靴 | ポルコロッソ 音と光に囲まれて

ポルコロッソ 音と光に囲まれて

お気に入りの音楽や映画 映像・写真・舞踏等々 何でも有れの雑記帳


『虹とスニーカーの頃』 唄 チューリップ

スニーカーでも冬用タイヤのパターン面でも有りません
私が着用して来た靴の底面です
左右の違いが表れています(裏側なので御ぞんじの様に右に見えるのが左足用 左に見えるのが右足用です)
踵の部分のご注目ください

この方が良く判ると想います
左足用の踵の内側の減り方がも右足用よりも極端に擦り減っています

この靴は 私が2021年の6月に腰椎梗塞により入院する1~2か月前から履き始めた靴で2年9か月間位の使用期間でした


もう一足は昨年の6月から履き始めた物

左足用の擦り減り方が尋常では有りません

右足用の踵が減っているのは車の運転でアクセルワーク・ブレーキングの際に右足の踵を軸に踏み分けているのも一因です

2足の擦り減り方の違いは底面の材質の違いに間違いありませんが 要は右足と左足の動きと言うか 歩く際の足の着地の仕方の違いと想います

腰椎梗塞により最初の2週間は立ち上がる事が出来ずに移動は車椅子の状況でした
その後 物に捕まっての立ち上がりは可能になり それまでの筋力維持のリハビリテーションから歩行を目指すためのリハビリテーションに変わりました

入院後1ヶ月間を経過して 運動機能(私の場合は自立による起立・自力歩行)回復のリハビリテーションを主体とする病院への転院となりました

転院後 2ヶ月間 丁度 東京オリンピック・パラリンピック大会の時期と重なり(「私の出身大学の付属高校が高校野球夏の甲子園大会 初出場・初勝利で校歌をテレビ中継と一緒に歌った頃)自らの復活を懸けて本当に休みの日も無くリハビリテーションに励んだ結果 として病に倒れて丁度3ヶ月目に装具や杖等を使用しなくても歩行出来る状態で退院する事が可となりました

完璧な歩行スタイルとまでは行きませんが 翌年の秋田 昨年の青森で「東北絆まつり」への帯同も可能となり 学校指導や各種イベントでの演奏や指揮が可能なレベルではあります

しかし この靴の減り方は 下肢の状況を鋭く物語っています

腰椎梗塞により一旦失った神経組織の復活では無く 梗塞の害を被らなかった神経組織が「代わり」として補っていると言う主治医の話でした

具体的に言えば 左足の足首の動きは本来の動きの3~40%程度
左右の脹脛と太腿には若干の痺れ(正座して血行障害になった時の様な)が常時残っています(入院当時は全く感覚が無く ベッドに仰向けに寝ていて 医師から「足を挙げてください」と言われてもほとんど挙がらなかった)

また 両太腿の筋肉と両足の甲の筋肉が緊張状態になったままなので 階段の昇り降りや物を跨ぐ際には頭で考えて両足の動きをコントロールする様な感覚を必要とします
(筋肉が緊張したままなので 階段を昇る際は簡単に足が挙がりますが 降りる場合は足に対して伸ばす格好を制御しながら降りる 物を跨ぐ場合は特に左足の着地地点を予め定めて左足を「持って行く」感覚で行わなければなりません

それと 目を閉じて立っていると体が揺れます つまり 両足への姿勢の制御 特に 下肢から脳への情報伝達が未だに完全ではないからかな?と想います

まあ 入院当初は(特に左側)足の指を掴まれたりしても全く感触が無かったので それから考えると今では感触が戻って来ています(足に物を落としたり 壁や扉にぶつけると『痛い!』感触に感激している状況です!)

私の場合 この程度で済んだのは幸いと想っています
リハビリテーション病院の先生からは「この症状で入院して 60歳を超えて この期間のリハビリテーションでここまで回復して退院されるのは非常に稀ですよ」とお褒めの言葉を頂いて退院しました

右足の具合がこの程度で済んだお陰で 先生からは「車の運転には支障なし(AT車に限るとは言われなかった!)」の診たても頂戴出来ています

その足で初期治療・リハビリテーションを行って頂いた市立病院の療法士の皆さんに挨拶に伺った時には皆さんに吃驚された事を今でも懐かしく想い出します

療法士の皆さんからは「今後も続けてリハビリ療養(体操や運動)を行ってくださいね」と言われました

この靴の減り方を見て これからも継続したリハビリ療養で減り方が均等になる様に と想った次第です

👆のチューリップ『虹とスニーカーの頃』と今回の記事 関係と言えば「スニーカー」と「靴」くらいです(ほぼ関連はありません!)