今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『登山鉄道からっ見下ろすラウターブルネン』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂高から難関ジャンダルムを超え西穂高にトライする麻莉亜』、7月13日の日経新聞裏表のカバーページです。そして、88年の歴史に幕を閉じた広島市千田町の『喫茶・房州』です。まさにこの閉店は時代の変遷を感じさせてくれます。ありがとう、房州、ですねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■『そうか、平八が歩けなりおったか』

『いや、そう決めつけるのはまだはやい』

と清左衛門は言った。

 

『医者は、たゆますに修練を積めば、中風の跡も目立たぬほどに歩けるようになるだろうと申したそうだ。病気そのものは軽いのだ』

『で、歩いているのか』

『いや、まだだ。床には起き上がっている』

『そこがあの男のふんぎりの悪いところだ』と佐伯が言った。

 

『事にあたってきわめて慎重、と言えば聞こえはいいが、要するに臆病なのだ。万事おっかなびっくりで、勇猛心が足らん。わしなら歩けといわれたら、あのへんの塀につかまってでも歩く』

『貴公のようにはいかんさ。人にはそれぞれの流儀がある』

と清左衛門は言った。

 

『自分の流儀を平八に押しつけてはいかん。いつだったか、子供の頃に貴公にいじめられたことをぼやいていたぞ』

『平八が、か? はっは』

佐伯が笑った時、おかみと酌取りのおけいが酒肴をはこんで来た。

 

肴はさっき言った小鯛の塩焼きで、ほかに豆腐のあんかけ、山菜のこごみの味噌和え、賽の目に切った生揚げを一緒に煮た筍の味噌汁、山ごぼうの味噌漬けなどが膳にのっている。

 

筍の味噌汁には、酒粕を使うのが土地の慣わしだった。

 

■■<TSMCとは何者かⅣ 『厳しいお父さん』>『尚石科技』の謝文景は『TSMCは本当に「鬼指導」でしたよ』と苦笑する。『たくさんの厳しい要求に応えて、改善して、このレベルに到達しました』。怒られてばかりだったという。洗浄能力、水の管理、廃水の処理方法など、『クレーム』はいくつにも及んだ。

 

例えば、靴の干し方。乾燥器を使うと劣化するため、『撮影NG』という特注の装置を使う。この手法で、乾燥時間を3時間から1時間に縮めた。洗剤も、試行錯誤を重ねて独自の調合にたどり着いた。他の顧客と比べても、TSMCの要求レベルは群を抜くという。

 

TSMCでは1日に1回以上、多い時で1時間に1回、作業服を着替えることがあるという。洗濯し、仕上がった作業服を工場の従業員にそれぞれの棚に1着ずつセットするまでが、尚石の仕事だ。24時間以内に納入しなければならない時もある。洗浄力や管理体制などは、今も直接チェックされる。コストダウンも求められる。

 

TSMCとは、どんな存在なのか。『厳しいお父さんのようです』。しばらく考え込んだ謝はこう表現した。『うちは1980年創業。TSMCより1年早く生まれているんだけどね』。

 

TSMCは人権や法令の順守、環境への配慮などの社会的責任を、企業の大小を問わず取引先に求める。そうした指導は『ボランティア』だという。『一緒に成長していきましょう、ということ』(TSMC社員)。

 

半導体は台湾の基幹産業だ。『台湾には半導体しかない』という言葉を何度も聴いた。その中心にTSMCがいる。

 

■■<パレスチナの伝統産業『オリーブオイルによる石鹸づくり』>寡聞にして知らなかったが、パレスチナの伝統産業の一つに石鹸づくりがある。千年以上の歴史を持つそうだ。原料はオリーブオイル。100%自然由来で肌に優しい。日本含め世界中にファンがいる。その脈々と継がれてきた技が今、戦火の中で消える寸前にある。

 

この石鹸を扱ってきたさいたま市の『ユアオーガニックス』は危機感を抱いた。『なんとか貴重な文化を残せないか』。先月、製造元『ナーブルスソープ』を支援するクラウドファンディングCFを始めた。工場があるヨルダン川西岸の治安が悪化し、操業を停止したまま。オリーブ畑の被害も深刻だ。

 

イスラエルとハマスの戦闘開始から9カ月が過ぎた。停戦交渉の動きが報じられる。『今度こそ』の期待は高まるが、先行きに悲観的な見方もある。出口の見えないトンネルが続き、世界の関心が薄れてしまうのではないか。ユアオらがCFを始めた背景には、広範な惨状にもっと目を向けてもらいたいとの思いがある。

 

ガザ地区ではシャワーどころか、飲み水さえ事欠く状況が常態化している。ふと、先ごろ日経歌壇にあった一首を思い出した。『石鹸が薄くなったら継ぎ足して ここまで来たね僕らの暮らし』。肌を滑る柔らかな泡の感覚に、幸せな日常をかみしめることもあろう。かの地に再びそんな日々を。一日も早く。(日経・春秋)

 

◆ガザ地区に現代のホロコーストを展開するイスラエル。イスラエルこそ、パレスチナに侵入したインベイダーだ。大戦の密約を背景に、英仏米を中心に、侵入を許した結果がこれだ。有償無償略奪などで、パレスチナ人の土地を収奪し、国連決議で返還が決議されているにかかわらず、イスラエルは新入国として平然としている。まさに、現代のホロコーストを展開するイスラエルに神の一鉄のあらんことを。広島市長はそんなイスラエルを、8月6日の平和式典に招待するそうだ。長崎市は招待を中止した。この両市の首長の思考形態もまた、とんでもないことなのだろうなあ。

 

■■<マンゴーの『ブランド化に取り組む元Jリーガー』、二刀流>サッカーJ3テゲバジャー宮崎と、希少種マンゴー『バルメロ』の販売やPRする会社の社長という、2つの顔を持つ『奥田裕貴』。『こんなに甘くておしいいマンゴーを作る農家が宮崎にいることを広めたい』。今に至る原点にあるのは、亡き父の姿だ。

 

大阪市出身の31歳。明治大卒業後、地域リーグを経て、24歳でJ3のYS横浜に入った。『現役を終えたら、どうなるんだろう』。憧れの舞台でプレーする傍ら、将来に不安を覚えた。

 

2019年、大阪で電気工事会社を営んでいた父が他界した。大勢の人が通夜に訪れ、父について語ってくれた。『いつか父のように尊敬される経営者になりたい』と決心した。

 

この年、J3ガイナーレ鳥取から宮崎に移籍。知人の紹介で長年マンゴーを栽培する農家の男性に会い、バルメロの甘味に『感動した』。手作業が多く、夏場は40度を超えるビニールハウスで働いていることを知った。

 

交流を重ねるうちに、パルメロの販売を任したいと言われた。『父を亡くし、喪失感があった時に、父のように支えてくれた。大好きな宮崎に恩返しがしたい』と父の会社を受け継ぎ、販売を手掛けるようになった。HPで品種開発の苦労や農家wの思い出を紹介。こだわりあふれる生産背景をアピールし、ブランド化を図る。

 

選手と経営者の『二刀流』が続く。『休みはないが、成長につながっている。マンゴーは夏場が旬。多くの人の手に取ってもらえたら』と話す。

 

◆Jリーガー後の、第2の人生について選手時代にはいろいろな心配もあるだろう。みなが満足な第2の人生というわけにはいかないだろうが、それぞれの道で懸命なる努力をしている。

 

似たような話で、沖縄でコーヒー産業を盛り立てたいと、元日本代表・磐田の高原直泰が沖縄SVを立ち上げ、サッカークラブとコーヒー農園の経営に乗り出している。クラブは、地域リーグから今、JFLに昇格している。今一歩でJ3にたどりつける。コーヒー園は5,000本の苗木を植え、将来に備え、沖縄の産業に発展させたいと希望を語る。時節柄、世界のコーヒーの生産高が落ちて、価格は高騰していて市場環境はは良い。