東北地方には「鬼」にまつわる伝承がたくさんあります。それも岩手県には、ことさら多いかな。

伝承の類型は、「鬼がやってきて悪事を働いていた、それを坂上田村麻呂(あるいは源義家)が退治して、平和を取り戻した」です。

一関市にある地名、その名も「鬼死骸」です。
坂上田村麻呂が鬼を退治して、その死骸を埋めた場所だとされています。


「鬼」とは何だったんでしょうか。平安時代以前には、そんな生き物が実在したのでしょうか。
おそらくは、狩猟や漁によって暮らしていた先住の縄文の人たちだったと思います。
農耕文化を持つ弥生人には土地が必要であり、南から北へ勢力を拡大してきました。
侵攻してきた弥生人は生産性が高く、強力な武器を有していました。これに抗して自らの土地を護るためにゲリラ戦を行うしかなかった縄文人は「鬼」とされました…

平泉町内に達谷窟(たっこくのいわや)と呼ばれる場所があります。


ここに悪路王という鬼がたてこもり、人々を襲って苦しめていたのを、坂上田村麻呂が退治した、という伝承が残されています。

そして、その後に、毘沙門堂が建てられました。
(無実の人を死なせたときに、その祟りを恐れて、神社や寺をつくるというのはよくある話ですね。)


悪路王は首を斬られ、その首を模したといわれる木像が残っています。
悪路王=アテルイ(近年では、侵攻軍に抵抗した蝦夷の英雄として描かれることも多いですが。)という説も有力です。

アメリカのジョージ・ワシントンも、中国の毛沢東も、勝ったからこそ建国の英雄。負けていたら「鬼」にされていたかもしれません。


宮沢賢治も悪路王のことを詩にしていました。


「岩手」という地名の元になったといわれているのがこの石。
盛岡市の「三ツ石神社」にある巨石で、暴れまわっていた鬼をこの岩に縛り付け、「もう悪さはしません」という証拠に、このに押させた形が残っているといわれます。
(じっと見たけど、どこが手形なのかわからなかった(-_-;)


水沢の黒石寺(こくせきじ)の蘇民祭にも「鬼」は登場します。
「鬼子登り」といい、この面を背中につけた数え7歳の男児を背負って、本堂に駆け込みます。


北上市周辺では「鬼剣舞(おにけんばい)」という踊りが伝承されています。


北上市には「鬼の館」という市営博物館があり、世界中の鬼の資料が集められています。


そして、この地が「鬼の棲む」地であることを誇りとしてうたいあげる北上市市民憲章に、東北の地に生きるもののひとりとして、共感と尊敬を感じます。


※この記事の写真は3/26~27に撮影したものです。

(この稿おわり)