一人を前に出して欲しいとリクエストがあったのです。そういう理由とは知らないで、並び方を変えてしまいました。その時から記事作成の構想があったことが分かりました。そのような記事でした。
このように、3.12の読売新聞の合同慰霊祭に関する記事は、取り組んだ私たちの気持ちを逆なでするような記事になってしまったことは、残念なことでした。
抗議の内容には、そのような記事にした経緯、他からの横やりがあったのではないかとも尋ねています。上司からの記事修正や市の担当者からの横やりがあったのではないかとも思われる節があったからです。
どちらにしても、きちんとした説明を求めることにしました。
そんな抗議メールを送りました。結論的には、天下の全国紙でありながら、不愉快で、情けない気持ちになりました。地元の河北新聞は、今まで何度も取材を受けたのですが、このような対応はなかったのです。いつもきちんと私たちが納得するような記事だったので、今回のことには全く驚いてしまいました。
 
15時を過ぎたので、用足しに出ました。昼食があまり多く頂かなかったので、安い飯屋でカレーライスを頂いてから、近くの作業衣服屋に寄って部屋履を購入してから、仙台港近くに給油に行きました。その後、高速道路で飛ばして岩沼の仙台空港の近くにある車屋に行きました。新しい車を探すためです。キャンピングカーや軽トラックを手放し、新しい車にしたいと思うからです。仙台空港近くの車屋で相談してきました。前にそこでキャンピングカーを購入したからです。でも今日は目ぼしい車がなく、空振りになりました。
家に帰って、今度は軽トラックに乗り換え、スイミングセンターに行きました。今日は18時から私のFM番組が放送される日ですが、時間がないので聴取は今日はパスして、スイミングに行きました。30分以上スイミングをして、サウナや風呂に入って帰りました。
家に帰って、ご飯を炊いている間に、コメントの記入や日記の下書きに取り組みました。
それが終了してから、夕食タイムです。今日は歯茎がまだ思うように良くならないので、お酒は飲まないで夕食にします。鯖の塩焼き、白菜のお浸し、味噌汁とご飯で済ませました。
このところ3.11の取り組みが終わって疲れが出てきたような感じがします。歯茎にきたのはそのためかも知れません。熟睡して疲れを取る必要があると感じました。薬を飲んでゆっくりと休みました。歯茎がまだ本当ではないので、養生していきたいと思いました。
めっきり春が近づいてきました。日中は暖かな気温になりました。北の平野はまだ風が冷たかったのですが、快晴で車の中はポカポカでした。春はもうすぐです。3月も半ば過ぎ、東北にもいよいよ春の足音が聞こえてきそうです。