今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネンの花・フクシア』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングを終えた麻莉亜』。そして、季節の花『アジサイⅢ』です。アジサイも色とりどり、品種もとりどりで、賑やかでとっても華やかではあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■と言っても、小木慶三郎に会うのはたのしいことではなかった。足場のわるい雪道をすすむように、会見にはつらいものがふくまれているが、しかしあれだけの気持の負い目を、死ぬまで持って行くわけにもいくまいて、と清左衛門は思った。

 

隠居の小木慶三郎は在宅した。玄関に出て来た小木は、雪まみれでたどりついた清左衛門を怪しむように見たが、清左衛門に間違いないとわかると満面に笑いをうかべた。

『これはおめずらしい。さあ、上がってください』

『妙な時間におじゃまして申しわけない』

『なになに、雪のせいで暗くなりましたが、そんなに遅いわけではありません。まず、上がってくだされ』

 

いや、めずらしい方がみえられたものだと、小木は浮き浮きした声で言い、一緒に迎えに出た家の者には手短に何事か命じると、先に立って清左衛門を奥に案内した。

 

そこは小木の隠居部屋らしく、書見台の上に漢籍が乗っている。きれいに片付いている部屋だった。小木は自分で行燈と火桶の位置を移し、清左衛門を部屋の中ほどまで招き入れた。

 

久闊をわびる挨拶をかわしてから、清左衛門と小木は、無言で相手を見つめた。そして清左衛門は衝撃を受けていた。

御近習組勤めの頃の小木は下ぶくれに見えるほどの豊頬で、ひげの剃りあとが青く、いかにも自身に満ちた風貌をしていたものである。

 

だが今の小木慶三郎は鋭い眼の光こそ変わらないものの、別人かと思うほどに面変わりしていた。若い頃には隠れていた高い頬骨と、その下に続く殺いだような頬のくぼみ。そして小木の顔は全体に、長い間村回りを勤めて風に吹かれ、日に焼かれた痕をとどめて、鞣したように黒光りしている。

 

■■<ノーベル賞 大学生・本庶佑『早石研究室・上』>京都大学に入学した1960年の頃だったと思う。型破りな研究者が医化学教室の教授に着任した。早石修教授である。この人に出会うことがなかったら、私の人生は全く別次元のものになっていた。

 

早石先生は『オキシゲナーゼ 酸素添加酵素』の発見者で、世界を代表する生化学者だ。海外における研究歴が長く、米国の、いや世界の医学研究の総本山である米国立衛生研究所NIHで、当時の日本人としては珍しく数十人の部下を持つ『部長職』を務められた。

 

戦後の日本でも生化学研究は細々と続いていた。どこの大学もお金はないし人もいない。そんな折だから米国式の研究スタイルを『輸入』した早石研究室は京大内外で一躍、有名な存在となっていた。

 

来る者は拒まずというお考えだったようだ。先生は学部生でも興味があれば放課後、研究室に出入りすることを歓迎してくれた。

 

私は医学部2年生後半あたりから足しげく通った。医師になるための暗記や実習は退屈だったが、ここで研鑽する時間は楽しくて仕方なかった。基礎科学、研究の道を選んで正解だった、と日増しにその思いは強くなった。

 

早石研の名物として語り継がれていくのが、毎日昼休みに開かれるランチセミナーだ。教授、助教授、助手や大学院生ら数十人が集い、1本の論文を徹底論議する。毎回1人の発表者が『面白い』と思う英語の論文を紹介し『本当に面白いか』について意見を交わしあう。

 

発表者はそりゃ大変。『面白い』というのが実はくせものである。なぜ面白いかを伝えるには、参考文献だけでなく関連分野に関する『面白くない』論文にも目を通し、つけいる隙を与えないよう、理論武装しておく。(本庶祐筆)

 

■■<6月29日、カープ・菊池が救った!  9回に決勝弾『投手が毎回抑えているから』>

◇セ・リーグ 広島カープ2-1巨人(2024年6月29日 東京D)

 

カープ・菊池涼介内野手(34)が29日の巨人戦で値千金のアーチをかけた。同点に追いつかれた直後の9回2死から、左翼へ決勝の6号ソロだ。大瀬良大地投手(33)は6回1/3を零封し、35回1/3連続無失点に伸ばして球団歴代2位に浮上。驚異の防御率0・80とし、2―1の接戦勝利を呼び込んだ。貯金は再び今季最多タイの9。2位のDeNAとは3ゲーム差だ。

 

これがリーグ3連覇戦士の底力だ。同点に追いつかれた直後の9回、2死から菊池が価値ある一発を放った。左腕・バルドナードの外角チェンジアップを前で振り抜くと、打球は真っ赤に染まる左翼席に吸い込まれた。決勝の6号ソロだった。

 

『全然狙っていないですよ。たまたま良い角度でバットに乗っていったという感じ』。空気を変えた。1―0の8回、2死満塁となって新井監督は今季初めてマウンドに足を運び、直接激励した島内が同点を許した直後に見舞った全てを救う一撃。2回2死から打者21人連続アウトの悪い流れを打開し、東京ドーム5戦目にして今季初白星をもたらした。

 

『前回のマツダ(ヤクルト戦)からタイミングの取り方を変え、ボールの見え方は悪くなくなってきている』。3回にグリフィンの中前へ抜けそうな打球を軽快にさばくなど、自慢の好守で貢献する名手も打撃では低空飛行にあえぐ。打率・222。本拠地での試合後に一人居残り、黙々とティー打撃に励んだことも。今回は小窪打撃コーチとの対話で感覚をつかめたという。

 

『哲さんとしゃべって、これだな…という感覚があった。良くなるか分からないけど、それを信じてやっていくだけなので』。2回に二俣、矢野の連続長短打で先制して以降、打線は左腕・グリフィンに沈黙。一方的に押され、流れが相手に傾いていた試合を菊池のひと振りで勝った。新井監督は『相手も好投手なので、そんなに簡単には…ね。キクが本当によく打ってくれた』と最敬礼だ。

 

菊池は、野手の思いを代弁して言う。『投手が毎回抑えているからよい結果が出ていると思う。(大瀬良)大地が粘って投げていたし、リリーフもそう。投手の力は大きい。緊迫した試合が多いので引き締めて、我慢強く守っていくしかない。今日はみんなよい守備をしたと思う』。 ロースコアの接戦で際立つ投手力、さらには守備力。ナインを束ねつつ、要所でガッと牙をむく。百戦錬磨の34歳が頼もしい。

 

◆これが、開幕前評論家たちがそろって、『カープは5位か6位』と太鼓判を押したカープの現在地だ。投手陣が復活したね。加えて、若手が競争からいろんな努力、切磋琢磨をしている。矢野などいい例だ。カープ野球らしい、とてもいい曲面だねえ。終盤までにはスランプも何度か襲ってくるだろう。突破して、優勝杯を広島に持って帰っておくれな、新井監督!

 

■■<北海道浦幌町『ハマナスを化粧品に』>北海道浦幌町に、町花の『ハマナス』を使ったオーガニック化粧品を開発する会社がある。町民のアイデアを製品化して起業したのは、『地域おこし協力隊』として町に移住した『森健太代表(30)。肌への優しさにだわった商品は全国各地で販売され、人気も上々だ。町は人口減や過疎化が課題で、森代表は『雇用や働き方の選択肢を増やしたい』と意気込む。

 

浦幌町では子供達が地元に誇りを持てるよう、地域についての学習に注力してきた。その成果を発表する場で中学生がハマナスを使った商品開発を提案。2016年には『子供に「いつまでもきれいでいてほしい」と言われた』という主婦の話をきっかけに化粧品開発が始まった。

 

龍谷大学在学中に町内の滞在事業に参加し、卒業後に移住してきた森が開発の中心を担うことになった。『化粧品の知識もなく、ゼロからのスタート。一から勉強するしかなかった』。

 

町の畑で摘んだ花びらを蒸留し、化粧品やハンドクリームなどに加工する。町民らと使用感やデザインなどについて話し合いを重ねた。北海道の乾燥に負けないよう保湿力を高め、敏感肌の人や子供にも使えるよう、天然由来成分のみを使うことにもこだわった。パッケージには町内の子供らが描いたハマナスの絵を採用し、18年に販売開始にこぎつけた。

 

商品化にあたって森が設立した会社の名前は、アイヌ語で『私たち』を意味する『ciokayチオカイ』。『浦幌の町民みんなでつくり上げていこうという思いを込めた』。

 

ハマナスは美白効果が期待されるビタミンCやしみを防ぐとされるポリフェノールの含有量が多く、購入者からも『使用感や香が良い』と好評だ。商品は全国130の百貨店や雑貨店などで販売されるまでになった。

 

森代表は『さらに『販路を拡大し「ハマナスといえば浦幌」というような地域ブランドにしていきたい』と意欲を語る。

 

◆まさに『努力に追いつく天才なし』だねえ。素晴らしいことではあるなあ。『成せばなる何ごとも。成さぬは人の成さぬなりけり』だなあ。お見事だ、素人から化粧品会社を立ち上げたエネルギーって本当にすごい!