昨日は、午前に乗用車を車検に出しました。車を車屋に持参して、車検の手続きをして帰りました。風呂仲間に車を出してもらいました。
午後からは、2件のレッスンに取り組み、無事終了しました。1名は、小学生のレッスンでしたが、今日も新しい曲に取り組み、最後は、高得点を出していました。
おばあちゃんが連れてきたのですが、小学2年生の頃から、音楽で特別に育ててt行きたいようでした。
音程やリズム感は、大人以上に素晴らしい感じがしました。この年齢から、学校の申し訳程度の音楽ではなく、本格的に練習することにより、無限に才能を伸ばすことが出来ることを、実感することが出来ました。
学校の音楽は、教科書レベルは、最低の誰でも出来る、日本独特の横一線にするための「民主教育」です。
子供の無限の才能を伸ばすには、足かせになることはもちろん、かえって伸ばすことが出来なる弊害も確認されているのです。
小学校レベルの音楽が、学校では、トップクラスで出来て、音楽は出来ると勘違いしてしまうからです。
オリンピックと同じように、小学生でも音楽のレベルは、上には上があるのです。小学生の素晴らしい才能を、大人以上に伸ばすことは、その積み上げさえあれば、大して難しいことではないのです。
ただ、「民主教育」で育った親のレベルが、そのことを認識出来ない方々がほとんどなのです。学校レベルが出来れば、音楽はこれで良いと思ってしまうからです。
音楽オリンピックのレベルからは、ほど遠いのですが、それで良いと思って、子供の才能に気が付かないか、少しは気づいても、これで良いと思ってしまう方々が多いからです。
おばあちゃんが、そのことに気づいて、学校レベルの音楽を超えて、個人レッスンに向かわせたことは、素晴らしいと思いました。
おばあちゃんの音楽や子供の才能に対する、意識が他の方々と違っていたからでしょう。子供のレッスンは、1回、1回でみるみる伸びて行きます。
音楽の積み上げ学習が、子供ほど定着するものはないからです。
新たな楽曲の学習で、高得点を出すことが出来た理由もうなずけるものです。
子供のレッスンに、未来を感じながら、私も心の中で感動していました。おばちゃんは、孫の素晴らしさに、それ以上に感動していたのではないでしょうか。話す言葉の端々にそれを感じることが出来ました。
ミュージカルアカデミーは、児童のレッスンが、現在2件あります。小学生で、ミュージカルのオーディションを受験する児童のレッスンにも取り組んでいるからです。
私たち大人は、レッスンの中で発揮する、子供の才能の豊かさを、直に感じながら生きて行きたいものだと思いました。
レッスンで、直に目の当たりにすることなしには、日常の生活では感じられないものが、あるからです。そのことを実感したとき、改めて子供の無限の才能の豊かさを感じるものなのかも知れなにのです。
まさに、それが大人の私たちの、生きる糧、喜びに繋がるものなのです。