今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『登山鉄道、ミューレン駅』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、『高知牧野植物園の花たちⅢ』です。4月の太陽を浴びて、植物園内の花々が笑顔で迎えてくれました。
<シルバーカーペット>
<ルリカラクサ=ネモフィラ>
<ストック>
<アメリカサイフリボク>
<ガマズミ>
<ファセリア ブルー・バル>
<ヒメムラサキハナナ>
■■清左衛門はあいまいに首を振った。その男は、旧知のひねくれ者金井奥之助の倅に違いあるまいと思ったが、奥之助の名前は口にしたくなかった。
『本人は知らぬが、父親を知っている』
『そうでしたか』
平松はうなずいたが、べつに深く穿鑿する様子でもなかった。うす笑いを顔にうかべて口調を変えた。
『金井の勤めは、大方は山村回りであまり目立たなぬ男だと言いますが、偏屈者という見方が一部にはあるそうです。諜者を引きうけたのも多分・・・』
と平松が言った時、道場の隅ではげしい叱責の声が起きた。2人の少年をならべて怒っているのは高弟の土橋謙助だった。
大きな声におどろいて、ほかの者も竹刀の手をやすめてそちらを見ている。清左衛門も3人の方にあごをしゃくった。
『土橋は何を怒っているのかな』
『怒られているのは野添森三郎と戸川章吾です』
平松も揉めている道場の隅に顔をむけた。
『2人はこの春頃から急に仲が悪くなって、何かというと角突き合っておるのです。と言っても、これといった深い仔細があるわけでもありません』
『ははあ』
『われわれにもおぼえがありますが・・・』
と言って、平松はちらと白い歯をみせた。
■■<『石』に魅せられて⑦ 『復権プロジェクト、国が翻弄』>1959年、5千人以上が犠牲となった伊勢湾台風が名古屋を襲った。停電で真っ暗の部屋で小学校で作ったゲルマニウムラジオのニュースが響く。母は『よかった。通り過ぎたみたい』と安心した。自分の手作のラジオが役に立ち、上田潤(75)は得意げだった。
東大で物理工学を学び、大型コンピューターの計算スピードに興味を持った上田。卒業後には、コンピューターを作っていた沖電気工業に入り、半導体を開発した。だが、上田は40代の半ばから20年もの間、半導体の研究開発の現場から離れる。94年に半導体メーカー10社で立ち上げた『半導体産業研究所』に出向したためだ。
日本の半導体産業の『復権』を目指す。それが各社が協力して立ち上げた組織の目的だった。設立の前年、世界でトップシェアを誇ってきた日本の半導体出荷額は、米国に抜かれていた。上田は復権のための戦略づくりを狙う。
日本を追い落とした米国は、半導体を戦略物資として官民一体で強化してきた。対抗するには日本ももまずは民間が一体となった産業政策が必要だと上田は考えていた。ところが国の政策に翻弄され続ける。
『せめて瀬戸内海にかける橋1本くらいの支援は、お願い出来ないでしょうか』。本州と四国を結ぶ大橋の総工費は3本で1兆円を超えた。当時、半導体への国の支援は年間で100億円に満たなかった。上田は橋1本分でも、現状とは桁違いの予算になると通商産業省の担当者に訴えた。
『他の産業に比べれば十分多いですよ』とあしらわれても、上田は引き下がらない。『半導体が世の中を変えるんです。半導体は安全保障そのものである。米国は、国防総省が金を出している』。それ以上、担当者は何も言わない。政府内で半導体が重要視されていないことは明らかだった。
■■<銅線ケーブル約1000メートル窃盗容疑 カンボジア人を再逮捕>太陽光発電所から銅線ケーブル約1000メートル、700万円相当を盗んだとして群馬県に住むカンボジア人の窃盗グループが再逮捕された。
群馬県に住むカンボジア国籍のオック・ケマラ容疑者(29)ら5人は1月、千葉県野田市の太陽光発電所から銅線ケーブル約1000メートル、時価700万円相当を盗んだ疑いが持たれている。
警察によると、オック容疑者らは夜間にフェンスを破って侵入し、銅線を盗むとその後、車で持ち去ったとみられている。5人とも茨城県の太陽光発電所から銅線を盗んだ疑いですでに逮捕されていた。警察は他にも余罪があるとみて調べている。
群馬県では去年、太陽光発電所での銅線窃盗が前の年の8倍にあたる1000件以上発生した。北関東を中心にカンボジア人グループの摘発が続いている。
◆折しも、北関東の過疎地のポツンと一軒家を狙った強盗が連続発生していた。これも、ベトナム人犯人が逮捕された。日本国内の人手不足で、外国人を招き入れるのはいいが、滞留期間を過ぎても不法滞在して、結果金に困り犯罪に走るというケースが多くなっている。政府は後追い政策でなく、先手政策で外国人不法残留者の犯罪撲滅を目指すべきだ。
■■<朝晴れエッセー『われ哲学者』>ふるさとの菩提寺で妻の一周忌の法要を終えて家に戻ってくると、また独りの生活が始まった。ふるさとでは兄弟姉妹や息子家族に囲まれ、孤独感や寂寥感とは無縁であっただけに、なおさら独りのわびしさにさいなまれる。
人生100年といわれる。でもまだ100歳の人に出会ったことはない。私は今、82歳。そうすると、まだ先はある。妻がいれば、妻のために頑張って健康で100歳までは生きるぞと言えるが、さ~て誰のために何のために生きるのかと、少々哲学的思考となる。
友人からは、『生きているだけで、誰かのためになっているんだぞ!』とハッパをかけられたが、それだけでは善しとしない。誰か特定の個人、団体あるいはコミュニティーに、見える形で役立ちたい。そうすることで、私自身もやりがいを感じ、生き続けるファイトもガッツも湧き上がってこよう。
妻が存命中は、哲学者みたいに殊勝らしく考えたこともなかった。人間みな独り身になると哲学者になるのかなァーと、夕方になっても居間の電灯もともさず瞑想と相成る。電話が鳴る。『近くに来ているから、一緒に飲もう!』と友人の誘い。う~ん、これぞ他人のためになるとばかり喜々として出掛けた。(豊中市 男性82)
◆これも人生100年時代の苦労話かねえ。まあ、人間苦労がなくなればただの雑草だからねえ。苦労があるうちが華だよねえ。