今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『アイガーグレッチャーに向かう登山電車からのスナップ・ユングフラウの氷河』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂高から難関ジャンダルムを超え西穂高にトライする麻莉亜』。そして、優しき花『フランネルフラワー』と、元気いっぱいの『ガザニア』です。ガザニアはとってもポピュラーな花の一つになりましたねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■『手当てをいそがれたらよかろう。それにしてもわざとやったとしたら、甚之丞め、怪しからぬ男だ』

『いや、むこうははじめからそれがしを打ち殺す気で来たようです。最後に頭を打って来た技は、実に避けようのないものでした。そこでこっちも、甚之丞の手首の骨を挫いてのがれたのです』

『ははあ』

 

清左衛門の目に、差そうとした刀を床に落とした甚之丞の姿がうかんで来た。

『それで、手当して行くように声をかけたのか』

『そうです。甚之丞が果し合いのつもりで来ることはわかっていたのに、うまく防げなかったのはこちらの不覚ですから』

 

『しかし木剣を折り、手首を挫いた技を見たかったな。あそこは思わず目をつむってしまったのだ。いや、実に・・・』

清左衛門は苦笑いした。

『何の役にも立たぬ立会い人だった』

 

2人が話していると、いつの間にか母屋から出て来たのか、そばに来た中根の妻女が、後ろからそっと中根にぬいだ片袖を着せかけた。

そうしてから妻女は清左衛門を犒い、母屋に寄ってくれと言った。

『むこに、お茶の支度がしてございます』

『いやいや、ご新造、弥三郎の手当の方が先、それがしはこれでお暇する』

と清左衛門は言った。

 

■■<ノーベル賞 本庶佑『オプジーポ・小野薬品との係争・Ⅳ』>岸本からの助言を受け、後日、稲盛財団が顕彰する京都賞の委員会で知り合いになった知財弁護士にも聞いてみたところ、契約条件について再交渉してもらえることになった。

 

条件の見直しがまとまりかけていた頃、今度は小野薬品とメダレックスを買収した米ブリストルマイヤーズスクイブBMSとが、オブジーポと似たがん免疫薬『キイトルーダ』を発表したメルクを特許侵害で訴えたのだ。

 

私は、小野薬品からこのメルクとの訴訟に協力してほしいと言われていたので、同時に提示だれた条件を前提にこれに応じることにした。

 

海外製薬企業の特許を巡る係争は熾烈なものだ。証拠集めということで、あらゆる実験ノートを提出させられた。メルク側の弁護士から容赦のない訊問があり、こちらの失点を導こうと根ほり葉ほり聞かれた。科学者としては想像を絶する壮絶な争いに巻き込まれてしまった。

 

17年1月、小野薬品・BMSとメルクの係争は和解が成立した。

 

製薬会社同士の紛争がようやく解決してよかったと思った。その後、私と小野薬品との係争が続いたことは広く知られているところである。

 

21年11月、訴訟協力や発明の対価に対する私と小野薬品との係争は、裁判所からの勧告もあって大阪地裁で和解した。

 

『アカデミアの研究成果によって産業界が得た利益を若手研究者に還元したい。私の願いが司法に聞き入れられたように感じた。(本庶佑筆)

 

◆本庶佑が262億円の支払いを求めて提訴したのは2020年6月。請求の対象はオプジーボに似た薬を製造販売する米製薬大手メルクから小野薬品が得る特許使用料の一部。小野薬品などはメルクを特許侵害で訴え、17年1月、メルクが約710億円を支払うなどの内容で和解した。全体の25%を小野薬品が受け取ると決まっていた。

 

小野薬品からメルク訴訟への協力を依頼された本庶佑は、同社が和解で得られる金額の40%を配分すると説明を受けたが、後に配分は1%と通知されたとし、差額分の支払いを求めている。小野薬品は、当初の提案を本庶佑が断ったので、契約は成立していないと主張していた。

 

◆係争が和解に至り、262億円を京都大学の基金として使用するとの解決だ。まさに、本庶佑ここにあり、だなあ。素晴らしい!

 

■■<『日本の君主』司馬遼太郎> 日本の幕末より少し前、プロイセン王国が突出した。プロイセンは英国式の産業革命を導入して成功させ、一方陸軍を増強し、遂に普仏戦争でナポレオン三世を破って、ドイツ帝国を成立させた。若い外交官青木周蔵にはドイツが目もくらむほどの華々しさに見え、それにひきかえ日本はたまらなく田舎として感じられた。『陛下、ドイツ皇帝ウイルヘルム一世はすべての権力を握って、自ら考え、自ら実行されているのでございます。陛下は何故政治を臣下にお任せになったままなのでありましょう』どうも、そんな議論を吹っ掛けたらしい。明治天皇はユーモア豊かな人だったから、こういう青木がおかしかったらしく、『青木、日本は伝統が違うよ』ともいわれず、ただ微笑(わら)って、彼が退出した後、参議の伊藤博文を呼び、『困ったよ、青木に日本のことをよく教えておいてくれ』といわれたという。

 

江戸期の長州藩では、藩主は歴世、“君臨すれども統治(実際に政治を執行すること)せず”ということが不文律になっていた。他の君主も、長州ほどその習慣が強くはないが、ほぼそのようなものであった。徳川将軍家も家康と中興の吉宗と慶喜の大政奉還を除いては、大方老中まかせで、その事がかえって泰平に寄与した。又諸大名の家でも、時に“名君”が現れ、財政建て直しの執行者になったりしたが、そういう例は稀だった。ただ、薩摩の藩主は執行者的な性格が強かった。特に斉彬などは英雄的な執行者だったが、在位わずか七年で、恐らくその執行ぶりが災いして、急死するはめになった。斉彬に近かった西郷隆盛などは、最後まで毒殺説を信じていた。

 

幕末の長州藩主・毛利敬親(1819~71)は、若い頃窮乏していた藩財政を大改革して大いに成功させたことを見ても、凡庸な人ではなかった。ただ動乱期に入ると、彼は伝統的な“統治せず”の姿勢に戻り、家中の派閥(中道・尊攘・佐幕)の上に立って超然とした。中道派が政権を取って穏やかな“航海遠略策”をたてた時も、『そうせい』であり、ついでに尊攘派が主導権を握って、下関通過の各国艦隊に砲撃を加えるという過激策を決めた時も、『そうせい』だった。さらに尊攘派が没落し、佐幕派が藩政を握った時も『そうせい』と言い、再転して尊攘派が権を取り、幕府による長州再征に対し藩の存亡を賭して抗戦しようと言上した時も『そうせい』だった。このため、世間では『そうせい候』と密かに呼んだりした。(司馬遼太郎著『日本の君主』)

 

◆『そうせい候』の話は、司馬遼太郎のいろんな幕末小説によく出て来る。『そうせい候』だったからこそ、長州は潘としての方向性を180度も転換して、維新へまっしぐらに突入することが出来たのであろう。

 

■■<イオン、福岡の『AI自動倉庫』稼働開始>イオンは、福岡市で自動倉庫を24日から稼働を開始した。廃車にAIを活用するなど人の作業時間を3割減らす。トヨタ自動車などが出資する商用車の技術開発会社と連携し、2030年までに全国に広げる。配送トラックに環境車も導入する。

 

倉庫の少人化とCO2の排出量削減の双方に挑む国内でも珍しい取り組みが動き出した。福岡市北部のイオンの倉庫。トラックが倉庫に着くと、19台のロボットの台車が大量の荷物を受け取って自動でレールに沿って走る。高さ6mの棚に商品を積んでいる。イオンは『ほぼ人の手を介さず倉庫の作業ができるようになった』と話す。

 

またネット経由でデータをやり取りする『コネクティッドカー・つながる車』の技術を使い、AIが車の走行状態や積載量の情報を即時に分析する。トラックが短時間で配送する最適ルートを見つけ出したり、積み荷に余裕のあるトラックを自動で優先的に手配したりする。人の作業時間は3割、総走行距離は2割減らせる見込みだ。

 

◆時代だねえ。AI全盛の兆しあり、だねえ。少子化、人手不足の時代、しっかりとAIでその穴埋めをしておくれな。