今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレン村の高山植物②』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、

スペインの古都コルドバの世界遺産『メスキータ』です。

 

『メスキータ』は、イスラム教のモスクとして建立されました。最大2万5千人をも収容できる世界最大級のモスクです。スペインの国土復興運動『レコンキスタ』によって、イスラム教徒がイベリア半島から追い出されます。その後、スペイン人の手によって『キリスト教会』に改装されました。が、基本的な部分はモスクですから、あちこちにイスラムの痕跡が残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■相庭との話が終わって、その夜清左衛門が家にもどったのは四ツ半(午後11時)過ぎと遅い時刻だった。起きて待っていた嫁の里江が、お茶がいりますかと言った。

 

里江も去って1人になると、清左衛門は熱いお茶をすすった。寝るきわにお茶を飲んでは眠れなくなるかなと、ちらと思ったが、相庭与七郎との密談の興奮が残っていた。

どうせすぐには眠れそうもなかった。

 

――おかみの・・・。

話を聞いてやるひまがなかったな、とふと思ったのは、気持ちがいくらか落ちついたころである。

男女の痴話喧嘩に口をはさむようなこともなかろう、と思ったのだが、眼を伏せて顔の傷を見せないようにしていたみさの顔に、一種見過ごし出来ない愁いがあったような気がして、清左衛門は茶碗の手をとめると、部屋にただよう深夜の光をじっと見ていた。

 

城下は桜の季節を迎えていた。城内二ノ丸、三ノ丸も、城の堀端の桜も咲き、城下で一番の桜の名所とされる天満宮の境内も今が見ごろだと言う。日はその上に、力強く照りわたっていた。

 

町を行く三屋清左衛門も、気分爽快だった。面倒かと思った半田守右衛門の調べは意外に順調にすすみ、しかもこれまでのところ、調べは半田の冤罪を予想させる方角にむかっている、と清左衛門は思っていた。さわやかな気分は、そのことと無関係ではない。

 

もっとも、冤罪と思われる方向にむかっているといっても、清左衛門は単刀直入に半田の収賄事件を洗い直しているわけではなかった。まず周辺から現在の半田守右衛門の勤めぶり、家の暮らしぶりなどを調べているだけである。快く清左衛門の質問に答え、なぜそんなことを聞くのかと、深く追求するようなこともなかった。

 

はじめに、清左衛門は倅の又四郎に命じて、城内での半田の評判を聞き取らせた。次には半田の上司である御納戸頭の私邸をたずねて、判断の仕事ぶりと私生活について聞いた。御納戸頭の三宅籐右衛門は旧知の人物である。快く清左衛門の質問に答え、なぜそんなことを聞くのかと、深く追求するようなこともなかった。

 

聞き取りの結果は好ましいものだった。半田守右衛門は罪を得て、役持ちから平の納戸役人に落とされたにもかかわらず、その後悪びれることなく職務に精励していた。国元にもどされた当初こそ周囲に半田を白眼視する者もいたが、その後の精励ぶりと有能な仕事ぶりをみて、今は半田を悪く言う者は1人もいない。他方半田の私生活はきわめて謹直で、夜分游所を徘徊するようなこともなく、家の者を大事に非番の日は盆栽などをいじって生活している。

 

■■<酒井一圭④ 『しんじゅく酒井祭』>04年に結婚。子供も生まれた。ロクに稼ぎもない息子を母親は会えば『何年くすぶってんだ』『遊んでる場合じゃないだろう!』と罵倒したが馬耳東風。酒井の中では、確かな手応えを感じるものがあったから。

 

『酒井祭』が『しんじゅく酒井祭』と名を改め、サブカルの殿堂、新宿・ロフトプラスワンの人気イベントとなっていた。自身のパーソナルな部分までさらけ出し、お客さんもいじりながら笑わせる。

 

トークの腕を磨きながら、自分でイベントを企画してブッキングするプロデューサーにも就任。顔の広さを生かし、特撮ヒーロー出身の俳優の待ち受け画面などを提供する携帯サイト『ビジュアルボーイ』のキャスティング業務も請け負った。

 

『酒井一圭HG』としてレザーラモンHGのような衣装で『マッスル』に参戦、プロレスラーにもなった。求められるまま流されるまま、あらゆることに首を突っ込んだ。

 

『放送禁止芸人』の異名を持つレイバー佐藤(56)と出会ったのもその頃だ。佐藤は言う。

 

『夢は映画監督なんだと話すと、酒井さんは、俺は本物のガオレンジャーだ。特撮ヒーローを知ってる限りノーギャラで呼ぶから、俺を主役に映画を作らないか、と言ってくれて。じゃあ私は知る限りの芸人を呼びますと、すごい人数になって』。

 

『ガオレンジャー』の仲間も駆け付け、ラスボスは金子。その作品『クラッシャージャカズヨシ』は評判になり続編が撮影されるが、その途中に酒井は足首を複雑骨折し、北里研究所病院に搬送された。

 

■■<仏投資銀エコノミスト『インド経済、中国並みに拡大』>インドはGDPで中国を追い越せるだろうか。現在、中国の経済はインドの5倍以上とみられるが、インドの成長速度はかなり速い。社会を揺るがすような大きな出来事が起こらない限り、インドの経済規模は今後数十年で中国並みになりそうだ。

 

中国の成長率は2010年以降、大幅に低下した。政府の24年の成長率目標は5%前後に留まる。この先も減速は避けられない。大規模な構造改革を進めなければ、35年には2.4%程度に下がるだろう。

 

対するインドは過去10年間の平均成長率がおよそ7%だった。今後、土地への人口集中がさらに進み、高成長が続くはずだ。国内製造業への海外直接投資の増加も見込める。米中対立を背景に、外国の企業や政府は中国に代わる製造拠点を探している。

 

変数は中国のイノベーションだ。中国は研究開発投資を先進国並みに増やしてきた。だが今のところ技術進歩や労働者の能力向上を示す全要素生産性は伸び悩んでいるようだ。過去20年間に本格的な経済改革を断行できなかったことが関係しているのかも知れない。最も活力ある民間部門が一段と困難に直面していることも理由だろう。

 

ただインドも今の勢いを維持出来ない可能性がある。以前もそうだった。1990年時点でインドの経済規模は中国jとそれほど差がなかった。インドは計画経済や政府主導の産業政策、農業改革の欠落が響き、中国に遅れをとった。中国の経験を踏まえ、インドも『改革・解放』にさらに注力しなければならない。インドは今世紀半ばには経済規模で中国と肩を並べるのは確実とみられる。達成出来るかどうかひゃ、インド自身にかかっている。(アリシア・ガルシアヘレーロ筆)

 

◆そうか。インドが中国と肩を並べる日も遠くないんだねえ。そうだろうなあ、インドには中国にない『インド工科大学』という隠し駒があるもんなあ。アメリカからのリクルートで、初任給2千万円くらすがぞろぞろでるらしい。すごいパワーを秘めたインドではあるなあ。