今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『アイガーグレッチャーに向かう登山電車からのスナップ・ユングフラウの氷河』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂高から難関ジャンダルムを超え西穂高にトライする麻莉亜』、パリオリンピック『日本勢金メダル第一号の角田夏実』。そして、ウイーンのリング沿いにある『市立公園』です。ここにはウイーンが生んだ有名な音楽家の像が立てられています。

 

『ドナウ川のさざ波』の『ヨハン・シュトラウス』、『冬の旅』の『シューベルト』、交響曲で有名な『ブルックナー』、数々の名曲で有名な『ベートーベン』などの像がある。『モーツアルト』は別の公園に像がある。かもが及び回る、閑静な公園ではある。

 

パリオリンピック柔道女子48キロ級で角田夏実選手が金メダルを獲得した。今大会、日本にとって最初のメダルで、これで日本が夏のオリンピックで獲得したメダルの総数は記念となる500個となった。

 

31歳でオリンピック初出場の角田選手は、得意技の巴投げと腕ひしぎ十字固めを繰り出して1回戦から準々決勝までの3試合はいずれも1分前後で一本勝ちとった。準決勝ではスウェーデンの18歳、タラ・バブルファス選手に得意の巴投げを再三かわされて互いに技のポイントがないまま初めて延長戦に入ったが、相手が3回目の指導を受けて反則負けとなり、決勝に進んだ。

 

決勝は、自身より世界ランキングが2つ上の2位でことし5月の世界選手権で優勝したモンゴルのバアサンキュー・バブドルジ選手と対戦した。角田選手は開始2分54秒に巴投げで技ありを奪い、そのまま優勢勝ちして金メダルを獲得した。

 

角田夏実選手は、試合終了直後にコーチと抱き合って喜び『ずっと目指してきて、コーチも喜んでくれていたのでよかった。いつもの大会と違い、プレッシャーが多かったが成長できた』と話していた。今大会、日本にとって最初のメダルを獲得したことについては『目をそらしてきたが、現実になってよかった』と笑顔で話している。

 

 

 

 

 

 

           <ヨハン・シュトラウス>

 

 

            <画家・シントラ―>

 

            <ブルックナー>

 

            <#5運命のベートーベン>

 

 

 

 

 

 

■■外の闇に突然大きな雨音がしたと思ったら、つぎに生あたたかいような風が吹いて来て、外はあっという間に激しい吹き降りになった。おまけに雷まで鳴り出し、家鳴りするほどの雷鳴が屋根の上を駆け抜けて行った。

 

はたはたと戸を閉める音がする。当然である。さっきまでは空気が淀んだように暑い夜で、どの家でも床につくまでのひとときを、少しでも涼を取ろうと戸という戸を開け放していたはずだった。

 

三屋清左衛門も例外ではなく、いそいで立つと隠居部屋の縁側の戸を閉めた。その間にも雨混じりの風がうなるような音を立てて部屋の中にまで吹きこみ、行燈の灯がゆらめいて消えそうになった。庭から塀のあたり、そしてその先の隣家の木立と屋根が、一瞬の稲妻に真昼のようにうかび上がるのを見ながら戸を閉め終えると、またしても大きな雷が頭上でとどろいた。

 

雨はいまごうごうと音を立てて降り、風にあおられて時々屋根や閉めた戸に、打ち叩くようなしぶく音を立てた。

――これで・・・。

少しは涼しくなるかなと思いながら、清左衛門は書見していた場所にもどった。

 

暑いから書物が読めないというものでもないが、清左衛門は近頃、暑さ寒さに対して以前よりもややこらえ性がなくなって来た気がしないでもない。気持ちはしっかりしていても、身体が言うことをきかないようでもある。これも老いの兆しだろうと、清左衛門は思うことがあった。

 

書見台の前に坐ったものの、清左衛門はすぐに書見にもどらず、降りしきる雨の音に耳を傾け、縁側の戸の隙間にうかぶ上がる稲妻の光を見つめていた。暑熱にうだっていた木々や庭の草が、雨を浴びて生気を取り戻すさまが目にうかぶようだった。すると、それにつながるようにして、まだ子供だった頃に見た頃に見たある光景が思い出された。

 

それは季節が今よりもう少し先、秋の入口のあたりのことだったろう。夜分に、清左衛門は隣家まで使いに出された。子供が外に使いに出るには、幾分遅い時刻だったような気もする。

 

■■<青木理カウンター・ジャーナリズム『冤罪への教訓・上』>静岡地裁で行われている袴田巌さんの再審公判が過日結審した。判決の言い渡しは9月26日。この期に及んでも検察は有罪立証に拘泥し、死刑求刑したことへの憤りの声も強いようだが、賢サカしげに記せば『予想の範囲内』ではあった。

 

この国では1980年代にも4件の死刑確定事件で冤罪が相次いで発覚し、いずれも再審で無罪が確定しているものの、4件とも再審公判で検察は有罪立証と死刑求刑に拘泥した。そう考えればいかにも官僚組織らしい『前例踏襲』。

 

また、静岡地裁が2014年に発した最新開始決定などは警察・検察による『証拠の捏造』にまで言及し、しかも死刑という刑罰は法務・検察が事実上差配する最高度の国家権力行使。『正義』と『無謬ビュウ性』を自ら毀損し、死刑という絶対不可逆な根幹を揺るがしかねない。

 

要は全て検察の面子と都合にすぎないのだが、他方で再審は無罪を言い渡すべき『明らかな証拠』があった際に開始される。だから私の生年でもある1966年に起きた事件で実に半世紀以上も被疑者、被告人、そして死刑確定囚として人生の時を簒奪サンダツされ、精神をも深く破壊された袴田さんがようやく雪冤セツエンを果たすのはおそらく間違いないだろう。

 

その弟に人生を捧げて支え続けた姉・ひで子さんに最近、ある雑誌の取材などで幾度か会った。『巌の人生と時を返せとか、巌をもとに戻せとか、そんな無理なことは言わないし、言っても仕方ない。せめて教訓を、同じ過ちを繰り返さないための教訓を引き出してほしい』と語ったひで子さんに、私は深い敬意を抱きつつ強く同感する。ではその教訓とは何か。

 

さして難しい話ではない――というより、この国の刑事司法に巣食う病は、本欄でたびたび指摘した通り、改めて言及するのが嫌になるくらい明確化している。ほんのいくつかを列挙すれば、まずは袴田さんのケースを含む近年の冤罪事件にほぼ共通する、やってもいないことを『自白』させられてしまう密室での長期かつ過酷な取り調べを根底から改善すること。

 

また、検察や警察が収集した証拠類の全量をきちんと公判廷に示させるkと。私達が付与した公権力を駆使して収集される証拠類は本来、私達の共有財だというのに、現実には検察・警察が独占し、被告人の無罪を指し示す証拠があっても隠されてしまう。(青木理筆)

 

■■<広島に2店目の『リーガロイヤルホテル』>ロイヤルホテルは、広島市平和大通り沿いで市内2カ所目となるホテルを開発する。2027年頃にオープンする。原爆ドームに近いリーガロイヤルホテル広島はパーティーや会合での利用が多いが、新ホテルは宿泊に特化する。市内では23年のG7も追い風に訪日客が増えており、観光需要を取り込む。

 

新ホテルは広島市中区の東平塚町で開業する。広島駅から路面電車で5分ほどで、繁華街の流川や薬研堀にほど近い地域だ。地上17階建てで167室のツインルームを設け、大浴場も備える。

 

リーガロイヤルホテル広島はサミットで各国の首脳会談の会場になった。予約受注などは両ホテル共同で実施する。

 

◆画像と、建設場所が東平塚町ということからみると、福山通運の西側角あたりtが想像されるねえ。でも、ここが中心部に近いといっても、ロケーションはあまりよくないねえ。中心部からはHILTONと同じくらいの距離にあるが、HILTONに比べてちょっと寂しい地区になっちゃうな。

 

■■<海自処分、『裏金議員にはなぜ甘い』>海上自衛隊と川崎重工の裏金問題、セクハラ、パワハラ、飲食不正、潜水手当、機密保持。自衛隊は気が緩んでいるのではないか。国民に防衛増税の負担を求めるなど、怒りを覚える。

 

ある野党議員は、自民党に多額の献金をしている三菱重工の会長が防衛省の有識者会議のメンバーであるのを問題視していた。軍需企業と政治の癒着はないのだろうか。海自の問題がいつから続いてきたのか、具体的説明がないのは、自民党の裏金問題と同じだ。

 

そして今回、防衛省は200人以上の自衛隊員を処分するというが、約80人の裏金議員への対応に比べると、自民党はいかに自分達に甘いことか。

 

政治資金規正法の改正議論は与党内では公明党が先行し、自民党は消極的だった。その一方で、自民党は改憲議論を国会閉会になっても粛々と進めている。

 

自衛隊を明記する改憲議論をする前に、やるべきことがあるのではないか。総理は自衛隊の最高指揮官ではなかったか。野党も閉会中審議で追及すべきだ。(朝日新聞投書 兵庫・男性71)

 

◆しっかり国民は見ているよねえ、『自民党議員の裏金問題』と、『海自と川崎重工の裏金問題』。安閑と簡単に処理すると、痛い目にあいますぞえ、岸田首相殿。