今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ミューレンから飛ぶ鳥』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、徳島県の岩島・大辰巳島の『前人未踏の辺境クライミングルートを登る麻莉亜』。そして、春を満喫するあでやかな花『フリージア』です。

 





































■■『誰に打たれたんだ』
『後で、お話を聞いていただきます』
おかみは清左衛門にふっと笑顔をむけ、それから目を伏せて一礼するとお盆だけ持って部屋を出て行った。

清左衛門はお茶をすすった。
――男かの。
と思った。

佐伯熊太に聞いた話によると、おかみのみさはもとは万年町の油商三海屋の嫁だった女である。嫁入ってからわずか2年で夫が急死し、子供がいなかったので実家にもどされることになったが、両親ははやく病死していて、支藩の松原城下で小さな仕立屋をいとなむ実家にはみさのいる場所はかなった、というような話を聞いている。

婚家を出される時に、みさはなにがしかのお金をもらったもののそれで身を立てるような暮らしも思いつかず、仕方なく嫁入る前に働いていた紅梅町の料理茶屋にもどって住み込み奉公をはじめた。それを伝え聞いたもとの舅がみさをあわれんで、そのころ売りに出ていた小さな店を買い取って客商売をやらせたのが、今の『涌井』のはじまりだとういう。

三海屋は加賀屋と並んで城に種油を納めている指折りの油商人で、古い小料理屋を一軒買い取ってやるぐらいのことは何ともなかったかも知れないが、しかしみさが三海屋の嫁として可愛がられていたのでなければ、こういう話にはならなかっただろう。

とにかくみさは思いがけない幸運にめぐまれたわけだが、しかし三海屋の姑の方は、夫が嫁にしてやったことをさすがに破格と思ったらしく悋気したそうだと、佐伯は町奉行らしく、下情に通じたうわさ話を披露した。しかし実際には三海屋の主人は腹の太い男で、連れ合いや世間が憶測したような、もとの嫁との醜関係などというものはまったくなかったのが真相らしいとも佐伯はつけ加えた。

その男らしくて腹の太い三海屋の主人も数年前には病死して、『涌井』のおかみの周辺には男の影らしいものはちらちとも射さない、と世間では思っているようで、清左衛門もそういう評判を何となく信じていた。そう信じる方が酒がうまいという事情もある。

しかし、考えてみれば、おかみのみさは夫に死別してからこのかた、ずっとひとり身を通して来た女だった。そしてうしろ楯になっていた三海屋の主人が病死してから数年という時期は、みさが女子の最後の稔りともいうべき成熟を迎えた時期に重なっていたはずである。

子供がいないせいか、みさは今も齢よりは若く見られているようだが、醜からざるひとり身の女が、女盛りの時期に1人の男もいなかったなどということあり得ようか。まず、あり得ないと清左衛門は首を振った。長い江戸詰めの間に茶屋酒も飲み、遊所にも通って、清左衛門はいささか男女の機微に通じている。


■■<インド新時代Ⅶ『「日本で働きたい」、増える若者』>インドの若者達の一部には、技能実習や特定技能の制度を利用して介護施設やホテルで働こうと日本を目指す動きもある。人の往来が増えることで、日本へのインバウンド需要の拡大につながることを期待する声も上がり始めている。

首都ニューデリー近郊にあるグルイガオン。昨年末、日本行きを夢見る若者が集まる全国技能開発公社NSDCの施設を訪れた。
 問題:毎朝、花に水を〇〇〇います。 
『この〇〇〇の中に入る言葉は、「入れて」「やって」「入って」のうちどれですか?』

教員が日本語で質問を投げかけると、20~27歳のインドの女性12人が考え込んだ。正解が『やって』だと分かると、うなずいたり、ノートに答えを書き込んだり。

彼女達は9カ月間にわたって日本語を学び、日本の介護や宿泊施設で働く予定だ。他の部屋をのぞくと、肌の色や顔つきが東アジア系に比較的近いインド北東部の若者が多かった。

北東部、ミゾラム州出身の女性(22)は平日の午前10時~午後5時に授業を受け、その後も夜11時まで自習を続けてきた。幼い頃から日本のアニメが好きで『となりのトトロ』や『思い出のマーニー』、『すずめの戸締り』などの作品にはまった。地元の病院で看護師として働いた後、『海外で働いてみたい』と、日本行きを決めた。北海道の介護施設で働く予定だという。



今や、人口が14億人を超えて世界最大になり、GDPは世界第5位のインドだが、女性の故郷では、若者の失業率は11.9%と高い。『日本の方が給料も良いし、一生懸命働いて、家族に送金したい』と笑みをみせた。

NSDC幹部は『中東や米国と違い、日本を目指す動きは始まったばかり』と語る。ただ、『日本のアニメや漫画に親しんできた若者は多く、平和な生活が遅れるイメージも強い』と言う。実習制度などを利用して日本に行くインド人の若者は、現在の千人弱から、『今後2年間で3千~4千人に増えていくだろう』と見込む。

日本政府によると、インドから日本への訪問者はコロナ禍前の2019年、17万人だった。この年の訪日外国人数が3千万人を超えていたことを考えるとまだまだ少ない。岸田首相は昨年3月に訪印してモディ首相と会談した際、『技能実習制度や特定技能制度を活用していく』と表明。幅広く人的交流を図っていく考えも示した。(石原孝筆)


■■<忘れられた紛争『スーダン、深まる人道危機』>北アフリカのスーダンで国軍と準軍事組織の戦闘が発生して1年が経った。犠牲者が増えても欧米はウクライナや中東問題で手いっぱいで、中国やロシアは無関心だ。『忘れられた紛争』は戦争犯罪や人道危機を広げ、次の地政学リスクの火種となる。

『緊急事態がまるで毎日起こっているように数千人の人達が毎日、国境ヲ超えて逃げ惑っている』。国連難民高等弁務官事務所UNHCRの報道官は、国軍と準軍事組織『即応支援隊RSF』による内戦1年が経過したことを念頭に警告を発した。首都ハルツームで始まった戦闘は西部ダルフールなどスーダン各地に広がる。世界でも最悪の難民危機につながる恐れもある。

スーダン人口の半分に当たるおよそ2,500万人が支援や保護を必要としている。850万人以上が家を追われ、うち180万人は国を逃れた。飢餓の危機が迫り、1,800万人近くが深刻な食糧不安に直面する。



国際社会からの支援は十分とは言いがたい。国連人道問題調整事務所OCHAの『スーダン人道支援対応計画』は27億ドル(4,100億円)の呼びかけのうち6%しか集まっていない。UHCRの『スーダン地域難民対応計画』は14億ドルの目標の7%にとどまる。

単純に比較はできないとはいえ、イスラエルとハマスの衝突後に170万人のパレスチナ人が家を追われて世界の注目を集めた。主要国のリーダー達はパレスチナ紛争の解決に奔走する。パレスチナ問題は欧米の国内政治と密接に結びついているほか、石油供給など世界にリスクが波及する懸念があるからだ。スーダンの危機が放置されているのとはあまりに対照的だ。

危機に苦しむスーダンの人々は国際社会の『二重基準』に不信感を膨らませる。欧米との対立をあおるイスラム過激派の主張は通りやすくなっているとみられる。紛争の長期化はスーダンだけでなく、難民流出などを通じて周辺国の安定をもゆさぶる。やがては欧州などで新たな難民危機を引き起こす可能性がある。

日米欧の民主主義陣営と中ロなど権威主義陣営の覇権争いが激化する世界の秩序は、地政学の死角を広げる。過激派組織『イスラム国 IS』による3月のモスクワ郊外のコンサートホールを狙ったテロなど、世界の憎悪と分割が生み出すリスクは思いもよらぬかたちで世界に跳ね返る。

◆『世界平和』なんてなのは、まさに画餅、画に描いた餅だねえ。世界から戦争や紛争がなくなることはないだろうな。そのうち、どこかの誰かが間違って原子爆弾弾道弾のスイッチを押して、世界が灰色の世界になるのだろうなあ。プーチンや習、更には北朝鮮の金などの独裁国家トップの独占欲が続く限り、アフリカやアジア、またバルカン半島での紛争は絶えないだろう。人類とは紛争の歴史を繰り返す動物なのだろうなあ。困ったもんだ。

 

■■<『今どはわたしがやさしく』>わたしは1年生でできるようになったことがたくさんあります。なわとびと、てつぼう、そろばんです。でも、1ばんはすぐになかなくなったことです。

 

入学したころは、まい日ないていました。きゅう食やべんきょう、友だちのことなどがふあんだったからです。学校に行きたくない日もありました。

 

でも今は、なかなくなりました。きゅう食がおいしいし、べんきょうも分かるので、楽しいからです。

 

友だちもたくさんできました。みんなとってもやさしいです。ないたり、こまっていたりしたら、たすけてくれます。だから、ふあんなきもちがなくなりました。もっとなかよくなって、たくさんあそびたいです。

 

2年生になりました。1年生にやさしくしたいです。もし、ないている1年生がいたら、だいじょうぶだよと、やさしく教えてあげたいです。(中国新聞投書 女子7)

 

◆こうしてみんな、一日一日、一年一年と成長していくんだねえ。素晴らしき小学2年生だ。