今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレン村のスナップ』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、
牧野富太郎博士の少年時代の記念すべき花『バイカオウレン』と、加えて『セリバオウレン』『セツブンソウ『フクジュソウ』です。高知の牧野植物園を訪れ、さらにいっそう牧野ファンとなりました。

 

 

 

 





























■■『半田の収賄というものは、そもそもが東野市兵衛の密告から発覚したものでした。よってここは、どうしても東野の誣ブ告を疑わざるを得ないということで、いま内密な調べをすすめているところです』

ついては清左衛門に、はたして半田守右衛門は濡れ衣を着せられたのか、それとなく半田当人にあたってたしかめてもらえないかというのが、相庭の頼みだった。

『殿はもし真相がそうであれば、半田の1件は先代の失政だと考えておられます。つまり事が冤罪だったとわかり、その後の半田の勤めぶりも清々しいものであれば、ゆくゆくは家禄を元にもどしてやってもいいというお考えです。しかしいまただちに公に調べ直すことではないので、とりあえず三屋さまに頼めということでした』
『承知いたした』
と清左衛門は言った。

半田守右衛門の調べは多少面倒なものだったが、しかしそれも出来ないことではない。むしろ清左衛門の気分は、隠居仕事にしては過分なほどの役目を振りあてられて、高揚していた。古いその事件には、多少のかかわり合いはある、と思った。

『派閥対立のことは、知る限りをただいまお話申し上げよう。しかし半田の調べの方は早急にとは参らぬと思うが・・・』
『あ、それはご懸念なく』
と相庭は言った。

『それがしはあと数日滞在してほかの用を片づけ、その後江戸にもどります。半田の方は、殿の帰国までにお調べいただけばいいことで、調べがつき次第飛脚でも立てていただけばとお思います』
『相わかった。それでは後ほど貴公あてに飛脚を出すことといたそうか』
と清左衛門は言った。

藩主が帰国するまでに、まだひと月以上ほどのゆとりがある。その間に半田を調べて、相庭に手紙を書くことは可能だと思われた。


■■<酒井一圭②、競馬の借金は400万、破産寸前で『戦隊ヒーロー』に>結成時は誰もが無謀だと言った。酒井は言う。『そりゃそうですよ。演歌・歌謡界は何らかの歌のグランプリを獲った人だったり、誰々先生の弟子だったりする人達の世界。何のツテもない僕らが勝手にムード歌謡を始めて、「夢は紅白、親孝行!」ちじゃ言ってるんだから。周りからしたら「いいかげんにしろよ」なんだけれど・・・でも、俺はみんなが無理だと言うからこそ、これは絶対にイケると思った。成功したかったら皆が反対することをやるのが一番早いんですよ。みんなが右に行けば左に行く。そしたら運がついてくる』。

大きな声で時に熱く、時に漫談のように自在にトークを操る。気付けば、酒井の話を夢中で聞いている。こうして様々な人を巻き込んできた。異色のプロデューサー、酒井圭一の人生とはどんなものなのか。



『テレビに出てるやつらと戦いたい』。そう親を説得して児童劇団に入ったのは8歳の頃。3度目に受けたオーディションで、当時の国民的な人気ドラマシリーズ『逆転あばれはっちゃく』で5代目桜間長太郎役を射止める。一躍、有名子役となったが、5歳下の弟には障害があり、母は弟につきっきり。現場には一度も来なかった。

望んだこととはいえ、半年間も学校に通えない。目立つことへのやっかみからか、イタズラ電話はしょっちゅう、家の窓ガラスまで割られる。このままでは大変だと芸能界から足を洗った。酒井は言う。『母親は喜んだ。このまま続けたら天狗になって、とんでもない人生を送って犯罪者にでもなるんじゃないかと思ってたみたい(笑)。実際、大人に揉まれるなかで「大人って大変やな。思ってもないけど、立場的に言わなきゃいけないこともあるもんね。俺にはそんなこと言わないでもいいよ、分かってるから」ってそんなことばっかり言っていた。よく目の奥を覗き込まれましたね』。

10代後半に出た舞台でオファーを受け、『横浜ばっくれ隊』で芸能界に復帰するが、その後はパッとせず競馬にのめり込んだ。『東京競馬場があるから』と府中に引っ越したほどの競馬好き。同棲していた当時の彼女のヒモ状況で、気付けば競馬の借金は400万。とどめの一撃となったのは99年秋の天皇賞だ。ここらで『何か』来る予感がした。借金をして50万突っ込んだ。惨敗。立っていられないほどのショックで、人の肩を借りて帰りながら、こう思った。『ってことは、競馬じゃなくて仕事か』。

その予感は的中。破産寸前で、01年、東映のスーパー戦隊シリーズ『百獣戦隊ガオレンジャー』のオーディションで、5人の戦隊ヒーローの1人、『ガオブラック』に選ばれた。


■■<私の愛唱歌『相良直美・いいじゃないの幸せならば』>
    佐良直美:歌 岩谷時子:作詞 いずみたく:作曲



あのときあなたとくちづけをして あのときあの子と別れた私 
つめたい女だと人は言うけれど いいじゃないの幸せならば 

あの晩あの子の顔も忘れて あの晩あなたに抱かれた私 
わるい女だと人は言うけれど いいじゃないの今が良けりゃ

あの朝あなたは煙草をくわえ あの朝ひとりで夢みた私 
浮気な女だと人は言うけれど いいじゃないの楽しければ

あしたはあなたに心を残し あしたはあなたと別れる私 
つめたい女だと人は言うけれど いいじゃない・・





■■<消えゆく瓶入り牛乳 900『ミリリットルも生産終える 広島の「砂谷」』>広島県内で唯一、瓶入り牛乳の製造・宅配を続ける広島市佐伯区湯来町の砂谷が先月、900ミリリットルの瓶牛乳の生産を終えた。大型洗瓶機の老朽化に伴い、昨年6月末の500ミリリットルに続く幕引き。関係者で機械を供養する『瓶の卒業式』を行った。

900ミリリットルの瓶牛乳は同社の主力で、週6千本を製造。ほとんどが家庭への宅配用だった。紙パック入りなどが主流となり、瓶入りの需要が落ち込む中、多額の費用がかかる洗瓶機の更新を断念した。瓶入りは今後、別の洗瓶機を使う200ミリリットルに限り生産を続ける。

瓶の卒業式には、社員や関係者ら約30人が出席。この日瓶詰めした牛乳を置いた祭壇を前に神事を執り行い、約40年稼働したライン設備をねぎらった。同社の久保副社長(40)は『瓶の終了はこの10年ずっと悩んできた。お客さんに申し訳ない気持ちもあるが、大切な役割を果たしてくれた機械をしっかり送ることができた』と話した。

農林水産省がまとめた2022年10月の全国の飲用牛乳生産量のうち瓶入りは2.6%。県内では0.7%にとどまる。乳製品メーカーでは瓶牛乳の生産をやめる動きが目立ち、21年の小岩井乳業(東京)に続き、森永乳業も今月末で販売を終える。



◆拙宅も、この砂谷瓶900をとっている。スーパーなどで売っている牛乳は高熱殺菌だが、砂谷は低温殺菌。牛乳のうまさが満ちているというわけだ。瓶からパックにかわるけど、砂谷を愛用し続けたい。