私は、ライブ演奏を計画して出かけたのですが、まだその時期ではないことが分かりました。組合長さんに申し入れましたが、許可をいただけなかったからです。報道陣やカメラマンが、たくさん来て取材していました。再開広場では、安否の分からなかった人が、涙の再会をしていました。それをたくさんのカメラが取り囲み、取材をしていました。
うどんやラーメンの炊き出しコーナーには、数百人の長い行列ができていました。私もうどんの行列に並び、おいしいうどんを頂きました。
多くの人々が買い出しにきていました。私も様々な食材をゲットしました。閖上朝市は、価格が安いことで有名です。市価よりすっと安く、新鮮な食材を買うことができるのです。もう数十年続いているそうですが、それを知ってか、たくさんの人々が遠くからやってきていました。私が購入したのは、野菜や魚類でしたが、大体は100円です。豆腐は3丁で200円、鯖の冷凍物は5枚で200円でした。その他食材をゲット、段ボール一杯に購入しました。
名取市長が、自民党の谷垣総裁を伴って視察に来ていました。その他の宮城選出の自民党の国会議員も来ていました。組合長は、涙ながらの訴えをしていました。何とでも復興していく決意を語っていました。
朝市から帰って、スタジオに楽器や楽譜資料を収納してから、友達の家に出かけるし準備をして、お手伝いさんにおにぎりを置いて、遠く泉の友達の家に出かけて行きました。音楽講師の女性のお宅へ訪問するためです。近況報告と昼食をご馳走するというので、しばらく前からお誘いがあったので、話しをしに訪ねました。その女性も音楽講師の仲間なのですが、仕事でストレスを抱え、今は音楽活動はできない状態でした。様々な悩みを抱えているようでした。
昼食をご馳走になり、音楽の話をして帰りました。シャンソンの楽譜を4冊借用しました。
家に帰ったら、お手伝いさんが帰ってきていました。借りて来た楽譜をコピーするためスタジオに行き、お手伝いさんと一緒に、今日は2冊だけコピーをしました。あと2冊は明日以降に取り組みます。
シャンソンの楽譜は、私はあまり所有していないので、とても良い楽譜が借りられたと思いました。シャンソンの楽譜は、一般にはあまり出回って無く、高価な物が多いので助かりました。
少しの手土産しか持って行かなかったので、楽譜借用と昼の食事のお礼に、何かお返しでもしなければと、何とかガソリンを、携行缶で購入してやることを約束してきました。案の定、その方も、燃料が買えず、動きがとれないでいるということでした。燃料をとても欲しがっていました。
楽譜コピーの作業の後、温泉に行きたかったけれど、遅くなったので、今日はパスし、家に戻って、夕食の準備をしました。家でお湯を沸かして、顔や体を拭き、気持ち良い気分で、お手伝いさんと夕食を頂きました。
夕食は、閖上で買った鯖の塩焼きと肉じゃが、具沢山味噌汁で頂きました。
やはり、温かいご飯の和食に幸せを感じる日々です。被災者は果たしてどんな生活を送っているのでしょう。物凄い数の避難生活者、厳しい寒さの中、温かい食事は出来るのでしょうか。
政治や行政の手によって、一日も早く生活を取り戻せるようにしてほしいものです。
明日からまた、新しい活動が始まります。名取から避難所回りの演奏活動を始めて行きたいと思っています。大学のヴォランティアセンターからお誘いがあって、とりあえず始めることにしたからです。どんな避難所を回るのでしょうか。精一杯の演奏活動で、生の音楽を届けていきたいと思います。
私も、震災で全てを無くした閖上朝市の人々のように、すっかり断たれてしまった音楽活動での収入の道を、一つ一つ立て直しながら、再起に向けて、震災に負けないで、がんばって行こうと思いました。