東京駅・ルネッサンスから2年以上が経過した。この間、様々なイベントが繰り広げられ、東京駅は、今や一つの大きな観光スポットになっている。まさに、近代日本の100年を象徴するかのような建物が、復元されたのが現在の東京駅だということができるように思われる。
私は、数年前、福島の滝桜に接して以来、東北や近県の絶景を探して、随筆を書くようになっていたが、その過程の中で、音楽関係のオリジナル作品も創作するようになっていた。
今年の1月末の旅行で、世界遺産・富岡製糸場を訪ねて、日本には、次の世代に残していくべき「絶景」、語り継いでいくべき「絶景」が、様々あることが分かってきた。
その「絶景」とは、自然の絶景ばかりでなく、その他にも、富岡製糸場のような産業遺産群としての「絶景」もあるし、古賀政雄の足跡のような偉大な音楽的な文化遺産としての「絶景」もあることも分かってきた。
私がここで探し続けて、求め続けていく「絶景」は、自然的なものばかりでなく、近代日本の100年の歴史の中で、私たちが、次の世代に届けていかなければならない産業遺産、文化遺産も含めた広い意味で、歴史の中で培ってきた私たちの先人たちの輝かしい業績も含めたすべてのものを指し示す言葉としての「絶景」を探し、訪ね歩く中で、その実像を少しでも描き出しながら伝えていく使命を感じるようになっていた。
1か月前に旅を実現したにも関わらず、2度目の旅を企てることになったのは、とりもなおさず「大人の休日倶楽部」の10周年の記念チケットが発売されたからに他ならない。
今の時期を逃したら、また「絶景」を訪ねる旅は、先延ばしになってしまうのかも知れないと思い、思い切って今回出発することにしたのである。
おりしも、仕事の課題の他、パソコンが故障するというアクシデントもあり、時間的にも厳しい状況であったが、大急ぎ全ての課題をクリヤーして、出発に漕ぎつけることが出来たのである。
それで、前回からの課題を引き継ぎ、今回、まず取り組んだ課題が、「東京駅」であった。2年前のリニューアルの時期にも、新鮮な気持ちで訪ねたことがあったが、近代日本100年の絶景との関連では見分していなかったので、執筆の機会を失っていたのであるが、今回の問題意識の視点から考えるとき、一番最初に頭に浮かんできたのが、この「東京駅」だったのであった。
以下、近代日本の100年の「絶景」としての「東京駅」を、私の視点で記述していくことにしたいと思う。
東京駅のリニューアルは、2年前の10月頃、東京に行く新幹線の中で、「トランヴェール」という雑誌で知ることになった。JR東日本の東北新幹線の中においてある雑誌、「トランヴェール」に、東京駅が特集として掲載されていたのである。
「トランヴェール」とは、フランス語で「緑の列車」という意味であるが、それがJR東日本の新幹線の雑誌名になっていた。それに「東京駅・ルネッサンス」が詳細に渡って特集されていたのである。
東京駅が、日本建築界の礎を築いた巨匠、辰野金吾によって設計されたものだということを初めて知ることが出来た。彼は、1854年、唐津藩生まれ、1919年没だから、おおよそ明治前から明治期全部、そして大正期を生きた日本の建築界の礎を築いた重要人物であることが記述されていた。
東京駅開業が1914年、大正3年だから、1872年日本の鉄道開業から42年後のことである。目覚ましい産業革命の発展の中で、日露戦争に勝利し、欧米列強と肩を並べる大国になったとの意識が高まる中で建設されたもので、その作りにもある意味で国家の威信を示さんとする思惑が強く感じられるものになっていたのであった。
国家の威信の象徴としての東京駅の誕生であったが、それに見事に応えたのが、建築界の礎を築いた辰野金吾であった。辰野金吾については、建築学の門外漢である私は、全く知識はなかったが、東京駅の建設の歴史を通して、そのたぐいまれな才能と能力の凄さを感じざるを得ない気がする。それほどの凄い逸材の人物であったのかも知れないと思った。
その素晴らしい建物が、戦争の空襲で破壊されてしまったものが何と今年、5余りの歳月をかけて、70年ぶりに完全に復元されたのである。それが現代に蘇った東京駅なのである。
100年前の建築が、まさに寸分の狂いもなく、新たにリニューアルされて現代に蘇ったのである。
ここでは、東京駅の詳細に渡っては、記述するまでもなく、「トランヴェール」の資料を参照していただきたいものでさる。(トランヴェール2012、9月号参照)
実際に現場で、目の前で接してみて、その建築の素晴らしさを改めて感じることが出来る。見事なまでのシメトリーでレンガ色尽くしの落ち着いた佇まい、和洋折衷の大正ロマンの香り、周りの風景との調和にしろ、全てに渡って計算され尽くされ建物が、眼前に広がっていた。陽光に映し出されたレンガ色の景観、正面玄関の松の緑との対比、本当に美しい景観が東京のど真ん中に広がっていた。
お上りさんだと分かる多くの観光客が、レンガ色の正面玄関をバックにして写真を撮っていた。
私は、鉄道施設としての東京駅ばかりでなく、外観や景観の美しさにしばし心を奪われていたのかも知れない。
日本の鉄道が結節する場所、おびただしい数の鉄道線路が交差し合うという交通の要所ばかりでなく、東京駅は、現代の日本の象徴としても、新たなる役割を担っているのかも知れないと思っていた。
先人の偉業と現代の復元技術の凄さに、只々感動するばかりであった。
これぞ近代日本100年の絶景のNo1に位置づけられるものなのかも知れないと思っていた。
スカイツリーと東京駅が並列で並べられるが、私は、近代日本100年の絶景を考えるとき、いの一番に東京駅を躊躇なく挙げることが出来ると思われる。そこには、近代日本が辿ってきた歴史に晒されながらも、昔のままに蘇った東京駅の姿に、得も言われない感動を覚えるからなのかも知れない。東京駅は、現代の高度な建築技術ばかりでなく、歴史の中で鍛えられた先人たちの偉業をそこに感じとることが出来るからなのかも知れないと思った。
また一つ、近代日本の100年の絶景に数えることが出来たことを、心から嬉しく思っている自分が、そこに横たわっていることを実感していた。