今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレンからユングフラウ氷河の遠望』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、

『高知牧野植物園の花たちⅤ』です。ま4月の晴天の日、すっかり植物園を楽しませてもらいました。

 

 

 

 

             <モモイロタンポポ>

 

            <ハゴモロギク>

 

 

 

 

             <シレネ・アルメリア>

 

               <バーベナ>

              <キバナルピナス>

 

           <ルピナス・テキシエンシス>

 

           <アネモネ・コロナリア>

 

            <ナンオウツツジ>

 

 

 

 

■■日は町のむこうに落ちかかっていて、清左衛門が歩いて行くと、家々の屋根や木立の間を、綱わたりのように一緒に移るのが見えた。足もとの地面からは、見えている日が残して行った、焦げたような埃っぽい熱気が立ち上って来る。清左衛門は眼を足もとに落とし、道場で平松与五郎から聞いた話を思い返そうとした。

 

・・・金井奥之助は・・・。

息子がしたことを知っているのだろうかと、清左衛門は思った。

金井の息子がどういう人間かは、平松の話だけではよくわかったとは言えないが、反対派の会合にもぐりこむといったことは、ひとつ間違えば刃物沙汰になりかねないきわどい行為である。ただの偏屈や軽はずみ、または胆力の誇示などといったことで出来ることではなかった。

 

その行為から清左衛門が嗅ぎつけているのは、ある種の熱狂の気配、べつの言い方をすれば凝り固まった使命感といったようなものだった。

 

――おそらく・・・。

祐之進というその息子は、朝田派に献身を誓っているのだろうと清左衛門は思っている。平松が言ったように、偏屈をうわさされる男なら、献身ぶりもおのずと熱狂の色彩を帯びるのかも知れない。

 

しかしいくら熱狂の傾きがあるといっても、祐之進という男が、それだけで命懸けの危険な役目を買って出たとは思えなかった。金井の息子なら、父親が150石の家禄を25石に減らしたことを子供の頃から頭にきざみつけているはずである。派閥に対する献身の裏には、当然削られた家禄を復活したいという願望があるに違いない。

 

そう考えると、案外金井奥之助は息子の無謀な行為を知らされていないのではないかという気もした。かつて金井がぽろりと洩らしたところによると、隠居の金井は家族に疎んじられて暮らしているようだった。かつて思うことがうまく運ばずに家禄を減らした男が、年老いてそのむかしの失策を家の者に責められているということだったおうである。

 

――いずれにしろ・・・。

金井の息子の朝田派への加担が、父親の奥之助との合意によるにしろそうでないにしろ、30年前の三屋家と金井家の選択、どちらの派閥を選ぶかという争いが、またぞろ再現されることになったのはたしからしいと清左衛門は思った。

 

■■<『石』に魅せられて⑨ 『東芝の上場廃止』>2023年11月22日、上場企業としての東芝の『最後の株主総会』が開かれた。日本を代表する総合電機メーカーの上場廃止が正式に決まった。

 

東芝に30年勤めた横浜市の50代男性は、仕事の合間を縫って会場に足を運んだ。『ここで言わなければ、一生思い残すと思って』。質疑応答で思いの丈を述べ、会場を出て、ひと言つぶやいた。『上場廃止、ざまあみろ』。

 

男性はこの7年半前、東芝にリストラされた。1986年、半導体の設計エンジニアとして入社した。東芝の半導体は当時、世界トップクラスを誇った。USBメモリーなどに使われる『NAND型フラッシュメモリー』を世界で初めて開発した。

 

男性は入社後、ファクスなど一般の電化製品の半導体を担当。設計図は紙に手書きした。耐久試験や製造工場での量産の立ち上げ、納入後の故障にも全て対応した。製品の企画から設計、製造、販売までを手掛ける事業手法は『垂直統合型』と呼ばれ、日本の総合電機メーカーはこの手法をとっていた。

 

一方、世界では分業制が主流となり、投資を一つの分野に集中させた。日本の半導体や家電などの電機産業が衰退した遠因だとも言われる。ただ、そこには現場の誇りがあった。『自分の手を動かして、全て分かっているのがエンジニアなんだ』。

 

2010年頃から、本社の『社長直轄』で新規事業の立ち上げに携わった。社内に憤りを抱き始めたのはこの頃だ。同僚は出社して朝食を取りながら、世間話で時間をつぶしていた。上司に新しい事業を提案すると反対され、うまくいけば手柄を横取りされた。『世の中の役に立ちたい』と目を輝かせていた人が、変わっていく。社内の権力争いは、目を背けたいほどだった。

 

『純粋なエンジニアが評価されなくなった。一から生み出し、創造する、日本の「匠」が失われた会社になった』。15年、その後の上場廃止にもつながる不正会計の問題が発覚した。男性の部署は経営陣の辞任とともに事実上、解体され、真っ先にリストラの対象になった。週2回、会議室に呼び出され、ロボットのような口調で淡々と退職を求められた。

 

16年3月30日、本社近くのホテルで高そうな幕の内弁当を食べた後、両手に紙袋を抱え、タクシーに乗り込んだ。後部座席でひと言も発さず、ただうつむいていた。

 

■■<生涯の月謝『一升瓶1本、吉野作造』>吉野作造は、生涯で払った月謝は1升瓶1本という、大変な秀才だった。宮城県の北の方の古川という町の尋常小学校に入る時に、当時は寺子屋に毛が生えたような小学校だから、父親がこの子をよろしく頼みますと1升瓶を持って行った。授業料は生涯その酒瓶1本だけだったのだ。

 

古川の小学校の方でも、当時、宮城県には1つしか中学校がなかったが、こんな頭のいい子はそこへ進ませようとするし、仙台の中学校の方も、元は藩校ですから、むしろ優秀な生徒を集めたいので、月謝はいらないから、うちの中学へ来なさいということで、月謝を払わない特待生になった。中学校は5年間あるが、その間もべらぼうな秀才なので、旧制二高は、一高へ行かないように、中学校在学中に旧制二高に来てほしい、来てくれたら授業料は要らないという。そして旧制二高時代に、今度は東京帝国大学から来るのだ。来てくれたら特待生で授業料は要らない、というふうになる。そういう形でずっと月謝を払わずに東京帝国大学教授にまでなった、大変な秀才なのだ。(井上ひさし筆)

 

◆『吉野 作造』:(1878年〈明治11年〉1月29日 - 1933年〈昭和8年〉3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家。『民本主義』という訳語の提唱者。袁世凱の長男、袁克定の家庭教師。『黎明会』の設立発起人。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。

 

◆凄い人なんだねえ。この事例を聞くとふと、あの『山川健次郎』を思い出す。山川健次郎は、朝敵会津藩白虎隊の出身ながらなんと『東大総長』を務めた人だ。

 

山川健次郎は、会津藩出身で白虎隊士(途中離脱)として明治政府と戦ったが、後に国費で米国留学をして東京帝国大学に登用された。東京帝国大学理科大学長、東京帝国大学総長、明治専門学校(九州工業大学の前身)初代総裁、九州帝国大学初代総長、京都帝国大学総長、旧制武蔵高等学校校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。

 

嘉永7/安政元年(1854年)、会津藩士・山川重固の三男として生まれた。万延元年(1860年)、父の重固が没し、兄・大蔵(後の山川浩)が家督を継ぐ。

 

明治元年(1868年)、会津戦争。若松城開城後、猪苗代に謹慎の後、越後に脱走、長州藩士・奥平謙輔の書生となる。明治4年(1871年)、斗南藩再興のあと、アメリカへの国費留学生に選抜されジャパン号で渡米。明治8年(1875年)、イェール大学シェフィールド理科学校で物理学の学位を取得し帰国。明治9年(1876年)、東京開成学校(翌年、東京大学に改編)教授補になり、アメリカ人ピーター・ベーダーの助手を務める。明治12年(1879年)、日本人として初の物理学教授になる。明治21年(1888年)、東京大学初の理学博士号を授与された。

 

明治34年(1901年)、48歳で東京帝国大学総長となる。東京学士会院会員に任命される。明治37年(1904年)8月22日、貴族院勅選議員。明治38年(1905年)、日露戦争後に、政府を非難した教授が処分を受ける事件(戸水事件)が起こり東大総長を辞任。

 

明治40年(1907年)、安川財閥(安川敬一郎・松本健次郎親子)の資金拠出による明治専門学校(現九州工業大学)の設立に協力、初代総裁となる。明治44年(1911年)4月1日、九州帝国大学の初代総長となる。大正2年(1913年)5月9日、再び東京帝国大学の総長となる。6月21日、九州帝国大学名誉教授。

 

大正3年(1914年)8月19日、澤柳事件を承け、京都帝国大学の総長を兼任する。大正9年(1920年)、東京帝国大学の総長を退任。

 

昭和6年(1931年) 1月16日、化膿性中耳炎のため東京大学病院に入院。治療中の1月23日に胃潰瘍を併発して吐血する。その中耳炎は治癒したものの胃潰瘍は改善せずに衰弱し、6月半ばからは呼吸困難に陥り、6月26日に池袋の自邸で死去。

 

◆吉野作造も稀にみるすごい人なれど、山川健次郎はまた、まっことすごい人ではある。日本人の先代達はすごい人達がいたんだねえ。感嘆するねえ。