今日から震災ルポ、第2部を開始します。大震災の中で、3月下旬から4月頃に書いた随筆、日記です。
復旧は急ピッチ、燃料も水も大ピンチ、原発こそ大大大ピンチ(3月25日朝記述)
復旧作業が急ピッチで始まった感じがします。高速道路が、朝6時から一般車両で全面通行可能になりました。店も大分開店して、行列が少なくなってきた感じがしますが、これはまだ続くでしょう。仙台の都市ガスは、一部で供給が始まりました。私の区域は、大体28日頃の見通しが出ました。被災地を除いては、日一日と元通りの生活に戻りつつあります。被災地は。どこの地域もほとんど壊滅的な状態なので、まず瓦礫の撤去作業からでしょうが、それも少しずつ進んでいるようです。松島の宮戸島への臨時の浮き橋が、自衛隊によって作られ、重機が入りました。段々復旧作業が本格化していることを感じることができます。
私は、今日は米の配達から始めました。茨城の兄から米が送られてきたので、仙台の兄弟で均等に分け、それを届けました。お手伝いさんは、多賀城に行かない日なので、二人で作業しました。まず姉宅に届け、その後、兄の事務所にも届けました。昨日のガソリン購入の話を聞きましたが、結局13時間並んだということです。やっとのことでガソリンをゲットできましたが、大変な状況を話してくれました。ガソリンがまだ一般市民にまで、十分に供給されていないことが分かりました。仙台市内、開いているスタンドは、どこも長蛇の列になっています。私は今、舟から回収したタンクから、ガソリンを使うことが出来るので少しは楽ですが、果たしてどこまでもつか心配です。
兄の事務所からの帰りに、業務用の食材店が開店していたので、食材をゲットしました。今迄も、スタジオ開設から業務用食材店で購入することがあったので、思い出して寄ってラッキーでした。
その後家に帰り、今度は乗用車を車検に出しました。今月末で車検が切れるからです。先日車屋に行って打ち合わせて来ていました。
お手伝いさんにも作業してもらいました。夏タイヤを積み込み、折りたたみ自転車に空気を入れ積み込んで、近くの車屋に行きました。
車検を頼んでから、帰りは、折りたたみ自転車で帰りましたが、どこの店でも行列が出来ていました。まだ行列が解消されていないのだと思いました。
これで大体午前中の作業は終了しました。昼食はインスタント焼きそばを料理して食べました。肉や野菜などを入れて料理したら、結構美味しく料理でしました。
14時半を過ぎたので、今日は温泉に行くことにしました。市内の銭湯は行列が続いています。温泉に入りたく、秋保温泉に行きました。兄の事務所で、秋保温泉で日帰り温泉をやっているという情報を得ていたからです。
他の温泉もいいのですが、遠すぎてガソリンが心配です。先日秋保に行った時は、どこもやっていませんでした。
秋保温泉まで来たら、何といろいろな旅館でやっていました。最初は、旅館の温泉に入ろうと思っていたのですが、元湯の共同浴場まで足を伸ばしたら、何とやっていたのです。混雑はしていなかったので入ることにしました。狭い温泉ですが、元湯だけあって、お湯は最高でした。秋保温泉も復旧してきたことを感じました。気持ち良い気分で帰ることができました。
家まで40分程度の距離にある秋保温泉、これなら行列銭湯よりも、毎日でも通いたくなる温泉です。300円の料金も安いです。
夕食は、牛丼を食べたかったのですが、牛肉がないので、牛豚のひき肉と豚のバラ肉を使っての油麩丼を作りました。油麩が家にあったからです。宮城のB級グルメの油麩丼を初めて作りましたが、何とも言えない美味しさ、牛丼とはまた違った食感で、十分に美味しかったです。宮城の北部、石巻の北部あたり、内陸の登米地域のB級グルメですが、早く全国区になってほしいものだと感じました。お手伝いさんと、今日の活動を振り返りながらのおいしい夕食になりました。
日一日と復旧作業が進むように感じられましたが、福島方面や首都圏は新たな問題が発生しています。野菜や搾乳の出荷停止、摂取制限とか、飲み水への放射能の影響で、震災被災地の影が薄れてしまうほど、毎日報道を賑わせています。
本当に福島や関東の生産者は大変です。計画停電で振り回される首都圏の人々も大変な目に遭っています。水のボトルが店頭から消える現象も起きています。どこを見渡しても大変な影響が出ています。
原発事故の恐ろしさを感じる日々です。昨日は、作業員が被爆したとか、厳しい環境での作業が進められていますが、果たして原発は修復することができるのでしょうか。
何とか早く収まってほしいものです。