さて今日は日曜、通常稽古の日です♪
◆6/30(日) 通常稽古
【場所】泉総合運動場「武道館」 1階・柔道場
【集合】09:00
【稽古】09:15~11:45
【内容】クラス分け稽古
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下絵の場合は虎(トラ)ですが・・
生き物を飼育しているならば、きちんと必要量のフード(エサ)を与えなければなりません。そうすることが、飼育する者としての責任です。
で、、下絵の場合の問題は、フードを与える際の人間(← 飼育する者)の身体安全を、どうやって確保するか?? です。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/20/sendaikaratedo-shidoukan/3b/e1/j/o0607108015456624716.jpg?caw=800)
【上資料(写)引用】(一財)建設業振興基金様HP内資料
要は、そういうことです。
空手道における組手稽古も、そういうことと同じです。
生き物を飼育するならば、飼育する者としての責任が伴ないます。虎に噛みつかれると危険だから、虎にフード(エサ)を与えません・・・では、無責任なのです。飼育するならばきちんとフードを与えて、生きていけるようにするのが飼い主の責任です。
と同時に、飼い主の身の安全を、第一優先でやっていかなくてはならない。相手は自然界の動物(猛獣)なのですから、人間の言葉が通じるはずがなく、人間社会の道徳も持ち合わせていません。だから安全第一の対策を講じることが、何よりも大切になります。
安全は最優先事項です。安全対策よりもさらに優先されることなんて、人間社会ではあってはなりません。
空手道の組手稽古も、考え方は同じです。
審査科目に自由組手があり、ソコで基本技術の習得・習熟の様子をチェックされるという審査制度なのですから、、組手技術のスキルアップのための稽古をやらないという道場になってしまったら、それは空手道クラブの在り方として不見識すぎます。
自由組手が審査科目として入ってくる審査での合格をめざしている稽古会員に対して、日常的な稽古メニューの中にそれ相応のものを入れていく空手道クラブというのは、もう当たり前すぎる在り方です。
走塁の練習ばかりをやって、打撃練習をしない野球チームって、ありますかね?
打撃練習にかなりの時間を費やして、守備練習はほんの数分しかしない野球チームって、あるのでしょうか??
攻守走(こうしゅそう)。
すべてを省略せず、すべてを手抜きなく練習していくから、野球チームとしての対外活動ができるようになる。そういうものだと思います。
だから私は、いつもこう言うのです。
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野球だよ、野球~♪
( ↑ このメッセージは、いろんな場面で使うことができる、まさに名言ですな。)
問題は、どのように安全対策をするか? です。一人ひとりの性別、体力レベル、技術レベル、年齢要素、体格、生まれつきの身体事情、その日の体調などなど、、安全対策というものはけっして一様になりえません。
きちんとした安全対策が構築されているから、危険や不安なく虎さんを飼育できるようになるのです。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/20/sendaikaratedo-shidoukan/e2/db/j/o1080060715456624721.jpg?caw=800)
【上資料(写)引用】(一財)建設業振興基金様HP内資料
審査科目に自由組手がある審査での合格をめざしている稽古会員には、日常的な組手稽古が必要です。空手道クラブの日常の稽古メニューの中には、組手稽古が入っているのが普通です。
で、組手稽古をやるならば、しっかりした安全対策をどのように構築するのか(← 方法論)です。情緒や感情でモノを言うのではなくて、実態としての方法論が必要です。
ただメンホーをつけておけば安全・・・っていうことではないと思います。防護服を着て虎さんに近づきフードを与えるのは危ない、、ということと考え方は同じです。
安全対策がしっかり確立しているから、虎さんを飼育できるのだし、自由組手もできるのです。
では皆さん、後ほどお会いしましょう。
【補足】
自由組手の試合がこわいとか、イヤだという人は、無理してまでソレをやる必要はありません。無理強いしてまでやらせるというのは、私いち個人の感覚としてはナンセンスです。やりたくない人は、やらなくていいです。
ただしその場合は、定められている審査科目についての準備を「自分自身の好き嫌いでやらない」という稽古内容になりますから、、帯色がある段階以上にはならなくなります。
イチか、バチか、試しに受審してみる!・・・という考え方をするのは、審査員の先生方に失礼になります。受審するならば、審査科目として定められているものについて、日常的に修練して準備していくこと。『 準備 』の積み重ねを日常からしておくことが、受審者としてのマナーです。