昨日は、午後に1件のレッスンだけでしたが、スタジオで様々な課題に取り組みました。
レッスンは、アコレッスンでしたが、「発表会」に向けての練習をしました。大体の見通しは出来てきました。
少し難しい曲ですが、レッスン生は、音感が良く、指も動くので大丈夫だと思いました。
しかしながら、レッスン生の楽譜読みが、「固定ド」ということが分かり、びっくりしました。
今回の課題曲は、2曲のうち1曲は、ハ長調の曲ではないのですが、全て「固定ド」で読んでいるのには驚きました。
小さい頃からそれで習ったので、修正は難しいと話していました。
日本の音楽教育に、「平均律」という音楽のバイブルが定着できない現実を知ったような気がしました。
そうです。昔から日本の音楽教育は、特に終戦以降、新しい教育体制になってから、「固定ド」で、指導が徹底されたからなのです。
楽器では、音は確かに弾けばとれるのですが、その音階(スケール)の持つ音楽性で、音楽を認識できない弱点があり、それは、様々な壁となってあらわれてくるのです。
まず、「即興伴奏が出来ない」、「和音構成の動きが体系的に理解出来ない」、「その調でのソルフェージュが出来ない」、「アコなどでの瞬間移調が出来ない」、その他、様々な弊害が出てきます。
音取りだけは、楽だという利便性もありますが、総じて「固定ド」では、将来の豊かな音楽性を育てることが出来ないのです。
そこを論じれは、長くなるので割愛しますが、結論は、必ず壁に当たるということなのです。どんな楽器をやっていても、そうなのですから不思議です。
楽譜読みのノウハウを、統一することが必要なのです。それは、17世紀にバッハの時代に明らかにされ、打ち立てられた金字塔の「平均律」を学習し、そのノウハウを理解する以外にはないことなのです。
音取りが容易いという理由だけでの、「固定ド」の学習では、必ず壁に当たるのは明らかなのです。壁に当たった時に、前に進めない理由を考えて、やり直す手もありますが、それでは時遅しになり、諦めてやめてしまうのが普通なのです。
日本の音楽教育は、まさにそこに問題があったのです。これだけ音楽教育が普及し、盛んになっても、続けられる方が、そう多くはないという現実を知る必要があるのです。
アコーディオンは、今や、絶滅危惧種ですが、その「平均律」で作られ、その仕組みを、一番理解できる「魔法の楽器」なのです。
私は、その「平均律」を、アコの楽器から学びました。「平均律」の素晴らしさと、その音楽理解の威力を、すべての音楽学習者に広めていきたいと思いました。
それが、日本の偉大な音楽家、作曲家が残した本当の道だと知ることが出来るからなのです。
何と、日本の偉大な音楽家、作曲家も、この「平均律」を学んでいたからこそ、素晴らしい音楽の数々を残せたということを知ることが出来るのです。
「平均律」をすべての音楽学習者に」、このメッセージは、私の音楽指導の根底に関わる重要なメルクマールなのかも知れないと思いました。