今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『標高1,600mにあるミューレン村』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、春らんまんの私の好きな花のひとつ『アネモネ』です。いろんな色が咲いて、とても美しいお花畑を演出してくれます。

 































■■――多分、その・・・。
隠し男との痴話げんか何かの痕だろう、と考えると、一度はおどろいたおかみの顔の腫れから、清左衛門はやや関心が遠のくのを感じた。痴話げんかに首を突っ込んでもはじまらないと思ったのである。

そしてそう思うと同時に、気持は間もなく現れるはずの相庭与七郎の方に向いた。相庭は元の郡奉行相庭勘左衛門の長男で、江戸屋敷では近習頭取を勤め、若いながら藩主の側近では実力者とみられている男だった。そういううわさや名前は見にしているが、清左衛門にとっては初対面の人物である。

相庭与七郎が帰国していて、滞在中に一度貴公に会いたいそうだ、と告げたのは町奉行の佐伯である。そして貴公を名指しだと付け加えた。相庭が何の用で清左衛門に会いたいのかは、相談をかけられた佐伯も知らないということだった。

相庭は、出来れば清左衛門に会うことを人に知られたくないと言ったというので、清左衛門は急遽『涌井』に席をもうけることにしたのだが、相庭の用件が何なのかはこうして待っている間も、さっぱり見当がつかなかった。

『はじめにおうかがいしたいのは、今藩内にある派閥の対立のことです』
相庭与七郎は丁重な言葉を遣った。藩主側近の実力者といった奢りは見えず、あくまで元用人の立場を立てるつもりでいるらしいのがいささかくすぐったいが、清左衛門は悪い気はしなかった。

若いながら礼儀をわきまえた男ではないかと思いながら、無言で相庭を見ている。相庭与七郎はまだ30半ばほどに見えた。小太りで丸顔のずんぐりむっくりした身体つきからは、迸る才気といったものは感じ取れないが、この若さで近習頭取を勤めるからには相当の切れ者なのだろう。

その相庭が声を落として言った。


■■<インド新時代Ⅷ『爆買いあるも、ベジタリアンの壁は高い』>インドから技能実習生を送り出す機関と交流を深めている全日空の片桐インド総代表(55)によると、認定送り出し機関は30社あるという。『インドの魅力の一つは枯渇しない人材。日本で働く人や移住者が増えれば、親族の訪問などでインド人観光客は自然と増えていく』と期待を寄せる。実際、インド政府によると、インドからの出稼ぎ労働者が多いアラブ首長国連邦には、22年に589万人が渡航した。

2000年にサービスを開始し、インド国内で人気の旅行予約サイト『MakeMyTriP』のマゴーCEOも、巨大市場へと成長するインド国内旅行とともに、中東向けのサービスに力を入れていると話す。インド人の多くは、家電や音楽機器、貴金属など、旅先での買い物に時間をかける。マゴーCEOは、日本がインド人旅行者を引き付けることに成功すれば、『爆買い』に繋がる可能性はあるという。

ただ同時に、語学力やビザ取得手続きなどとは別に、思わぬ『障壁』があることも指摘する。『食事』だという。インドは世界でも有数のベジタリアンが多い国だからだ。米調査会社によると、4割が『ベジタリアン』と答えた。他の調査でもベジタリアン比率は2~4割で、単純計算で2億8千万~5億人以上ということになる。すしや焼き鳥、焼き肉では引き付けることのできない人々だ。



ニューデリーに住む物流会社員(55)は、ドバイで暮らす兄のもとを訪れるたびに金のネックレスなどを購入するという。ただ、ベジタリアンの彼は、日本行きの予定はないとも語る。

『日本を訪れた親戚から、ベジタリアン向けの料理を見つけるのがすごく難しかったと聞いたから。どんなに良い旅でも、食事ができなければ楽しさは吹っ飛んでしまう』(石原孝筆)


■■<『外国語の氾濫』> 鹿島アントラーズの『アントラーズ』は英語で『鹿の角』。ヴェルディ川崎の『ヴェルディ』はポルトガル語で『緑』。横浜フリューゲルスの『フリューゲルス』はドイツ語で『翼』。横浜マリノスの『マリノス』はスペイン語で『船乗り』。ガンバ大阪の『ガンバ』はイタリア語の『脚』と日本語の『がんばれ』。サンフレッチェ広島の『サン』は日本語の数詞『三』で、『フレッチェ』はイタリア語の『矢』。この半世紀、日本人はむやみに外国語を使うようになって、『休み』は『バカンス』で『医者』は『クリニック』、『息子』は『ジュニア』で『飯』は『ライス』、『寝巻』は『ランジェリー』で、『女』は『マドンナ』なんて調子になった。つまり普通の言葉で間に合うところで、断乎として外来語を使うことにした。それがいよいよ昂じて、すごいことになった。この多国語的な形勢は賑やかで、その混乱ぶりに私は溜息をついた。(丸谷才一筆)





◆Jリーグのクラブ名称は、それぞれ何等かサッカーに関係ある言葉をもじっているとは思っていたが、色々あって面白いねえ。特にスペイン語やポルトガル語が用いられているのが面白い。


■■<西広島地区『ボン・バス、地域支え25年』>広島電鉄の子会社『エイチ・ディー西広島』が運行する『ボン・バス』が4月、1999年の運行開始から25年を迎えた。収支が厳しい路線を規制緩和に合わせて分社化し、コストを抑えて路線網を広げてきた。地域の高齢化や運転手不足の課題を抱えながら、住民の生活を支え続けているl。

ボン・バスは主に西広島駅と郊外の住宅地を結ぶ支線のようなルートを走る。当初は西広島駅と大迫団地、広電己斐団地、共立ハイツを結ぶ3路線。広電では採算が厳しく、分社化による人件費の抑制や車両の小型化でコストを引き下げた。

狭いエリアを走るフィーダーバスは自治体が管理運営しているケースが少なくない。一方、エイチ・ディー西広島は新型コロナ禍で一時的に赤字になっただけだ。同社は『コストを抑えたことに加え、広島都心部に近い大きな団地が営業エリアにあることが大きい』と説明する。



路線数は、周辺の宅地開発に合わせて高須台などにも乗り入れ、2004年に6路線となった。02年と03年には一部路線を市中心部の紙屋町地区と八丁堀地区に延伸。乗客数は06年度に255万6千人を超えた。その後は団地の高齢化で通勤・通学客が減り、下降線を辿った。

転機となったのが、大型商業施設『ジ・アウトレット』の18年4月の開業だ。乗り入れを始めた18年度は、全体の乗客数が最多の268万1千人に達し、19年度も264万人を超えた。コロナ禍で大きく減ったが、21年7月から広島県免許戦bターにも乗り入れ客層の拡大に期待をよせる。

ただ運転手不足は深刻だ。43人の小所帯ながら『常に数人は足りない』状況が続いている。今年3月30日には平日8便、土日祝日で13~14便減らした。己斐上の主婦は『昼間は2時間に1本しかない。荷物が増えるとタクシーを使わざるを得ない』と漏らす。

古本社長は『ボン・バスの減便で住民が不便を強いられているのは事実。運転手さえ確保できれば便数を戻したい』と力を込める。地域の暮らしを守るため、小さなバス会社は大きな使命を背負っている。

◆このボン・バスは私も良く使う。広島の西に走る『広島南アルプス』を歩くと、己斐峠から帰宅したり、また己斐峠からスタートすることも多い。この場合、ボン・バスが己斐峠まで私を運んでくれるのだ。以前は広電のバスが走っていたが、大型バスで、曲がりくねった道は難路であった。が、ボン・バスは小さめの車体で、小回りが利いて、まさに地域にうってうtけのバスだと、いつも関心している。

 

■■<覚醒『カープ宇草』> カープが4連勝で勝率5割に復帰した。床田は多彩な球種を自在に操り、8回を散発4安打無失点で2勝目。九回は栗林が締め、七回に宇草の2ランで奪ったリードを守り抜いた。ヤクルトは3度目の3連敗。力投の吉村は一発に泣いた。

 

まさに、『覚醒、宇草』ではある。先日、代打で2年ぶりにホームランを打ったが、この日は貴重な決勝点。これで外野の指定席が1つ埋まったね。素晴らしき宇草ではあるなあ。入団5年目、ガンバレ、宇草、だ。