今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレンからの下山道スナップ』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、色鮮やかな『ベラルゴニウム』と、清楚さが美しい『ローダンセマム朝霧小菊』です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■成瀬喜兵衛は、三度の食事にも興味を示さなくなり、家の者が強制して膳の前に坐らせなければ、飯を喰おうともしない。そうかと思うと、裏の菜園から抜き取ってきた大根を、洗いもせずにかじったりする。

 

そして夏の終りには、もっとおどろくべきことが発見された。成瀬喜兵衛は、夜夜家人が寝静まった頃に家を抜け出し、朝帰りするようになった。それがまた、どこをさまよい歩いているのか手足も着ている物も泥だらけで、本人は疲労困憊して倒れるように家にたどりつくのだという。

 

『信じがたい話だ』

清左衛門はつぶやいた。事実とすれば痛ましい話だ。

 

成瀬喜兵衛は、長く御勘定目付を勤めて先年隠居した人物だが、喜之助と言っていた若い頃は無外流の中根道場で師範代をしていた。清左衛門たちの剣の先輩である。鬼の喜兵衛と呼ばれた荒稽古で有名だった。とてもいまからボケるような人間には思えない。

 

『あの人はいくつだったかな』

『齢か』と佐伯は言った。

『われわれより4つか5つ上のはずだ』

『すると59か、60か』

清左衛門はにわかに身辺がうすら寒くなったような気がした。

 

『人間、そのぐらいではやボケるものかのう』

『人にもよるが、めずらしいわけでもなかろう』

と佐伯は言った。そして佐伯はさらに続けた。

 

『われわれも、そろそろそういう年配に来たということだ。お互い気をつけぬとな』

『気をつけろと言っても、ボケというやつは突然に来るじゃないのか』

『そうには違いないが、よく身体を動かし、気持ちに張りを持って暮らしておれば、いきなりボケるということもなかろうて』

『そうか』

 

■■<人気農家は元管理職・下『オーガニックに挑戦』>学校などでオリーブ作りを一から学ぶ時間の猶予はない。インターネットで本場イタリアやスペインの文献を読み漁るなど、剪定や育成方法などの知識を習得した。

 

新参者が他と同じ事をやっていても成功する可能性は低い。借り受けた狭い畑で利益を上げるには付加価値が欠かせない。『国産のオーガニックオイルにはニーズがあるはずだ』。独自の有機栽培に活路を見出した。

 

最大の敵は害虫だった。無農薬を徹底する一方、実や枝を食い荒らされれば、木がまるとご枯れるリスクがある。自宅で観察を繰り返し、夜に産卵する習性を掴んだ。生態が分かれば、天敵を撃退する精度も高まる。軌道に乗り始めた。

 

地道な作業を続け迎えた12年秋、初めて実を収穫。SNSで販売を告知すると、『市場に出回らない生の実を求めていた』などと反響が広まり、瞬く間に完売した。

 

『オンリーワンで勝負する』。16年10月に自家搾油所を設立し、扱う商品はせっけんや茶なとと広がった。畑の面積も40倍に拡大した。自然相手に紆余曲折ありながら、たどり着いたのは『自分のペースで手の届く範囲で』という姿勢だ。企業でがむしゃらに働いた経験を踏まえ、それが長く働ける秘訣との考えに至った。

 

何よりも、反対していた妻が、今は生きがいとして取り組んでいることがうれしい。自らが経営者として21年4月、自宅庭にカフェと直売所を開設。2人の姉と一緒に切り盛りする忙しい日々を送る。

 

42歳で退路を断ち、夫婦で覚悟を持って決めた転身から14年。不安は希望へと変わり、それぞれが等身大で挑むスタイルが心地よい。

 

◆まさに、世の中凄い人がいるもんだねえ。お見事、としか言いようがない!

 

■■<立志伝中の人、インドネシア『ジョコ大統領』の横顔>1961年6月21日、ジャワ島スラカルタの大工の家に生まれた。誕生時の名前は『ムルヨノ』と名付けられた。幼少期は貧困家庭だったため、貧困家庭の子供を受け入れ対象としていたティルトヨソ・ソロ第112小学校に入学し、12歳の頃から父の家具工房を手伝うようになった。3度に渡り立ち退き処分を受けたが、この経験から官僚的な行政への不信が幼心に刻まれ、後年のスラカルタ市長就任時の政策に影響を与えた。

 

第112小学校卒業後はソロ第1中学校に入学。ソロ第1高校への進学を希望していたが、受験に失敗したためソロ第6高校に進学し、卒業後はガジャ・マダ大学林業学部に進学し、木材加工について研究した。

 

1985年に大学を卒業し、アチェ州の木工業会社に就職するが、社風に馴染めず帰郷し、叔父の経営する木材会社で勤務した。1988年に第一子が誕生し、同時期に家具製造輸出会社を設立した。当初の経営は順調だったが、詐欺被害に遭って一旦倒産し、1990年に母から3,000万ルピアを借りて会社の再建を行った。主にヨーロッパの企業を相手にして実績を伸ばし、また仕事を通じて目にしたヨーロッパの都市計画の効率性は、後年の政治家としての政策に反映された。

 

◆『スラカルタ市長』 2005年、スラカルタ(通称ソロ)市長選挙に闘争民主党の候補として出馬して36.62%の得票を獲得し、市長に当選した。当初、政界転身に家族は猛反対したが、実現させたい政策を訴えて、賛成はしないが支持はするというところまで説得した。

 

市長就任後、ジョコはスラカルタの都市開発にヨーロッパ式の都市計画を採用し、市場・歩道・公園の整備、医療保険改革、国際会議やイベントの招致、観光都市としてのジャワ文化の振興などの政策を推進した。文化振興の面では、2007年にワールドミュージックフェスティバルを開催し、2008年10月には世界遺産都市機構のメンバーに加入した。また、市内の街路樹の伐採規制を強化して緑化に努め、頻繁に市内を巡り市民と直接意見交換し、都市計画の入札から親族の企業を排除するなどの庶民的・公正な姿勢が支持され、2010年の市長選挙では90.09%の得票を獲得し再選した。

 

◆『ジャカルタ州知事』 2012年にジャカルタ首都特別州知事に就任。2012年11月、低所得者向けの無料医療サービス制度・ジャカルタ保健カード制度を導入。低所得層が医療サービスを受けられるようになった一方、医療機関の負担が増加し、州財政への負担も大きいと批判を受けた。

 

2013年、老朽化した公営市場を改修し、露店を強制撤去して公営市場へと移転させる再開発を進めた。また、スラムの拡大を防ぐためのカンプンクム(スラム)再生計画を実施。州政府と民間企業が費用を負担し住宅を建設し、スラム住民に引き渡した。

 

2014年2月12日、局長8人を含む州政府幹部26人の更迭を行い、人事を刷新。汚職疑惑の浮上していた幹部や人事評価に基づく能力の低い幹部を、閑職の知事開発促進チームに配属した。

 

◆『インドネシア大統領』 2014年7月9日に投票が行われたインドネシア大統領選挙に出馬。選挙戦では政治変革や汚職撲滅を公約に掲げ、スハルト元大統領の娘婿のプラボウォ・スビアント元陸軍戦略予備軍司令官との一騎討ちを制して、同7月22日に選挙管理委員会より当選が発表された。

 

地方の零細企業家から地方首長というルートを経たジョコ大統領は、エリートでも軍人でもないインドネシアで初めての大統領である。

 

◆インドネシア大統領といえば、財閥系か軍関係かのエリート層から選出される人が多い。そんな中で、新しいインドネシアを作る熱意を込めて大統領になった『ジョコ大統領』、『45年に先進国入りする』公約実現に向けて、頑張ってほしいねえ。

 

■■<メキシコ女性大統領就任、シェインバウム氏が圧勝-議会選も与党躍進>6月2日投開票のメキシコ大統領選は、ロペスオブラドール大統領率いる左派与党、国家再生運動(MORENA)のクラウディア・シェインバウム氏が地滑り的勝利を収めた。前メキシコ市長の同氏はメキシコ初の女性大統領となる。

 

任期満了で退くロペスオブラドール氏の人気が追い風となったが、次期政権は国内で横行している犯罪や多額の財政赤字への対応が急がれる。シェインバウム氏(61)は10月に大統領に就任する。

 

選挙管理当局によれば、シェインバウム氏は対立候補に得票率で少なくとも30ポイントの差をつけて勝利した。大統領選は事実上、女性候補同士による一騎打ちだったが、上院議員を務め野党連合から出馬したソチル・ガルベス氏は大敗を喫した。

 

同時に行われた上下両院選でも、MORENAは一段と勢力を伸ばした。与党側は下院で3分の2の議席を獲得し、上院でもそうし勢いを維持できると期待している。与党側がこれだけの多数派となれば、憲法改正を承認する権限をシェインバウム氏に与えることになる。

 

メキシコの経済研究教育センター(CIDE)のアンドルー・パックスマン教授(歴史学)はシェインバウム氏の当選ついて、『ロペスオブラドール大統領の功績に対する感謝の表れであると同時に、シェインバウム氏自身への期待の表れでもある』と指摘。

 

その上で『議会との将来的な関係がどうなるか疑問符が付く』ため、シェインバウム氏が有能なリーダーであり続けられるかどうかは今後を見なければならないと述べた。

 

大差での勝利はシェインバウム氏の政策課題の議会通過に有利に働くものの、なお残る根本的な疑問は、同氏の政権はロペスオブラドール政権の延長に過ぎないのか、それともメキシコが直面する最も差し迫った課題に対処するため重要な改革を目指すのか、という点だ。

 

ロペスオブラドール氏が目指したものの実現できなかった司法・選挙制度改革をシェインバウム氏が推し進めるかどうかの不透明感から、投資家の間に懸念が広がっており、投資家は次の大統領をけん制し続けられる強力な野党勢力を望んでいた。

 

その一方で、一部のビジネスリーダーはシェインバウム氏が民間部門に一層友好的な姿勢を示し、ロペスオブラドール氏が実施した国家主義的なエネルギー政策の変更に一段とオープンな兆候があるとみており、今後の動きが注目される。

 

◆大統領候補者が2人とも女性というメキシコの大統領選挙。日本はまだまだ女性後進国だねえ。一体何が原因なのか、はっきりさせてほしいなあ、岸田首相よ!日本の政界も『年功序列型』なのかもねえ。情けない国になっている。今の時代、一番必要なスピードが欠けているねえ。