今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレンに登るペア』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、そして、『チェコ・プルゼニュのスナップ』です。『プルゼニュ』、ドイツ風の呼び名で『プルゼン』。世界で普通に飲まれている『ピルスナービール』の発祥地です。プラハから西に2時間の旅。

 

『ピルスナー』は、チェコのプルゼニ(ピルゼン)地方を発祥とするビールのスタイルの一種。淡色の下面発酵ビールであり、明るく輝かしい黄金色の色味とともにホップが生む爽やかな苦味を特長とする。

 

1842年にバイエルン人醸造家ヨーゼフ・グロール(de:Josef Groll)によってプルゼニで開発された。ピルスナービールはチェコの誇る世界最高品質のジャテツ(チェコ語版)産ザーツホップ(en:saaz hops)とモラビア産淡色モルトを原料とし、プルゼニ地方特有の軟水によってバイエルン式下面発酵ラガー製法により醸造されている。

 

現在、世界中で醸造されているビールの大半はピルスナースタイルである。ただし、世界各地のピルスナービールは使用する原材料により味わいもさまざまである。チェコスタイルは明るい黄金色で中程度の苦みと独特の香りを持ち、麦芽とザーツホップのみを原料としている。

 

チェコが我々が普通に飲むビールの発祥地とは知らなかったねえ。さらに、チェコのビールにまつわる有名な話は『バドワイザー』。もとはチェコ、ピルスナービールのブランド名だったが、アメリカ企業がこれを買い取り、今では『バドワイザー』は世界に流通するビールの王様である。歴史って面白い。

 

 

 

          <プルゼニュのビール工場>

 

 

 

 

 

 

 

             <市役所>

            <ナチスに開放された碑文>

 

 

 

 

           <プルゼニュの鉄道駅>

 

 

 

 

 

■■『それはちと、つれなくないのか。小木慶三郎といえば、近習組の頃はお主とならんで出来物の名が高かった人物じゃないか』

『わしなんぞは、小木の足もとにもおよばなかったさ』

清左衛門はにがい気分で言った。すると佐伯が突然に咳きこんだ。真赤な顔をして、しばらく咳きこんでから、佐伯が潰れた声で言った。

 

『小木のところへ行くのか』

『ひさしぶりにたずねてみようかと思ってな』

『途中でころばぬようにしろ』

と佐伯が言った。

 

『雪道は歩きにくいぞ』

『なに、気をつけるさ』

清左衛門は腰を浮かせた。この部屋は、やはり暑すぎるようだと思った。ふと気づいて、中腰のままで聞いた。

 

 

『この前申した、江戸に行った2人。あれは帰って来たかの』

『黒田と村井か』

佐伯は今度は鼻紙を出して、騒々しく洟をかんだ。そして、まだもどらんと言ったが、その声はさっき清左衛門を部屋に迎えた時よりも、さらに鼻声になっている。町奉行の風邪は、どうやら本物になる気配だった。

 

『まことか』

『まだ、もどらん。じつに不思議だ』

『黒田は江戸詰で行ったわけではなかろうな』

『いや、違う』

 

あまり強く洟をかんだので、鼻の頭が真赤になっている町奉行は、首を振った。

『朝田家老の使いで出府したことは確かだ。使いの中身はわからんがな』

 

■■<栴檀は二葉より芳し『ノーベル賞受賞本庶佑の少年期・下』>中学時代の部活は一時、演劇部にいたことがある。顧問の先生から『スカウト』されたのだ。理由は聞かされなかったが、背が高く顔立ちがはっきりしていたので、舞台映えすると思われたのかも知れない。

 

公立学校といえども当時は今の社会のような平等主義教育ではなかった。弁論大会への出場や生徒会長への立候補も結構、先生からの指名があった。勉強ができた故のいわゆる依怙贔屓というやつである。

 

演劇部では秋の文化祭に向け、半年ほど前から準備を始める。シナリオを選出し配役を決め、放課後に練習する。演目は『なよ竹のかぐや姫』。要は『竹取物語』で中学生にも演じやすいように先生が脚色した。

 

私が演じたのは求婚に来る貴族。相手方のかぐや姫をやったのが1年下の菅真子さんだった。菅直人元首相のお姉さんである。ほかに東大医学部研究所付属病院長になった浅野茂隆君や林芳正官房長官の母方の叔父にあたる俵田亨君。麻生倶子さんら年をとってからも交流のある仲間ができた。

 

中学時代にもう一つ、父との間で忘れられない思い出がある。家でよく将棋の相手をさせられた。もちろんいつも負けていたのだが、ある日、互角の戦いになった。

 

私は次の手を指すまで30分ほどの長考になった。友達相手だと『早くしろ』と言われるが、父は一切せかせなかった。黙って待ってくれた。

 

そして指したのがとてもいい手で結局、初めて父を負かした。深く考える、よく考えると、妙手が浮かび、道は開ける。そんな自信につながった。

 

以来父は『祐、将棋をやろう』とは言わなくなった。(本庶佑筆)

 

◆少年時代の鮮やかなる記憶だなあ。私も確か小学生頃、父と将棋を指したが、勝った覚えは一切ない。今も将棋は苦手である。

 

■■<岸田政権『政治改革』に値せず、権力におごり>自民党派閥の裏金問題で失墜した政治への信頼を、取り戻すきっかけさえつかめぬまま、国会が会期を閉じた。

 

自民党議員の2割を超す82人が組織的に関与した裏金問題の本質は、領収書1円でも間違わずに申告して税金を納めている国民への裏切りだ。リクルート事件以来といわれる政治不信を解消するには、単に事件の再発防止だけではすまない。35年前に自民党が政治改革大綱で『多額の政治資金の調達をしいられる政治の仕組み』を抜本的に改革すると宣言した宿題に答えを出すことが必要だった。

 

ところが、政治にカネがかかる構造は変わらず、政党交付金として受け取る税金の他に企業団体からも献金を受けとれる仕組みを温存。支出先も用途もわからないカネのやりとりは10年間伏せる。これでは『政治改革』の名に、とても値しない。

 

裏金づくりのシステムをいつから誰が始め、誰が続けたのか、いまだに分からない。事実解明が不十分だから処分も甘い。党役職停止1年となった1人は裏金を原資に税金の優遇を受けていたが、新たな処分もない。自派閥が立件された岸田文雄首相も無罪放免だ。けじめのない姿に、党の若手や地方組織から首相退陣論が続出している。

 

反省が見えぬ背景にあるのは、政権復帰から11年余権力の座にある奢りだ。国民は事件について、いつか忘れる。森友問題・加計問題、桜を見る会で批判されても、力任せに疑惑を否定し、選挙で負けなかった。バラバラな野党にさえ勝っていれば、政権転落も議席を失うこともない――。

 

国民感覚からここまでずれた政治を正す手段はただ一つ。向う1年半以内に、衆院選も参院選もある。投票用紙に向き合う瞬間まで、政治の惨状を記憶に刻みこむしかない。(松田京平筆)

 

◆しっかし、よくよく考えてみると、日本の政治体質は、日本国民の水準に相応のものであるということだろうな。かつての腐敗事件にも強く反応せず、自民党を奢りの世界に追いやっている責任は国民にあるのだ。よって、国民がその責任をもって政治の腐敗を追及し、正さなければいつまでたっても『腐敗政治』は続く。まさにローマ時代の『パンとサーカス』の堕落したローマ市民達と同じレベルの日本国民と言って差し支えないだろう。次の選挙でも自民党を勝たせれば、千年、万年経っても日本の政治浄化は進まないことを証明することになるなあ。情けなき、また貧しき日本国民ではある。

 

■■<上川陽子外相『うまないし、うめない人もみな女性』>好事魔多し。やっちまったよ、初の女性総理候補が。最近なぜか『ポスト岸田』に急浮上の上川さん。張り切り過ぎたのか、『地元』静岡県知事選挙の応援演説で『うまずして何が女性でしょうか』とやっちゃった。

 

報道が発言の一部を切り取ったことは事実だが、政治家は切り取られても耐える発言をしなきゃ。

 

女性の中には『うまない』選択をする人、うみたくてもうめない人がたくさんいる。ちなみに、女性の未婚率は18%、男性は28%。このうち『不本意未婚』、つまり結婚したくてもできない人が40%を占めている。

 

政治家なら、まずこの状況を直視しなくちゃ。そういえば、岸田政権の『異次元の少子化対策』、あれはただの『子育て支援』なんですけど。

 

◆これはサンデー毎日のコラムだ。この、岸田政権の『異次元の少子化対策』、あれはただの『子育て支援』なんですけど、まさに真実、核心、ダメ内閣を刺しているなあ。困ったもんだねえ。