今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネンへの下りトレイルのスナップ』、奥穂高から『難関ジャンダルムを超え西穂高にトライする麻莉亜』。そして、優しく美しい『ナニワイバラ』です。5月から6月頃、白い大きい花を咲かせます。大阪など近畿地方から植栽が広まったらしい。これが名の由来。茎、実とも、いっぱいとげがある。『難波茨』とも書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■『倍賞さん、これから遊びに行ってもいいですか?』。顔見知りのタレント山田邦子さんが電話してきた。2007年のこと。乳がんが見つかったという。『大丈夫よ。私も乳房の温存手術をしたけど全然平気だったわ。早い方がいいんだから手術したら?』。

 

自分の体験も踏まえて色々助言した。不安や心配があるのは当たり前。経験者が相談に乗ることで本人にも心強い安心材料になる。その後、邦子さんは手術を終えて乳がんを克服。08年にはがん撲滅を目指す『スター混声合唱団』を結成。私も小六さんと参加している。シンボル曲『あなたが大切だから』の作詞・作曲は邦子さん、編曲は小六さんが担当した。

 

仕事がオフの時、私はいたって普通の主婦をしている。もともと家事が好きなので主婦業はそれほど苦でもなかった。小六さんと結婚した後『仕事をスパッと辞めて専業主婦になろうかな』と本気で考えた時期もあったくらい。

 

料理は自分流。外食して『美味しい』と思ったら作り方や素材をお店に尋ねて自宅で作ってみる。肉、魚、煮物、パスタ、サラダ・・・。きちんと軽量しない自分量で冷蔵庫の残り物を使ってササッと作る。そんな千恵子流の料理法は書籍としても出版した。

 

食器にもかなり凝った。きっかけは樹木希林さん。私の自宅で一緒に食事していると、使っていた食器類を見回しながらこう言った。『あなた。ちゃんとした女優になりたいなら、ちゃんとした器を使わないとダメよ』。

 

以来、骨董を漁ったり、旅先で使いやすそうな器を買ったり。萩で見つけた萩焼きの茶碗もお気に入りの一つ。食器集めのほか、陶芸やそば打ちなども仲間達と習った。次は自動車の運転免許。運転にはそれほど興味はなかったが、某女優さんにこう言われてカチン!ときた。

 

『倍賞さん、免許持ってないの? 運転出来ないんだ』。悪意はなかったと思うが、私の負けん気に火がついた。(それなら意地でも免許を取って見返してやろう!)

 

仕事を無理に休んで時間を作り、技能と学科の講義を集中的に受けることにした。自宅と教習所をひたすら往復する日々。学科試験は手が震えて落ちたが2回目に合格。努力が実を結んで1カ月強で取得。某女優さんに『取ったわよ』と免許を見せてあげた。

 

目的を果たしたので、その後は気が向いた時に運転する程度。でも1度だけ『憧れの女性のマネをしてみたい』と思い立ったことがある。20世紀を代表するダンサー、イサドラ・ダンカン――。くわえたばこでスカーフを巻き、皮手袋にハイヒールでおオープンカーを颯爽と乗りこなす。映画でその存在を知り、ずっと憧れていたのだ。

 

ある夏、ついに内装が赤い革張りのオープンカーを買い、北海道を小六さんとドライブすることに。でも屋根がないと日焼けするし、風で帽子やマフラーが飛ばされるし、雨にも濡れる。私に向いていないことがよく分かった。

 

最後に愛犬。白いオスの柴犬の三郎にペット店で巡り会ったのが1995年。生後3カ月の愛らしい子犬で一目で気に入る、以来、16年半、我が子のように可愛がった。食事やトイレなど躾はもちろん『これはリンゴ、これはネコ、荒れは自動車』と一つひとつ教えてあげたので私の言葉も理解出来る。

 

名前は夫の小六さん(禮次郎)に続く『三郎』と名付けた。犬とすれば長生きし、天寿を全うしたと思う。

 

■■<普天間返還Ⅵ『』>喜友名水の南東には普天間飛行場の消火訓練施設がある。PFOSが含まれる泡消火剤が使われてきたとみられ、県は『汚染源の蓋然性が高い』と米軍に立ち入り調査を要請したが、米軍は受け入れず、真相は究明できていない。

 

同じようなもどかしさを歴史学者も抱える。普天間飛行場周辺は歴史的には琉球王朝時代からの農村地帯だった。国学院大の池田教授によると、飛行場内には集落跡など数百カ所の文化財があるとみられ、その中でも闘牛場後や古墳群など14カ所は保存が必要とされる。しかし、こちらも基地内なので発掘調査が十分できないでいた。

 

『調査できないところが無数にあるから確実な把握は難しい』と池田教授は言う。

 

跡地利用の青写真を描こうにも、基地内の現況調査ができない以上、『緑を生かした大規模公園』などと大まかな方向性を示すのにとどまり、具体的な土地利用までは決められないできた。

 

普天間は1996年、日米両政府が『5~7年以内』に変換すると約束されたはずだった。当時の地権者の若手達は喜び勇んで『自分達が主導して町づくりを考えよう』と02年、『普天間飛行場の跡地を考える会』を立ち上げている。しかし、それから20年余が経ち、かつて若手と呼ばれていた人も初老の域に達している。

 

『返還は辺野古への移転が具体的に見えてくる30年代以降でしょう』。もう68歳になった若手の会のメンバーは、そう達観して言った。辺野古への移転計画は長年膠着し続け、町づくりの熱気はすっかり冷めている。

 

宜野湾市は、返還後の跡地に必要となる公共施設の用地を確保するため、地権者からすでに13ヘクタールを先行取得した。松川市長が今年7月急逝したのは、さらに用地を買い増そうと150億円の資金や、跡地利用計画の策定に関する支度を官邸や自民党に陳情した翌日だった。(大鹿靖明筆)

 

◆石破新首相は、米軍基地の地元との関係を取り決めた『地位協定』の改正を謳っていたが、首相になって施政方針を演説する中で、忽然とこの『地位協定改定』が消えてしまっている。なんだ、言うことと、やることが全く違う石破。『ブレブレ首相』と言われる所以でもあるなあ。

 

■■<みやじ豚・宮治勇佑『自分らしく時代に合った経営を』>実家の養豚業を継いで『みやじ豚』(藤沢市)を設立した『宮治勇佑(46))は2009年、農業の後継者を支援するNPO法人『農家のこせがれネットワーク』を創設した。みやじ豚から農業へ。そして、あらゆる産業にわたる家業の事業承継支援へ。宮治は、地域に根ざす家業の継承と発展が日本経済再生の鍵になると考えている。

 

驚いたのは、農業の世界では『相続』は意識されていても、『事業承継』の発想が乏しかったことだ。そのことが農業が発展しない要因のひとつになっていると考えた。仲間との研究会を重ねていくうちに意識がさらに拡大する。『支援を必要とするのは農業の後継者だけではない』。中小企業など主に法人向けの『エヌエヌ生命』などと協力して、17年に『家業イノベーション・ラボ』を立ち上げた。

 

確かにレールを敷いたのは先代までの経営者だ。しかし、そのレールをどんな目的地に向かって、どのように伸ばすかは、自分が決めればいい。従来のやり方にこだわっていては、時代の変化を捉えられずに衰退してしまうし、後継者も自分の人生を輝かせなくなる。

 

仲間から教えられたことも少なくない。1世紀以上の歴史を持つ家業の後継者と交流する中で、『みやじ豚も100年続く企業に』という思いが強くなった。

 

自分には子供はいない。しかし、みやじ豚を『継ぎたくなる会社』に育てていけば、誰かが手を挙げてくれるかも知れない。かつて豚舎があった敷地に、本社と食肉加工場、飲食店、パン屋、クラフトビール工場が入る施設を建設し、ここを未来のみやじ豚を担う次世代人材の育成につなげたいと考えている。

 

後継者にとっての原風景である家業。宮治は『家業には、自分の情熱の全てを注ぐだけの価値がある』と断言する。『家族や地域とのつながり、自分自身を形作ってきたものが、そこにはある。家業後継者にとっては、継いでから新たな人生が始まる。そんな風に言えるかも知れません』。

 

◆事業承継を、トータルで考える時代に入っているんだねえ。今までは、それこそ成り行き承継だっただが、これからはデザインされた承継の時代に入っていくのかも知れない。昨今、農業法人の活躍が目立っており、今での家業による農業から法人による農業への脱皮が進みつつある。が、多くの農業放棄地を見るにつけ、農水省の施策の打ち出しが少し遅かったようにも感じるねえ。自分達はつぶれないという、お役所仕事感覚なのだろうなあ。

 

■■<認知症の妻、『今を大切にしたい』>妻は昨年7月にアルツハイマー型認知症で『要介護1』と認定され、週2回デイサービスを受けている。私の勝手な考えだが、どんながんや心臓病よりなりたくない疾患だった。その病に、私ではなく連れ合いがかかってしまった。

 

駅のトイレの外で待っていると、妻が『お父さん、かばんがなくなっちゃった』と言ってきたので、女子トイレの入り口に初めて入った。買い物から帰宅して荷物の整理をしていると、『お父さん財布がない』と言われ、1日中探した。漢方薬を食前、別の錠剤を食後に服用しているが、私がその都度、その場で言わないと間違えてしまう。何度説明しても、デイさービスの日がわからなくなったと訴える日もあった。

 

ある日、仏壇の開き戸に、施設で綴った七夕の短冊が貼ってあるのを見つけた。そこには『家族が元気でありますように』とあった。我が家は今、息子も嫁も病気である。日々の介護生活に自虐的な気持ちでいる自分を恥じた。

 

ネットでこの病の雑多を調べ、数年後、妻は私の名前や存在さえ忘れてしまうのかも知れないと知った。今を大切にして、妻に接したいと思うようになった。(愛知県 男性81)

 

◆奥さんが認知症、大変な生活だろうと推察できる。人間、生まれた時から、必ず死ぬことを運命付けられている。が、往々にして元気な時には、その『死に至る』という現実を忘れてしまっている。そして、その死に至るまでのプロセスはまさに千差万別だ。私は幸い、この方とほぼ同年齢だが、まだ夏山にアルプスが歩けるし、日常的に里山歩きができる。この年齢になると、まさに千差万別の状態になる。10年前、知人が10万人に1人という奇病に犯されて亡くなった。まさに人は必ず死ぬという現実をはっきりと認識した生活を送りたいものである。