今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネンの谷のト風景』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、新潟魚沼の難ルート『麻莉亜の八海山トレッキング』、『海外旅行の新聞広告』。そして、似島『安芸小富士トレッキング ミモザの群生Ⅱ』です。まっこと見事なるミモザの大樹ではあります。これほどの大きいミモザは初めて見ました。

















































■■『大塚平三郎は、』御叱りで済むらしいな』
『おやじの平八が、どういうツテがあってか間島家老に直接嘆願したのが利いたらしい』

2人はたしかにそう言ったのである。御叱りとは何だと思いながら、清左衛門が立ち上がろうとした時、新之亟がその膝をおさえた。

『誰でも誘うというわけではありませんので、会合にお出になることは、相成るべくはご内聞に』
と、新之亟が言った。顔には微笑がうかんでいるが、もう残っている者も4、5人しかいないというのに、新之亟の声は低かった。
そのわけを、三屋清左衛門は栗原又兵衛の屋敷に行った夜に理解した。

――これはしたり・・・。
明々白々な遠藤派のあつまりではないかと、すぐに思った。たしかに牧原新之亟が言った男とたちは概ね顔をそろえていたが、名前を言わなかった男たちもかなりいた。安富忠兵衛が藩政から身をひいた後、遠藤派の番頭と呼ばれた元中老の桑田小左衛門、遠藤派の組頭細谷孫三郎、吉岡主膳、そして意外だったのは、そのれっきとした遠藤派の中に間島弥兵衛が坐っていることだった。

ほかに清左衛門が顔も知らないような若い男たちが大勢来ていたが、肝心の牧原新之亟の姿は見えなかった。無責任な男だと清左衛門は思った。

――どうも、あの牧原の息子・・・。
調子がよすぎた、と思い返しているうちに会がはじまり、たしかに論語を読むことからはじまったのだが、それはどうやら朝田派の眼をそらす擬態らしく、中身は粗末なものだった。

鳥飼吉兵衛が論語の郷党篇の一章を読み、それに解釈を加えるのだが、その解釈がしどろもどろで、時にはあきらかに見当ちがいの説をのべているにもかかわらず、聞く方は一言も発しないというおそるべき読書会だった。

しかし元中老の桑田小左衛門が、ごくろうであったと鳥飼をねぎらい、ではと形をあらためて最近に藩政のありようなどを話しはじめると、座はにわかに活気づき、それまで死んだように黙りこくっていた男たちが、つぎつぎと質問をはなち、自分の意見を述べて、一刻(2時間)ほどの時はあっという間に過ぎたのである。


■■<インドで台頭する新富裕層・中>インド経済の回復ペースは現在さらに速まっているため、資産運用の担当者は最近の富裕層の増加率は年15〜20%に上るとみている。これらの新興富裕層の人口動態を解明するデータはない。だが資産運用の担当者の話から概略を想定すると、ある共通点が見えてきた。新興の富裕者たちは3つの点で伝統的な富裕層とは大きく異なっている。



◆『大都市に限られない』 第1の違いは住む場所が地理的に拡散していることだ。もはや豊かになるためにムンバイやデリー、ベンガルールといった大都市を拠点にする必要はない。インド大手銀行コタック・マヒンドラで15年間資産運用を担当し、現在は証券事業を統括するジャイディープ・ハンスラジは、小都市に住む投資家の数が驚くほど増えていると指摘する。

彼は『インドール、ボパール、ラクノー、カーンプルやバレーリーに住んでいる人たちだ。信じられないことだ』という。昔の銀行家なら相手にしなかった小都市なのだ。また時価総額でインド最大の民間銀行HDFCのラケシュ・シンは、アッサム州ジョルハートなどほとんどの人が場所を知らない街に住む人が50万ドルを投資することもあるという。

交通インフラの整備が進んだことが富の地理的な分散を促した。輸送コストは下がり製品配送も速くなった。航空路線が各地を結び、高速インターネットも普及した。経済成長の恩恵を受けたい州政府は投資を呼び込もうと優遇策を講じている。資産管理担当者も地方在住の顧客向けにサービスを拡大している。

◆『若い百万長者が増加』 第2の違いは年齢だ。かつてインドの富裕層の年齢の中間値は50歳を超えていたが、30代や40代が増えた。未利用地を政府のインフラ事業に売却し多額の利益を得た人もいる。多くは自ら事業に取り組んでポテトチップスや衣類、ポッパドム(薄いクラッカーのようなもの)といった日常的な商品や、鉄筋やボールベアリングなど地味だが経済成長に欠かせない製品の製造に携わっている。



彼らの大半は企業で専門職に就いており、ストックオプション(株式購入権)を持ち、個人で投資をしている。1万人近い顧客から66億ドルの資産を預かる資産管理会社アナンド・ラシ・ウェルスのチェサン・シェノイは、『中産階級の価値観を持つ』富裕層が出現したと指摘する。

第3の違いは投資や消費への資産の使い方だ。新興富裕層は親世代に比べて資本市場に抵抗感が少ない。英銀スタンダードチャータードでインドのプライベートバンキング事業を統括するニティン・チェンガッパは『以前は顧客の9割と同じような話をしていた』が、現在は『多様化している』という。

『投資信託だけではない。未公開株や社会的投資、ベンチャーキャピタルについて、上場・非上場企業を含めてどう投資すればいいのか知りたがっている』と彼は話す。富裕層は今も金(ゴールド)を大量に購入したり国内外で住宅を買ったりもしているが、金融市場やリスクを伴う投資にも関心を強めている。

消費意欲も旺盛だ。海外での休暇や豪華な結婚式、高級車に大金を払うのは普通のことだ。独メルセデス・ベンツはインドが今後3年でドイツ以外の市場として5位から3位になると予想している。(The Economist)


■■<私の愛唱歌『北帰行』> 小林旭歌、

               宇田博作詞作曲(1941年旅順高等学校1回生)


 

 窓は 夜露に濡れて  都すでに遠のく 北へ帰る 旅人ひとり 涙 流れてやまず
 夢は むなしく消えて 今日も 闇をさすらう 遠き想い はかなき希望 

  恩愛 我を去りぬ
 今は 黙して行かん なにを 又語るべき さらば祖国 愛しき人よ 

  明日は いずこの町か 明日は いずこの町か

■■<芸備線存廃問題 『備北交通山根社長談』>
――JR芸備線の現状を県北地域を掌握する地元のバス会社の立場でどう見ていますか。
『存廃が話し合われている庄原市-新見市の区間では、地元の利用者で「列車でないと困る」という人は少ないだろう。もし代替バスの運行を頼まれれば「できません」とは言えないが、望んでいるわけでもない』

――なぜですか。
『運転手の確保が難しく、高速バスなど既存の事業にしわ寄せが来るからだ。鉄道からの転移でバスの乗客が増えたとしても、一時的に過ぎない。備後庄原駅で見ていると、午後の列車は1両が満杯の時がある。私達の努力不足もあり、今は庄原で下車してもらえていないが、廃止になればそうした鉄道旅行客が庄原を通過すらしなくなる。地域を知ってもらうチャンスを失う。沿線人口が減り、インバウンドを含め交流人口を増やす必要がある中で、大きな損失だ』



――一方で、存廃は『人ごと』という住民も少なくないようです。
『一番怖いのは、無関心だ。バスも含め公共交通が選択肢にない人がいる。「親が送迎してくれなければ、遊びに出かけない」という庄原の高校生の話に驚いたことがある。人が移動しないと、まちにお金が落ちない。芸備線の協議は、公共交通がなぜ必要なのかを考える機会にもなる』

――どうすれば関心を持ってもらえますか。
『一発ホームランはない。備北交通は、シルバー人材センター会員のバス運賃を半額にするんど地道に背中を押している。意外なところにもきっかけはある。庄原市北部から野菜をバスに積んで運ぶ「貨客混載」を始めたら、農家の人達が「バスが何時に走りよる」「わしらも乗り継げば広島に行ける」と認識してくれた。住民と公共交通の接点を増やす仕掛けが大事だ』



――再構築協議には、どんな議論を望みますか。
『「やれることはやってみよう」という精神で望んでほしい。やってみて、現場で声を聞いて、初めて課題が見えてくる。2019年に広島駅から直通の臨時列車「庄原ライナー」が走り始めると、備後庄原駅に降り立った観光客から「コインロッカーはないか」「レンタサイクルは」と聞かれ、言葉に詰まった。受け入れ態勢が不十分だったと初めて気付かされた。

芸備線と高速バスに片道ずつ乗る「バス&レールどっちも割きっぷ」の販売をきっかけに、共通時刻表を作ったら「こんなに本数があるのか」と驚かれた。新しいことを一つ始めたら「次はこんなこともできるのでは」とアイデアが広がる。今利用している人達のことだけを考えて存廃を決めるのではなく、「芸備線が残ったら、将来にわたって地域にどんなプラスがあるのか」をみんなで考えたい』



◆私はこの芸備線の存廃問題を聞いていて、何か違和感を持っている。だって、今芸備線があって、それを利用する人が少なくて、それでも路線を残せという地域のエゴにだ。目線を変えると、広島県西部にある戸河内や吉和、さらには芸北の町などは、もともと鉄道路線がない。それにもかかわらず、人口減を必死で乗り切ろうとしている。また、加計などは鉄道が廃止になってもう相当経つが、それでも必死で地域の掘り起こしをしている。

芸備線は大赤字路線であり、100円儲けるのに2万円も費用がかかるような路線の存続が一体可能なのかどうか。徳島のBTSや、バス路線拡充など手はずはあるはずだ。問題はJRよりも。その地域に住む人達が路線を必要としているのかどうか、だ。必要としているなら、もっと鉄道を使えばいい。使いもしないで、ただただ、廃線は困るとクレームを言っているようにしか、私には感じられない。長野県のように、赤字路線を第3セクターの運営にして、運賃が倍近い料金になっても鉄道を使う覚悟があるのか、と問いたいなあ。バスに代替して、生活になんら問題は生じないと思うけどなあ。