どうしてこんなことになってしまったのでしょう。疲れていることは、前から感じていました。土曜日に「歌謡サロン」が終わって、友達を泊めて、次の日は、朝市のライブに行き、その足でFM局のスタジオへ、そこから3ケ所ライブを続けて実践しましたが、終わりの頃は、声も出なく、言葉も流暢にしゃべれなくなるほど疲れていました。
次の日は、結構休みましたが、また活動が始まり、水曜日に目いっぱい課題をこなした後に、日頃、乗らない自転車を整備して思い切り持ち上げ、一生懸命空気を入れたりしたあたりから、腰が急激に痛くなってきたのです。
結局自転車には乗らないで、バイクで「誕生会」に行くことになったのですが、その晩は激痛で一睡もできませんでした。
やはり疲れがたまっていたのでしょう。課題が、次々に出てきて、それを体に無理をしながら、こなしてきましたが、体は昔のようには丈夫ではありませんでした。体が悲鳴を上げていたのです。
昨日レッスン生がきたのですが、結局レッスンは、できる状態ではなく、2人のレッスン生にマッサージをしてもらうことになってしましました。やっとスタジオまで行った状態だったのです。マッサージの後2時間ほど休んだら、少し楽になってきました。体がパンパンに硬くなっていたと言われました。
午後からは、パソコンのインストが来たので、私の乗用車に乗り換え運転してもらって、蔵王山麓の青根温泉まで連れて行ってもらいました。
腰には温泉がいいと聞いていたからです。汗が止まらない程の熱い温泉に入って、腰も少し痛くなくなった感じがしました。
青根温泉の「じゃっぽの湯」の近くにある、古賀正男の「青根洋館」に立ち寄り、展示物を見学してきましたが、私は、何か古賀正男に諭されたような気がしました。
この1ケ月、必死になってスタジオの仕事をしてきましたが、課題をこなしてきただけで、自分が、心から音楽を楽しみながら、音楽をしてこなかったのではないかと。夢中になって課題をこなしても、心の中の音楽を実践しないと、心も体も硬くなっていくのではないかと思いました。
段々疲れがたまっていくと同時に、声もあまり出なくなってきたからです。自分が歌うどころではなかったのです。アコーディオンも、これまでのレパを課題に応じて演奏はしてきましたが、本当に自分が楽しみながらの音楽活動をしてこなかったのではないかと、ふと思ったのです。
音楽はもっと自分の心を癒しながら、楽しむことから出発しなさいと、古賀正男に諭されたような気がしました。
温泉に入って体を休めることも人生、歌うことも人生、演奏することも人生、自分のやりたいことを思う存分出来てこそ人生だと、言われたような気がしました。
無我夢中にスタジオの課題をこなし、事務処理をこなしてきても、体に疲労が蓄積して歌も歌えない程疲れては、何にもならないことを教えてくれたように思いました。
この1ケ月、本当にがむしゃらに、課題をこなしてきましたが、そんなに気張ってやらなくてもよいことを知りました。
それでなくても周りからは、依頼が幾つか入るようになって、それらを丁寧に対応しながら、応えていくことだけでも十分であることも知りました。
何よりも自分の体と相談しながら、歌を歌い、演奏していけるようにすることなのだと思いいたりました。
課題やイベントだけを追うのではなしに、もっと体と相談しながら、自由に人生を楽しみながら、音楽活動を展開することなのだと思い知ることができました。
人生、健康あっての物種なのです。体を壊しては何にもなりません。
腰が痛くなって、腰の重要性を知りました。体の全ての動きを支える部分なのです。痛くては身動き一つ出来ないのです。立ちあがることさえできないのです。
もっと体をいたわってあげることが、どうしてできなかったのかと後悔していました。体をいたわることなくして、音楽活動などできるはずもありません。
今まで必死になって、気張って、我武者羅に取り組んでいた自分だったのです。
今日からは10月です。この1ケ月の総括の上に立って、気持ちを入れ替えて、音楽の人生を歩んで行くことにしました。体を大切に、体と相談しながら、何よりも歌を歌い、演奏しながら、音楽を楽しんでいくことなのだと思い至ることができました。