今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレンからアイガー方面』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、色鮮やかな『ガーベラ』と、雑草めいた花『ノコギリソウ』です。ノコギリソウは、葉の形がノコギリのようになっているところから名付けられたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■三屋清左衛門は夏風邪をひいた。一滴の雨も降らない炎天の日が続いて、身体が熱いのもとめどなく汗が出るのもそのせいだと思っているうちに、汗に濡れた肌着っを換えたあとに突然寒気が襲って来たり、怪しからぬことに鼻水まで出る。疑いもなく風邪だった。

 

息子夫婦が心配し、ことに嫁の里江が医者にもらった薬を煎じて飲ませる一方で、静かに寝ているようにと口っやかましく言うので、清左衛門も隠居部屋に床を敷いてもらって寝た。

 

ところが風邪は、清左衛門がそうして自重して床につくと、むしろ本性を現したようにひどくなったのである。拭いても拭いても汗が出るのは相変わらずだったが、そのうちに咳がひどくなって、物を飲み込むのも辛くなった。そして多分熱ああるせいだろうが、終日頭がぼんやりして耳までどうかなったのか物音が聞きとりにくなり、食欲が失われた。

 

隠居部屋は庭にむいている縁側の戸を全部ひらき、廊下の戸も襖もあけているので、寝ている清左衛門の上を風が通る。すると風に触れる胸や腕、浴衣から突き出ている足先などは熱く乾いた感じにつつまれ、そして背中はいつの間にかぐっしょりと汗に濡れているのだった。うたた寝からさめた時など、清左衛門はそういう自分をたとえば1枚の紙のように、軽くて頼りないものに感じた。

 

そして床について3日ほどすると、急に足が弱くなって、起き上がると身体がふらつくのにもおどろいた。ふだん釣りに出かけたり道場に通ったりして足腰を鍛えているつもりでも、齢はあざむけぬと清左衛門は思った。たかが風邪でこんなにへこたれるとはk、若い頃は思いもしなかったことである。

 

■■<『石』に魅せられて③ 『ライバル団結、米国抜き世界一に』>日本経済が高度成長を遂げていた1962年、池田勇人首相はフランスを訪れ、エリゼ宮殿でド・ゴール大統領と会談した。ソニーのトランジスタ・ラジオを熱心にアピールする池田を、ド・ゴールは『トランジスタのセールスマン』と評したとされる。

 

47年に米国で発明されたトランジスタは『最初の半導体』だ。家に据え置く大きさだったラジオは、トランジスタの採用で持ち運びができるようになり、人々の生活を一変させた。日本の電子産業の幕開けだった。

 

池田の渡仏と同じ年、三菱電機の反動他部門に小宮啓義(87)は、米パデュー大学への留学を命ぜられた。九州大学を出てまもない、26歳の時だ。小宮に託されたミッションは『米国から新しい半導体を持ち帰る』。ただ1つだった。

 

電子立国の芽が出始めたとはいえ、半導体研究の本場は、依然として米国。小宮の勤める三菱電機は、米国企業から技術提供を受けていた。小宮は半導体の学会があると聞けば駆け付け、発表内容は漏らさずノートに書き残した。

 

小宮のような留学生はたくさんいた。日本人がプロジェクターで映し出される資料をカメラで撮影するため、会場ではシャッター音が響き渡っていた。そんな逸話も残る。

 

小宮は帰国後、ある国家プロジェクトに関わる。『超LSI技術研究組合』。三菱電機のほか、富士通、日立製作所、NEC、東芝など、電機大手5社が参加。当時としては巨額の総予算700億円を投じ、次世代コンピューターの最先端技術を開発すべく始まった。通常、ライバル企業同士が技術を持ち合うことはありえない。ただ、米国という追うべき強大な相手を前に一致団結した。

 

『まだまだ日本のレベルが低かったから、米国の技術をどう取り込むか必死だった。なんとしてでも世界のトップになるという各社の気合が合った』。プロジェクトはまず、米国に頼っていた材料を国内で開発することに力を入れ、核心的な製造装置を生み出す。

 

■■<スポーツの力『競技場が中心、東京の未来』>スポーツが街づくりに欠かせないツールになっていると、改めて感じる。築地市場跡地の再開発は、三井不動産を中心とする企業連合が事業者に選ばれた。日本で最も賑わう場所ともいえる東京銀座のすぐ近くに8年後、5万人収容の多目的スタジアムを中心とした最先端の技術を詰め込んだ新たな街が誕生する。

 

早くも新スタジアムが東京ドームに代わってプロ野球の読売巨人軍の新本拠地になるのではと話題になっている。企業連合には読売新聞グループも参加。東京ドームは2021年に三井不動産がTOBによって買収、その経営には読売新聞も加わっている。つまり、新スタジアムは1988年開業で老朽化が進んでいる東京ドームの機能を引きついでいく施設と考えられる。

 

今回の築地のプロジェクトのように、人を集める力を持つスポーツコンテンツを中核に娯楽や飲食施設、ホテルなどを整備する街づくりは、1990年代半ば以降、世界的な潮流となっている。日本でも北海道北広島市のエスコンフィールドビレッジ、24年秋開業予定の長崎スタジアムシティなどが登場してきたが、実は世界に先駆けてこういう街づくりに成功したのは東京ドーム周辺の地域である。

 

前身の後楽園球場の時代から格闘技イベントの後楽園ホールがあり、ローラースケートやアイススケートも楽しめ、遊園地に温浴施設、飲食施設、ホテルなどがそろっていた。築地のプロジェクトが決まったことで、東京ドーム周辺の再開発も動き始めるはずだ。

 

東京にはもう一つ、スポーツを中心に据えた再開発プロジェクトがある。国立競技場のある明治神宮外苑。こちらも三井不動産が主導する。秩父宮ラグビー場と明治神宮球場を新たに再配置して立て直す。屋根付きで全天候対応の新ラグビー場建設はもうすぐ始まり、その後に現在のラグビー場を解体して新球場を建てる。

 

今後は築地市場跡地と東京ドーム周辺、神宮外苑の再開発は総合的に連動して進むだろう。プロ野球の巨人やヤクルトをはじめ、様々なスポーツコンテンツの舞台が刷新される。

 

東京はスポーツを活用して発信力を高め、その魅力をアップする。それは日本のスポーツの価値を高め、スポーツビジネスを進化させる。そんな未来を想像してワクワクする半面、現在の銀座の賑いを見ていると、東京ばかりに資本も人も集中していいのだろうかという気もしてくる。

 

◆まさに、築地再開発は東京の魅力を大きく変えるだろうなあ。でも、東京一極集中を止められず、地方の過疎を拡大し、そして歴史的な人口減に日本を追いやる政治って、一体なにを目的にしているのだろうか。基本に立ちかえり、日本の将来を正面から見つめ直す政治家はいないのか、と、本当に心配なるなあ。

 

■■<『うどん県の昼』に値上げの大波>いちばん安いかけうどんは150円、野菜天ぷら100円をのせて250円。そんな『安い、早い、うまい。香川県民の昼は、近所のお気に入りのうどん屋で』は昔の話になった。コロナ禍以降、値上げが続き、私の行く店では同じかけうどんが290円かそれ以上、野菜天ぷらも120~130円。今ではワンコインで食べられない店も少なくない。

 

以前、2日に1回は、昼にゆでたてのうどんを豊富な種類から選んだ天ぷらと食べていたが、値上げですっかり足が遠ざかってしまった。丸亀市の我が家の近くにある行列のできるうどん屋には、地元民が少なくなり、県外ナンバーの車が並ぶようになった。一方、激安スーパーでは、ゆでうどん1袋30円。なんという価格差。

 

というわけで、今日もいりこで出汁を取り、うどん屋の味とは違うが、袋入りのゆでうどんを温め、家でうどん。うどん県の実情です。(朝日新聞投書 香川県 女性60)

 

◆昨年から今年にかけて、麺類の値上がりはすさまじい。特に袋麺はなんと30%ぐらいの値上げになっている。小麦が30%も高くなったのかよ、と聞きたい。特に業界トップの食品会社の値上げがひどい。業界トップならば、秩序ある値上げ、最低限の我慢が必要なのに、その気配はない。創業者、百福さんも墓の下で涙しているだろうと思うねえ。