客観的な美の存在について、桜の佇まいから発見 | アカデミー主宰のブログ

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 昨日は、雨模様でしたが、気になっていた桜の撮影に出かけました。


 桜は満開を過ぎて、散り始めていましたが、しっかりと美意識を持って佇んでいるように;思いました。


 美しいと感じるのは、自分がそう思うからではなく、美というものは、客観的に存在することを、その時に意識しました。


 「われ思う、故にわれあり」の観念論的な立場ではなく、実際に事物の存在のように、美は客観的に存在するのだということを、その時に思いました。


 桜は、自らの美意識の上に、自らを存在させていることを感じました。

それぞれの桜は、自分の美意識の心で存在していると思いました。


 だからこそ、人々の心に届くものだと、その存在の一コマ一コマから感じ取ることができました。

 

 「美は客観的に存在する」というのが私の結論でした。


 レッスンはなかったのですが、CD制作依頼者など、訪問者2件があり、無事終了しました。


 CD制作も、本人の希望通りのようで、喜んでいました。これから歌の収録に進んでいきたいと、打ち合わせて行きました。

 依頼者は、歌の収録を通して、世の中にCDを出していきたいようです。そこを目標にしているようでした。歌い手は、プロの歌手を起用したいとも話していました。


 毎日雨模様で、せっかくの桜のシーズンが大なしになってしましました。桜も寒々としているようでした。