今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネン鉄道駅』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂高から難関ジャンダルムを超え西穂高にトライする麻莉亜』。そして、私が歩いたサンチャゴ巡礼路『ピレネー超え⑤終』です。イバニェタ峠を超えると、フランス領からスペイン領に入る。そして『サンティアゴ・デ・コンポステーラまで765km』という石碑に出会う。標高1430mのレポエデール峠からスペインを見下ろす風景は壮大だ。ナポレオンが『これはアフリカか』と言ったのもよくわかる。そして、道は下りに。緑のブナのトンネルを抜け、最初の宿営地ロンセシバージェス修道院に着いた。宿舎は真新しい2段ベッドで、レストランが付属しており、ステーキ定食+ワインハーフボトルが10ユーロ(当時の為替で1,100円)という簡便さだ。宿泊料も10ユーロ。このような旅が800キロ、35日続いた。まさに人生で忘れられないロングトレイルである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■みさは気を取り直したように、肴は小鯛のうまいのが入ったばかりなので、それの塩焼きはどうかとたずね、清左衛門がそれでいいと言うと、すぐにお茶をはこばせると言い残して部屋からさがって行った。

 

年若い酌取りのおけいがはこんで来た鳴戸の小豆菓子でお茶を飲んでいると、清左衛門は気持ちがゆったりとくつろいで来るのを感じた。家にいてくつろげないというのではないが、隠居の暮らしには、どこかに家の者に対する遠慮がある。

 

――喜和がいれば・・・。

また別だったろう、と今も清左衛門は熱い茶をすすりながらぼんやりと考えている。連れ合いには言えるわがままも、息子夫婦の前ではどうしても押さえがちになる。そういう遠慮をしないように、嫁の里江が気を配っていることはわかっていても、やはり亡妻の喜和に物言うようなぐあいにはいかなかった。

 

『涌井』に来て気持ちがくつろぐのを感じるのは、多分そういう小さな遠慮が、知らず知らずのうちにたまるせいでもあろうか。

――平八は・・・。

倒れても丈夫な連れ合いがいるからいい、と清左衛門が思った時、大きな声がして佐伯熊太が入って来た。

 

『どうした? うかぬ顔をしているではないか』

がさつなようでも町奉行という職掌柄か、佐伯は坐るとすぐに、そう言って清左衛門の顔をのぞきこんだ。

『うむ、今大塚平八のことを考えていたところだ』

『平八がどうかしたか』

 

『中風で倒れた』

『なんと・・・』

と言って、佐伯も暫時沈黙したのは、やはりわが齢ということが念頭をかすめたのかも知れなかった。佐伯熊太は、清左衛門たちより2つ齢上のはずである。

 

■■<TSMCとは何者かⅢ 『作業服洗濯もクリーンルーム並み』>細い路地を挟んで繊維や素材の町工場が連なる一角に、そのクリーニング会社はあった。4階建てのビルとはいえ、中には最先端の『クリーンルーム』があるとは塑像もつかない。

 

クリーンルームは、半導体や液晶パネルをつくる際、ごみやほこりが入らないように厳密に管理された密閉空間だ。この会社にあるのは、半導体工場と同じ最高水準の『クラス10』。およそ30cm四方の空間に含まれる微粒子が10個以下という徹底ぶりだ。

 

このクリーニング会社、『尚石科技』がTSMCの仕事を請け負って約20年。半導体工場のクリーンルームで着る作業服を尚石のクリーンルームでクリーニングする。

 

台北と新竹の中間にある産業都市・桃園に立つオフィス兼工場を、幹部の白陽涛と謝文景が案内してくれた。4階には、高さ2mを超えるタンクと、壁に沿って伸びる無数のパイプ、作業服を洗うのに用いる水の濾過装置だ。不純物をほぼ含まない『真純水』を自前でつくっている。

 

洗濯機は大型の特注品で、手前と奥の両面に扉がある。手前から作業服を入れ、電解水や超純水で洗う。洗濯後、反対側の扉から取り出すと、そこはクリーンルーム内だ。

 

半導体は『ナノ』単位(10億分の1m)の超微細な技術でつくられる。ほんの小さな粒子が混入しても不良品の発生につながる。必然的に、作業服も工場と同じ清潔さが求められる。創業時は純水処理の会社だったが、過当な競争に見切りをつけ、市場が成長しつつあったこの事業に転身した。

 

取引先は今では、半導体や液晶パネルメーカーなど200社に及ぶ。TSMCの仕事を請け負っていることが、信頼のよりどころになるという。

 

■■<千田町の喫茶店『房州』、88年の歴史に幕>広島市中区千田町で1935年に創業した喫茶店『房州』が6月末で88年の歴史に幕を閉じた。被爆して店は焼失したが、翌年には再建。戦後の復興も見守った広島を代表する店の一つだったが、建物の老朽化のため存続を断念した。店内に併設するフランス菓子店『ポワブリエールたかの橋店』も閉店する。

 

房州は、オーナーの市原菫永(78)の父、鈴木茂と母清子がパン店として開店した。原爆投下で爆心地から1.3キロの店は焼失したが、翌年には菓子と喫茶の店として営業を再開した。

 

店舗のそばの実家育った市原は『お昼時はサンドイッチやコーヒーを楽しむお客さんで満席だった』と子供の頃を振り返る。広島大の学生、市役所や近隣の会社に勤める人でにぎわったという。市原は20代の時、フランスで修業。74年には房州1階に『ポワブリエール』を開いた。

 

房州では県内で初めてクレープを提供した。市原の菓子やスープも人気を呼び、妻や亡き兄章永、両親ともに切り盛りしてきた。休業した時期もあったが、2008年からは、甥が加わることで店の歴史をつないできたという。

 

閉店を知った古い客から思い出エピソードや感謝をつづった手紙が届いている。市原は『みなさんに支えられていたんだなあ。ここまで続けてよかった』とかみしめる。

 

『培ってきた歴史と伝統を引き継ぎ、フランス菓子の魅力を伝え続けたい』としてポワブリエールは今後、中区舟入南の本店で営業を続ける。

 

◆私も、かつて房州にはお世話になった。千田町の北端の突端にある、目だった店だった。この場所から、信号を西にわたると鷹野橋商店街になる。その入り口近くには、日本で初めてモーニングを提供したといわれる喫茶店『ブラジル』がある。いずれも千田町界隈の人達に愛された店ではある。

 

■■<リコー『あえて今フィルムカメラ・・・大ヒット』>リコーが国内で21年ぶりとなるフィルムカメラの新型機を発売した。写真はスマホで撮るのが当たり前の『SNS世代』が主なターゲット。最近のレトロブームに応えつつ、カメラ本来の魅力の再発見につなげたい思いがある。

 

新製品は『ペンタックス17』。単焦点レンズを搭載し、1コマごとのフィルムの巻き上げは手動。撮影モードなどの調整はダイヤル方式で、レトロな風合いが楽しめる。35mmフィルム1コマの半分程度を使う形式を採用しており、フィルム1本で2倍の72枚分の撮影ができる。

 

こだわりは、SNSを意識してそのまま構えるとスマホのように縦長の写真が撮影できるところ。測光センサーによる自動露出制御といった最新技術も盛り込んだ。過去の図面も参考にしているが、単純な旧モデルの復刻ではない。商品企画担当者は『新規事業のつもりだ』と話す。

 

リコーは2011年。HPYAからペンタックス事業を買収した。ペンタックスブランドのフィルムカメラとしては03年4月以来の新機種となる。実売価格は税込み8万8千円前後。6月中旬に予約の受付を始めたが、申し込みが殺到しいったん停止。供給のメドがつき次第、新規予約を再開する予定だ。

 

フィルムカメラからデジタルカメラへの進展は急速に進み、カメラメーカーの再編などに繋がった。それでもフィルムカメラならではの画質などから、使い切りの『写ルンです』(富士フィルム)やインスタントの『チェキ』(同)などは若年層の人気も根強い。ただ、本格的な機種は中古市場が中心で、部品がないために修理にも困るケースも多いという。

 

一方、デジカメもスマホの撮影機能向上で市場は縮小傾向が続く。だが、カメラ映像機器工業会によると、主な国内メーカーの今年1~5月の総出荷台数は301万台で前年より9%増えた。

 

『コロナ禍の反動で一時的』(家電)とも見られるが、『スマホで代替できない需要が一定規模、出ている』(ペンタックス)と期待の声もある。リコーでは今回のフィルム機種への再参入をてこに、カメラ全体の需要も掘り起こしたい考えだ。

 

◆このジャンルでは富士フィルムが抜きんでたマーケティングを展開しているが、ペンタもこれに続いたんだねえ。だけんど、コニカミノルタを買収したソニーは苦節〇〇年やっと、キャノニコを追い越せる馬力を確保した。が、ペンタを買収したリコーは一体どうなっているか心配だねえ。オリがイメージング部門を売却したし、弱小メーカーは青息吐息だろうねえ。でも、しっかりペンタ17で頑張ってほしいね。私は今さらフィルムカメラなんて、という精神だ。