震災ルポ⑥ 大震災の現実 その6 原発放射能漏れ、舟発見、南蒲生の惨状① | アカデミー主宰のブログ

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 昨日はアコレッスンとヴォーカルレッスンが2件のレッスンがありました。


みなさんそれぞれに目標に向かって頑張っていました。ステージを目指す方は、最後の追い込みの微調整を行いました。


 今日はスタジオの仕事とは別に依頼された引っ越し作業があります。


 一日その準備作業に追われましたが無事終了しました。明日は、頑張って遠距離の引っ越し作業に取り組みたいと思います。





 震災ルポ⑥ 大震災の現実 その6 原発放射能漏れ、舟発見、南蒲生の惨状




大震災から1週間の8日目(金曜)がやってきた。少しずつ本格的な復興支援が始まっているようである。自衛隊もやってきた。大型輸送船による物資の輸送も始まった。

被災地へのルートが確保され、やっと物資が届くようになってきた。寒さに凍えていた被災地の人々は、少しは温かくなったと喜んでいた。

一方、福島方面では、大変な状況が進行していることが、ここ数日テレビで報道されていた。

原発事故である。私も何度か訪れたことのある福島県の美しい海岸、集落、今でも思い出に残る光景がたくさんあった。農村地帯に突如建設された大きな原発の施設、そこだけがいやに近代的に整備されていたが、ゲートから先は進入禁止になっていた。

地域の人々もほとんどが原発関係に従事し、地域の経済構造が一変した。豊かな地域にも見えた。海岸線ギリギリの美しい町々であった。たくさんの原発施設が建設されていた。

その原発が、津波に襲われ、施設が破壊され、その影響で放射能が漏れ出している。地域の人々へ避難指示が出された。地域の人々が、一斉に避難を余儀なくされている。


原発の建屋が吹っ飛んだ。水蒸気爆発を起こしたらしい。逐一テレビが、その状況を映し出していた。

放射能が漏れないようにするため、必死の冷却作戦、使用済み核燃料の冷却作戦が展開されている。ヘリコプターを使っての放水作戦、特殊な車を使っての放水作業が展開されているが、果たして放射能の拡散を防ぐことはできるのであろうか。世界もかたずをのんで注視している。アメリカでは、50マイル(80キロ)避難を指示し、外国人も一斉避難した。


電力の供給が間に合わなくなって、首都圏を巻き込んだ計画停電が始められている。もう6日目の実施に入っているが、計画されていても実施されない場合もあり、大混乱が起きている。実施予定が告知されて、その予定で動いても、実施されなかったり、停電で、人々の足、交通機関の電車が間引かれ、通勤にも支障をきたすような大混乱が至る所で起きている。

東北地域は、実施予定が告げられたが、今のところは実施されていない。日本の電力事情も大ピンチの状況である。

これも津波によって引き起こされたトラブルが発展したもの、本当に今回の大震災は、様々な部分に大きな影響を及ぼしている。

まさか原発施設がこのような状況になるとは、予想だにしなかった。電源系統が水をかぶって破壊され、核燃料を冷却できなくなってしまった。そこからトラブルが始まったのである。結局は、人海戦術での冷却作戦で対応することになったが、果たして結果はどうなるのか。

政府は、「決死の覚悟」で取り組むとあるが、原発の放射能漏れは、日本の政治経済の全てを揺るがす大きな事態、今日本は大きな局面に直面しているような気がする。


9日目(土曜)がやって来た。お手伝いさんがいるので、二人で協力し合いながら進めることができるので、鬼に金棒になった感じがする。

いつものような朝食後に、今日は自分の家の墓石の状況を確かめに行った。仙台の西部にある葛岡墓地内の一角に、私の家の御墓がある。彼岸の入りに入ったので墓参りをしなければならないが、まだその準備ができていない。まず墓石の確認をしに行った。倒れていたらお手伝いさんに手伝ってもらう予定でいたが、幸い墓石は無傷だった。墓地園内の墓石も、ほとんど倒壊していなかった。このあたりは揺れが少なかったのかと思って、胸をなでおろした。墓地界隈はまだ雪があった。仙台市内でも地域によってこのように雪の量も違うのだと思った。

しかし、道路はさすがに車が走っていなかった。正月のように貸し切り状態で、ほとんど車がいない。ノーストップで走りやすかった。ガソリンがないので、もう小回りのきく軽トラックや乗用車は使えない。キャンピングカーで出かけていた。幸い震災前に給油していたので燃料が入っていた。途中仙台市内の高速バスのターミナルには、物凄い人の行列があった。高速バスが動き出したとの情報が流れていた。仙台から各地を結ぶ高速バス、JRが完全にストップしているし、車はガソリンが買えないので乗れない。バスが唯一の交通機関である。今迄見たこともない位の行列が、駅西口のバスターミナルに出来ていた。

また、墓地に向かう西道路界隈のガソリンスタンドには、物凄い数の車の行列、数キロ先まで続いている程の長い行列ができていた。これでは何時間待てば給油ができるのであろうか。でも報道では、燃料の供給が開始されたと流れていたが、実情はこの有様であった。

墓地を確認した後、墓参りは後で来ることにして、せっかく西部まで来たのだから、その奥にある日帰り温泉に行くことにした。テレビで、やっている日帰り温泉情報を流していたからである。秋保温泉のさらにその奥、神(かん)かね温泉まで足を伸ばしてみたが、不運にもダメだった。燃料がなくなったので昨日まではやっていたが、今日は休みとのこと、風呂には入れなかった。途中道路が、地震で遮断されて遠回りだったが、秋保温泉を経由して戻ってきた。途中で、ここにも車の長蛇の列があった。どこまで続くか分からない程の車の列、給油待ちの車が果てしなく並んでいた。

温泉に駐車した時、キャンピングカーの下部の電気系統のワイヤーが切断されていることを発見した。車の運行に支障はなかったが、不安になったので急いで帰って来た。途中で故障したら、こんな状況の中では大変なことになる。

幸い故障することなく戻ってくることができた。

家に戻って次の課題に取り組んだ。買い物である。少しずつ店が開いて、たくさんの行列を作っていた。家に帰る途中、行列のできていて店に並ぶことを考えて、二人で手分けした。お手伝いさんは、近くの豆腐屋へ、私は近くの魚屋へ並んだ。二人とも30分程度並んだだけで、食材をゲットすることができた。

しかし、私が並んだ店は、全体的に価格が高い。上質の品物を揃える魚屋であったが、普段の倍ほどの値段のように思われたが、そんなことは言っていられない。刺身もゲットできたが、食材の価格が約3000円だった。高いと思ったが仕方がなかった。そこでは野菜も売っていたが、大根1250円、キャベツが390円であった。焼き鳥のような魚の串焼きは1150円で5本まで限定、刺身は鮪の中落ちで1パック600円であった。たちまち3000円になるのは、なるほどだと思った。

お手伝いさんにも、いろいろ購入を頼んだが、豆腐の他は皆売れ切れていたという。あっという間に売れ切れてしまう。私は、卵が最後の1袋でゲットできた。卵は5個で125円であった。(続く)