奈良時代の陸奥国分寺は、1955(昭和30)年からの発掘調査の成果により、遺跡の南側が史跡公園として整備されています。その一方で、遺跡の北側については、発掘調査が現在も続いています。

 昨年の調査では北辺と想定されている場所で、東西方向に延びる溝跡と築地塀(ついじべい)の痕跡が発見されました。東・南・西の3辺では溝跡と築地塀がセットで見つかっており、北辺が特定されれば、国分寺のエリアが解明されることになります。今後の検証に期待したいです。

 そもそも、陸奥国分寺は多賀城国府からも遠く、なぜこの場所に建てられたのかが、最大の謎だと思っています。日本最北の国分寺ですが、七重の塔をはじめとする七堂伽藍を擁しており、建立には多くの富が必要です。ここには豊かな富が集まる何かがあると考えています。