今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレンからの下山道を飾る花達』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』、昨夜対阪神戦でノーヒットノーランを達成した巨人の戸郷翔征投手。そして、春を告げる花『アリッサム』です。紫色と白色、なかなかの美人花ではあります。
★巨人戸郷翔征投手のノーヒットノーランは、史上89人目、101度目の偉業。首位阪神に対し、エースの投球を見せつけた。外野後方への当たりは打たれながらも、安打は許さなかった。3回には及川雅貴投手が放ったボテボテの投ゴロを戸郷が悪送球、5回には先頭の糸原健斗内野手の一塁への当たりを岡本和真内野手が弾いてしまい、カバーの戸郷と競争でセーフとなったが、記録は岡本和の失策となった。9回は先頭の木浪聖也内野手にこの日初となる四球を与え、犠打で1死二塁とされるも、近本光司外野手を一直、中野拓夢内野手からこの日5個目となる三振を奪って試合を締めた。9回123球を投げて、1四球5奪三振の内容だった。ノーヒットノーランを達成したのは昨年9月9日の山本由伸(オリックス)以来。球団では2018年の7月27日の山口俊以来、甲子園での達成1992年6月14の湯舟敏郎(阪神)以来となった。巨人の投手が阪神戦で達成したのは、プロ野球初となった1936年9月25日の沢村栄治、1937年5月1日の沢村に次いで3度目。甲子園での試合に限ると36年の沢村以来88年ぶり2人目となった。
<阪神を相手にノーヒットノーランを達成した戸郷>
■■――怯えてしまっている。
と清左衛門は思った。あまり肝の据わった男ではないことはわかっていたが、それにしても予想以上の怯えようで、清左衛門は呆れるよりも心を痛めた。金弥はこの後、人の笑いものになるぞと思ったのである。
金弥がまた顔を上げて清左衛門を見た。すがるような眼つきをした。金弥は血の気を失って蒼白になっていた。その青白い顔に痙攣するように泣き笑いの表情がうかんだり消えたりし、あとひと押しすれば、殴り合うまでもなく金弥が泣き出すことはあきらかだと思われた。
清左衛門は金弥と顔を見合わせていた。怯え切った目に、なぜか責められているような気がしていた。
小沼金弥の異様な様子は、ほかの者にもすぐわかったらしく、じきに低い私語や失笑する声が聞こえはじめた。清左衛門は人の輪から一歩前に踏み出した。笑いものになることは防げないとしてみ、金弥の傷を浅くしてやることは出来るだろうと思っていた。
真直ぐに吉井彦四郎を見て言った。
『金弥のかわりにおれが相手するよ。かまわんだろう』
『やめろ、三屋』
低くドスの利いた声で、佐伯熊太が言った。
『小沼にやらせればいいんだ』
『どうする』
佐伯にはかまわずに清左衛門がさらに言うと、吉井彦四郎はちらと金弥を見てから言った。
『いいよ』
無口な彦四郎が答えて、落ちついたしぐさで袴の股立ちをとると、まわりを取り囲んだ少年たちは騒然となった。清左衛門も小刀を熊太に預け、十分に身支度をして彦四郎の前にすすんだ。
突然に清左衛門は拳で頬を殴られた。口の中に血の匂いがひろがったと思う間もなく、今度は彦四郎がどっと組みついて来た。彦四郎は、背丈は清左衛門に劣るが、幅のあるがっしりした身体を持ち、俊敏な動きをした。
しかし先手を取られた清左衛門も、つぎの彦四郎の動きは察知出来た。体をひねって脇の下に首を抱えこむと、拳を固めて彦四郎の頭を殴った。だが清左衛門の身体は、彦四郎に後ろから抱えられてふわりと浮き、次の瞬間強く地面に叩きつけられていた。
■■<夜ふけのなわとび『高知愛プラスⅢ「お帰りなさい」』>さて、校友会総会は土佐料理のお店で行われた。50人以上が集まっている。校友会会長はじめ、地元の皆さんは、エンジンのことも、私の高知愛のこともよくご承知であった。
『理事長に「お帰りなさい」と言いたい』
とおっしゃってくださり感激する。そして私はまず昨年の不祥事を謝罪。実は私達が全国を回っているのもこのためなのだ。
最初はやや固い雰囲気であったが、やがてお酒が入り楽しい宴会に。
カツオのタタキや鶏鍋などご馳走が次々と出て来る。高知の財界の方々がずらっと揃って、私の隣りの席は、あの有名なミレービスケットの社長さん、向かいは酔鯨の社長さんであった。特別な瓶を差し入れてくださる。
私は日本酒だとすぐに酔うのであるが、おいしくていくらでも入る。
まるっきり酔わない。
『おたくのリジチョー、よく飲むね。大丈夫かね』
と離れた場所に座る秘書は言われたそうだ。しかし高知の空気は私とよほど合うのか、ビールも日本酒もがんがんいける。お酒がはいるほどにどんどんお喋りになる私。
『リジチョーは、本当に気さくな人だねー。テレビで見るとおっかないけど』
『あれは記者会見ですからね。私は明るくて面白い人キャラでずっとやってきたんですよ』
二次会でバーに連れていってもらったが、ここでもウイスキーをたっぷり飲んだ。しかし酔った感覚はまるでなく。私のごひいきの水田製菓もすぐに見つけた。
『日本一おいしい芋ケンピ』
という私の色紙もちゃんと飾ってくださっている。いっぱいおまけもいただいた。
『知り合いもいてハヤシさんって、本当に高知に詳しいですね』
『当たり前じゃん。私、ずっと観光特使だったんだよ。ハンパなく高知好きなんだよ』
3日後、ミレービスケットがダンボールで届いた。先輩ありがとうございます。
今の私は高知愛プラス母校愛であります。(林真理子筆)
■■<重くなるEV『環境に重荷』>車が重くなっている。世界で普及するEVはバッテリーの重さと性能が比例する。ガソリン車に比べるとタイヤの摩耗が進みやすくなり、粉塵のもとになる粒子状物質が3割増えるとの試算がある。排ガスを抑えたはずのエコカーが環境の重荷となる皮肉な構図が浮かぶ。
乗用車は安全性や人気を意識して大型化し、重さが増えてきた。この傾向にEVが拍車をかけた。バッテリーを大量に積むほど長い距離を走れるため、重くなりがちだ。
航続距離最長は中国上海のNIOのET700で930キロ。重さは一般的なガソリン車の倍近い2,600キロ。米テスラのEVトラックは最軽量モデルで2,995キロ。人気のガソリン車、フォードF-150より3割以上重い。
影響は多岐にわたる。米国では23年、国家運輸安全委員会が『全ての道路利用者の安全に大きな影響を与える』と注意を呼び掛けた。車が思いと事故が大きくなりがちで、死亡や重症に至る恐れが高まるという。
目に見えない問題もある。重い車体はタイやに負荷をかける。OECDによると、摩耗で生じる粒子状態の『PM10』はガソリン車からEVへの移行で3割増える。より小さく肺の奥に入りやすい微小粒子物質『PM2.5』も同様だ。
タイヤなどから生じる粉塵リスクに各国の規制当局も関心を寄せる。既に粉塵の計測手法の国際標準化に向けた議論も始まっている。
かねてEVはリチウムなど資源や電源の問題を指摘されてきた。粉塵のリスクを制御できなければ、走行時はクリーンという触れ込みもあやしくなりかねない。技術開発と規制の両面で改めてバランスを探る必要がありそうだ。
◆思わぬEVの伏兵だねえ。かねてから指摘する人も見られたが、日経が1面トップで報じたので、この問題は否が応でも表舞台に飛び出してきた感があるねえ。
■■<『95歳の斬新な作品に驚嘆』>第56回中国短編文学賞の発表があり、優秀賞の『コバルトブルーの空』を書かれた人は95歳とあり、作品に年齢は関係ないと思いつつ、正直すごく驚嘆した。
大賞の『クラゲのリンネ』は、さすがというほかはない。ベニクラゲを軸に、ここまで想像を膨らませていけるとは・・・。優秀賞の『送り鐘』も、お盆のことで、こんなに考えを発展していけるとは、すごいの一言だ。
そして『コバルトブルーの空』を77歳の私が読み進めるうちに、もうびっくりした。本当に95歳の方が書かれたのかと問いかけたくなったほどだ。若者達が登場し、学校の教室や原爆資料館、戦時と現代が交錯していく斬新なストーリーで、とてもよかった。
作者の方の思いが記事に載っていた。昨年広島市内で開かれたG7サミットで首脳達が原爆資料館を訪れたのに、ひどくやけどを負った被爆者の写真を見なかったことを知り、被爆者の怒りを込めて書いたという。その思いが伝わった。(中国新聞投書 広島市女性77)
◆◆『コバルトブルーの空』 武谷 田鶴子作
もの憂い空に混濁した白い雲が広がり、ポッ、ポッ、と灰色の雲が散らばり、孤独に点在している。
「洋子、ヒロシマの空は、雲まで変になった」
ゲンバクでひどく顔をやられた美羽が言う。
「そうかなぁ」
「そうだよ」
美羽は強い口調で言った。
美羽はクラスの中でも際立つ美人だった。秀才だった。先生が教室を出ると、美羽はすばやく黒板の前に立ち、先ほど先生が説明した事とは違う解釈を、大きな字で書きなぐっていた。男子学生が、止めろ、止めろよ。いつも、同じことをやられては辟易(へきえき)だ、と言ったけど美羽は怯(ひる)むことなく書きつづけていたが、クルリと身体(からだ)を男子学生に向けると、津山、よろしかったら実存の概念を披露してよ、と艶然と命令した。
指名された津山くんはゆっくり立ち上がり黒板に向かい、実存哲学の概念を几帳面(きちょうめん)な字で書き綴(つづ)った。
はらはら、はらはらと雪が舞いはじめた。美羽は、イーゼルにかけた50号の絵に目をやっていたが、いきなり手に持つ筆で大きなバッテンを入れた。
真っ赤な絵の具が散り、舞い散った小さな粒子は床に点々と赤い色を置いた。
「何をするの。折角(せっかく)いい絵を描いていたのに」
私は叫んだ。
「あんたの絵ではございません」
美羽は吐き捨てるように言うと、顔をクシャクシャにして、
「彼が死んだの」
「彼? 誰なの?」
「知ってるくせに。津山よ」
「津山くん、美羽の彼?」
「私、もしかして洋子の彼を横取りしたかも」
私は泣きそうな気分で美羽を見つめた。
あまりにひどい美羽。いつも女王様のように威張り勝手すぎる。「津山が言ったわ。僕には好きな人がいる。そう言ったわ。ところで質問。キスは何回やった。セックスは?」
「美羽、酷(ひど)いこと言わないでよ。津山くんは真面目な人間よ」
「洋子がそう言うのであれば安心したけど、津山は…愛は信じるのが難しいと言ったわ。津山は原爆症で死んだのよ」
「いつ?」
ゴン・ゴン・ゴン鐘が鳴り響く。
津山くんが死んだ。
私の心臓がゴクン、ゴクンと波打つ。
「被爆していたら、みんな原爆症で死ぬ」
「美羽、違うわ」
「どう違うのよ」
「はっきり言えないけど、運命だったのよ」
「バカ、そんな事で津山は死なない」
美羽は私を睨(にら)みつけていたが、
「会いたいなぁ。津山に」
「一緒に生活していたんでしょ」
「残念なことに、津山の親は許して下さいませんでした」
「どうして?」
私は泣く美羽の肩を抱き、
「死んだら会えるじゃないの」
「私は死にたくない」
美羽の火傷(やけど)の盛り上がった皮膚が、カサカサ揺れ、憎々しく私を見つめた。
嵐のような雨が屋根を叩き、降りつづいている。
「許せないのよ、何のためのG7だったの」
部屋の明かりが美羽の横顔を照らし、美羽を美しく見せている。 さや、さや、黒い心が流れるように舞う。
黒い心は、私の心ではない。
美羽の心でもない。
何かを憂い、何かを予告しようとする黒い心。
ズタズタに荒々しく引き裂かれた刻は、私と美羽のすき間をそっと通り過ぎる。
「美羽、私たち助かっただけでもいいわね」
「助かる? そんな甘い事ではないわ。津山は死んだ。津山は私の恋人。私を好きだと言った。私を抱いて深く愛した。ハンサムで優しくて―だけど私を置き去りにした」
「美羽、はっきり言うわ。津山くんは私が好きだった人。好きな人を美羽は奪ったのよ」
「あら、洋子、津山が好きだったとは。洋子にもそうだったのね」
私の顔は複雑と言ったところ。
あの空襲警報が発令された日、私と津山くんは真っ暗な部屋に一緒にいた。
B29の爆音が聞こえると私はガタガタ震え始めた。津山くんは静かに呼吸をしているようだった。私も静かに呼吸をしようと頑張っていた。すると津山くんが低い声で大丈夫か、と言った。私は、爆弾が落ちて私は死ぬかもしれないと言うと、その時は僕も一緒だと言った。私怖い。私、変な夢を見たの、ガタガタ、何かわからない物が押し寄せて私を押し潰(つぶ)そうとしたの。すごく怖かった。津山くんが、大丈夫だよ僕が守ってあげる。津山くんは私を抱きしめた。私たち何時(いつ)死ぬか判(わか)らない。永遠に僕たちは一緒だ。僕は愛する洋子を守るんだ。津山くんはもっと強く私を抱きしめた。風が激しく吹きまくり、津山くんは私の上に覆いかぶさり、熱い息を吹きかけた。私はあえぐ声をおしころしていた。我慢する事はない。津山くんは私の耳に吹き込んだ。私は、ウウウウ、ありったけの声を張り上げた。
私は、美羽を見つめた。
「感じ悪い目」
美羽は私を睨みつけた。
「美羽、津山くんはキスが上手だったわ。優しく抱いて、甘く時が止まった感じ」
「そうでしたか。私の感想は、簡単に言えないよ」
冴え冴えと冴え冴えと暗い光がそそぐ。
冴え冴えと甘い光がそそぐ。柔らかい声が聞こえ優しい口調で言う。愛の呪縛はすでに終わったと。
だが、違うと私は言う。何かが違う、愛はいつまでも消えない幻のように、激しく燃える炎のように。
津山くんが私に言った。人生を豊かに生きよう。
パタン、パタン哀(かな)しい音がする。
パタン、パタン希望の無い音は擦(かす)れながら、パタン、パタンと続く。
パタン、パタン。
美羽の目に怒りが溢(あふ)れている。
「なぜ、観(み)なかったのよ。すごく大切な事なのに。G7の国の代表の方々は。広島であったG7だったのに」
パタン、パタン私の心が大きくうねる。うねりはだんだん大きく波動し、くねくねとたくましくうねりつづける。
それは、ゲンバクへの怒りではない。 もっと大きな事への怒りだ。
コバルトブルーに晴れわたった空の一点から、ゲンバクは赤と青と緑の原色で輝き、私と美羽の頭の上で破裂した。
一瞬空気が震え、暗黒の世界になった。
目を開いても何も見えない暗黒だ。
痛い、痛い、と泣き叫ぶ声がドラムを敲(たた)くようにはげしく続き、突然止(や)むと空気はもっと暗黒さを増した。
閉じ込められた真夏の八月の空気は、ドギドギした乱れを鎮め、沈黙した。
暗い中、グッと伸びた手が私に迫り、ねっとりした感触を私に与えた。
擦れた声が苦しい、苦しいと叫ぶ。
べったりと私に張りついた手が、ビリビリ響き、私の心の痛みは、ビリビリ、どこまでも、どこまでも、ビリビリ。
黒い空気が消えた。
明るい光が射し込み、
私の肩に頭を置く人の顔が見えた。
目も鼻も口も、大きく膨れ上がった顔にのみ込まれていた。
広い空間にポツンと建つ原爆資料館の中に、大きく拡大され、展示されている被爆者の写真がある。学生のような青年のような写真だ。私が初めてその写真を観たとき、火傷の酷さに私は一瞬ビクッとなり、身体をこわばらせた。
だが、しっかり目を開き見つめると、青年が荘厳に見えてきた。 ゲンバクに遭い、ゲンバクの直撃に遭い、その残酷さを、青年はそのままの姿で証言している。痛み苦しみ怖さ、すべてを昇華させ、観る者を見つめる。
科学者たちは核兵器を開発した。恐るべきことに人間を殺そうと考えた。
人間が、同じ人類の人間を殺そうと考えた。
人間は、科学の前では脆(もろ)く弱い存在だ。
しかし人間は、生きる力を持っている。
生き続けようという勇気がある。
天地が暗黒の世界になったとき、青年は毅然(きぜん)と顔を上げ、誤った科学者の不道徳を視線を反らせず眺めていた。
青年はゲンバクの真実の何かを知っている。青年は、後遺症に苦しみながら生きる被爆者に、もっと生きろと訴えている。
私は青年が力強く訴える言葉に弾かれ、深く頭を下げ、ありがとうと言った。
青年が訴えているのは、
“ゲンバクの怖さを知る被爆者は、体験した怖さを伝えるべきだと言っている”
私は幾度かゲンバクの怖さを語ろうと努力したが、体験した事ではなく、心の中に存在する怖さを語るのは難しく、他の人にどう伝えたらいいか、理解されるよう、頑張ったけど難しく、伝えたい言葉は、木の葉が風に舞うようにパラパラ、壊れてしまった。
理解され難いゲンバクの怖さを、写真の青年は高らかな声でなく密(ひそ)やかな声でゲンバクの怖さを、体験していない人に訴えつづけている。
青年は観る者を真っ直ぐみつめ、語りかけている。
青年は、言葉ではなく熱い空気で語りかける。
青年が語る言葉が聞こえないとき、あまりに小さな声だから聞こえないとき、青年は言う。
「怖さを想像してください。そうすれば理解できます」
想像、それは人間が持ちうる最大の宝物。
淡い光がゆらゆら漂う中、青年の呟(つぶや)く語りは、重々しく聞く人の耳に伝わっていた。
美羽に誘われて私は原爆資料館へ行った。
たくさんの修学旅行生であふれている。
「たくさん来てくれているけど、戦争を知らない子供たちに被爆者のことが分かるんかな」
高校生らしい女子学生が美羽に目を合わせ、丁寧に頭を下げた。
「あんた何処から来たの?」
「東京だよ」
「ゲンバクがどれほど酷い爆弾か知ってる?」
「平和学習で習ったよ。放射線で人間をやっつける爆弾でしょ」
「間違っていないけど、放射能の怖さが理解できる?」
「体験していないから分かりません」
「その程度か」
美羽は、プイと横を向いた。
私は、中学生らしい一群に目を向けた。
賢そうな女の子が私に微笑(ほほえ)んだ。
「原爆資料館の見学に来てくれて嬉(うれ)しい」
「先生が大切な資料館だからしっかり見学するよう言われました」
私は女子中学生と並んで歩く。
学生は広島の街にゲンバクが落ち、バッと街が変化するところは興味があるようだったが、被爆者の写真が飾られているところに来ると、速足で通り過ぎようとした。
「ちょっと待って」
私は、女の子の手を持った。女の子は固くハンカチを握りしめていた。
「怖いの?」
少女は首を振った。
「この写真、ゆっくり見て」
少女は目をつぶった。少年が少女に近寄り、手をつないだ。
「目を開けてよ。この青年はゲンバクの怖さを訴えているの」
「何も聞こえません」
「僕は聞こえます」
「ピアノを弾くの?」
「はい。ショパンをよく弾きます」
「耳がいいんだ。この写真の青年は、核兵器の怖さを小さい声で訴えているの」
少女が何処(どこ)か走って行った。
少女が帰ってきた。
「津山くん、先生が教えてくれたの」
「そうか」
「私たち原爆と言うけど、核兵器と言うのだって。核兵器は空中で炸裂(さくれつ)して、放射能を放射線状に撒(ま)き散らしたの。私たち、レントゲンをかけるとき部分的でしょ。だけど被爆者は頭から足先まで放射能を浴びてるのだって」
少女は泣きそうな顔で、
「怖いですね」
と言った。津山くんも同じ言葉を言った。
「津山くん」
私は名前を呼び、
「一緒に歩こう」
少女と少年の津山くんと私は並んで歩く。
「あ、先生だ」
少女が言った。私は先生に頭を下げた。すると先生が、
「有難(ありがと)うございます。生徒たちはしっかり知識を深めました」
春風のような快い風が吹き過ぎる。
先ほどの少年が私に走り寄り、
「僕のおじさん、原爆症で亡くなったのですが、みんな変な病気だと言っていた意味がよく分かりました。原爆症に罹(かか)らないよう気をつけて下さい」
ぴょこんと頭を下げると走り去った。
「津山くん」
私は、恋人の津山くんの名前を呼んだ。津山くんが弾いていたショパンの{別れの曲}が頭の中にひびく。
ピアノを弾く津山くんが、彼が座る椅子に私を座らせた。二人並んでピアノを弾く。津山くんが別れの曲を弾きはじめた。私も同じように弾く。津山くんは弾きながらわざと私の手に手を重ねる。重なるたび、私たちは頬っぺたをくっつけた。度々くっつけていると津山くんがグッと私を抱きしめた。津山くんと私は長いキスをやった。
美羽が、
「洋子、問題発生よ。たくさんの学生が被爆者の痛みを知ろうと見学に来てるのに、G7のお偉方、酷い被爆者の写真をなぜ観なかった。もったいないわね」
「もったいない」
「何も得ることが無いのを、指の間から砂が零(こぼ)れると言うけど、G7の方々、何か得るものあったのかしら」
「核兵器とは違う所にあったと思うの」
美羽は悲しそうに、
「はるばる遠くから広島へ来たんだよ。被爆者の写真、広島へ来ないと観られないんだよ」
「そうだね。あの青年の写真だけでも観て欲しかった」
美羽の目が潤み、
「学生さん、たくさん来てくれて嬉しかったよ」
「時代は、核兵器、核戦争、さむい時代になりそう」
美羽が深い溜息(ためいき)を吐いた。
私はコバルトブルーの空をじっと見つめた。
被爆者の怒りを込めて
◆受賞の知らせを聞き、うれしくて気分がふわふわしています。昨年、広島市内で開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、首脳たちが原爆資料館を訪れたのに、酷く火傷した被爆者の写真を見なかったことを知り、被爆者の怒りを込め、作品を書きました。タイトルは、晴れ渡った空から、原爆が赤と青と緑に輝きながら舞い落ちてきた、8月6日を表しています。核兵器の恐ろしさを知る者として、核廃絶を願い、書き続けたいと思います。
◆たけや・たずこ 1928年、広島市吉島本町(現中区)生まれ。山中高等女学校に進学し、16歳の時に、爆心地から約1・5キロの千田町(同)で被爆。身体にひどい火傷を負い、7カ月間全身が硬直し、苦しい日々を過ごした。核兵器廃絶を願い、「記憶の断片」(2002年)「まいちゃん、それから」(08年)などを自費出版。「函(はこ)」同人。趣味は読書、食べ歩き。東区在住。
◆まさに『人生100年時代』の見事な作品だねえ。とても素晴らしいことではある。