今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネン、崖の上の村ミューレンへのケーブルⅡ』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、新潟魚沼の難ルート『麻莉亜の八海山トレッキング』。広島南アルプス『春日台団地~権現峠~火山~武田山~大町トレッキングⅦ 武田山弓場跡から頂上までの細長い台地』です。この台地があったからこそ、武田氏はこの山に城を配置したのでしょうねえ。戦国の世のすさあじさを感じます。

 























 

 

 



















■■呼びにやったその平松与五郎は、なかなか来なかった。平松がだめなら又四郎を連れて行くか、と思ったがその又四郎も下城してこなかった。
――いかんな。

これでは夜になってしまう、と清左衛門は思った。意を決して外出の支度をはじめた。相手はお化け葛籠だと思った。夜道になったら、闇にまぎれて何をしかけて来るかわかったものではない。弥市も、その一行とい正面から顔を合わせてしまったために、始末された疑いがある。

ひさしぶりに両刀を帯びた。そして玄関に出ると里江に命じて草鞋を出させた。里江はすぐに草鞋を持って来たが、やはり刀に眼をとめた。

『どういうことですか、このお支度は』
『おみよを村まで送って行く。後で平松が来たら、いそいで追いつくように申せ。野塩村まで1本道、迷うこともなかろう』

ようやく里江は、不穏な空気を嗅ぎつけたらしかった。表情を改めて言った。
『何かございましたのですか、おとうさま』
『たかが1人の百姓女の命を狙っておる者がいるのだ』
そう言うと同時に、清左衛門はにわかに胸に怒りが動くのを感じた。

『武士の風上にもおけぬ』
『まあ』
里江は呆然として清左衛門を見たが、すぐにはげしく言った。

『それはどなたのことをおっしゃっているのですか』
『それがはっきりせんのだて。だから平松の助けを呼んだ』
『もう少しお待ちになってはいかがですか』
『いや、日が落ち切らぬうちにむこうに着きたい』
おみよを呼んでくれ、と清左衛門は言った。そして、何も知らないおみよを連れて家を出た。

その男たちは町はずれの地蔵堂で待ち受けていた。そして2人をやり過ごしてから道に出て来た。帯刀、羽織はかまの男2人である。1人は20半ば。1人は30を越えているだろう。2人は野道に出ると、一定の距離をおいてどこまでもついて来る。

――やはり、来たか。
と清左衛門は思った。


■■<佐和子のこの人に会いたい『中尾ミエ④』>
阿川:ゲストハウスを作ってる? どうやって?
中尾:金沢工業大学の学生達が勉強がてらリノベートするのを手伝ってくれてて、もう年だからお金をかけないようにね。私も教えてもらいながら襖用の和紙を何枚も漉いて染めもやって。大変だけど、面白いのよ。

阿川:月謝を払わずに日本工芸のお稽古事ができちゃう!
中尾:そうなの。『壁の左官もやってください』って言われて『左官も自分でやれるの?』と。



阿川:それ、そのまま映画にしたどうですか。
中尾:アハハハ。ゲストハウスの一階は。斜め向かいにある幼稚園の子や近所のおばちゃん達とか誰でも使えるオープンスペースにしてます。あと青年海外協力隊から戻っきて働いている人がいるから、インバウンドで外国人観光客が来ても大丈夫。いつかは自分が東京で仕事が出来なくなった時のために寂しくない環境があればいいなと思ってね。今からだったら親しくなれるし。この間も若いお母さんに、『パン焼いてくれる?』ってお願いしてみたり。

阿川:だれとでも仲良くなっちゃうだから。いったいなんでそう頼み方が上手なんですか。
中尾:我ながら目利きなのよ。そうやって、みんな最後まで働ける場所を見つけるのが一番いいと思うの。だって生きがいが欲しいわけで、誰も楽隠居しようって人はいないでしょ。だから人の為ではなく、:自分が何をやりたいか、何をしている時が楽しいか、自分で見つけないと。同じことでも人から強制されたものだと受け取り方が違うでしょうし、自分が楽しいことしかやりたくないじゃないですか。

阿川:これだけ世の中情報が溢れていると、何を始めたらいいのか迷う人も多そうですけど・・・。
中尾:月謝なんか払わなくていいのよ。まずは仲間をみつけることからかな。1人じゃなかなか動けないし、仲間ができればその人がまた新しい情報を持って来てくれるじゃない。

阿川:ただ男の人の場合、年をとるとなかなか人に会いたがらなかったりしますよね。
中尾:男はいいのよ。放っておけば。



阿川:でも奥さんが亡くなると、よわっちゃう人も多いでしょう。
中尾:うちの近所のおじさんなんか、元気になったわょ。奥さんが亡くなって最初はしょげていたけど、今じゃ毎週のように釣りに出かけて、タイだのヒラメだってたくさん持って来てくれるの。

阿川:中尾家のお魚屋さんなんだ。おだてたんでしょ?(笑)
中尾:そりゃ、『わぁ~嬉しい!』とは言うけれど、それが毎週になると、うちも溜まってきちゃうのよね(笑)。だから近所の人にも渡して、『お魚届いたから来て』って電話すると捌いてくれる人もいるから。

阿川:捌く人まで用意しているって、やっぱり中尾さんの人脈は尋常じゃない。どうやってそう過ごした人を見つけるんですか?
中尾:会話の中で自然と『私、出来るわよ』って言われたりとか。


■■<富士フィルム『25万円超えのコンデジ』>富士フィルムは3月下旬に高級コンパクトデジタルカメラ『X100』シリーズの最新モデルを発売する。想定価格は25万6,000円前後。クラシックなデザインはそのままに、このシリーズとして初めて手振れ防止機能を搭載するなど最新機能を盛り込んだ。小型・軽量なカメラを好む趣味層などをターゲットに売り込む。

新型コンデジは4年ぶりのモデルチェンジとなる。AI技術による被写体検出AF機能も搭載した。

当初の月産台数は1万5千台。レンズとボディーが一体になったタイプのコンデジは一眼カメラのようにレンズ交換はできないが、小型・軽量で持ち運びやすく根強い人気がある。

こうした趣味的なカメラを購入する消費者は、企業にとってブランドの維持・育成に欠かせない存在だ。つなぎ留めの一環として、ユーザー向けのメタバース(仮想空間)サービス『ハウスオブフォトグラファー・イン・メタバース』を2月に始めた。

パソコンで専用サイトに入り、簡単なアバターを選ぶと利用出来るようになる。メタバース上にギャラリーや交流スペースなどがあり、マウスやキーボードで視点を操作しながら移動する。製品のショールームではアバタースタッフが常駐し、カメラの購入や修理などの相談に無料で応じる。年間50万人の利用を目指す。



◆富士フィルムという会社は凄い会社だねえ。古森社長時代、企業構造の大変革を敢行して、写真フイルム中心の企業から医療機器中心の企業に衣替えした。今はフィルム写真の時代を完全に脱しており、社名から『写真』を排したが、化粧品や医療機器などにフィルム技術を使うことから、フィルムは残した。フィルムカメラの凋落による企業構造のマイナスを消し去り変革を果敢に成し遂げた富士フィルムの成功物語は、同じフィルムメーカーでありながら構造変化に失敗した米コダックと対比して語られることが多い。また古森社長はその手腕を買われて、NHKの経営委員長も務めた。

しっかし、コンデジで25万円とは、ライカまではないものの、富裕層の旅行や登山などの携行品としてのポジションを狙ったもんだろうねえ。ソニーにも高価格のコンデジがあるが、これはせいぜい10数万円だったと思うなあ。

おっとっとっと、正確を期すためコンデジの価格を調べた。
ライカQ3  919,000円   
ライカQ2  804,650
ソニーサイバー  371,700
リコー GR  180,000
あるんだねえ、高いコンデジが。


■■<豆菓子のイシカワ『カープとコラボ「カープミックス」』>豆菓子の『イシカワ』(廿日市市)は、9日マツダスタジアムでの今季初のオープン戦で、カープと初めてコラボした新商品『カープミックス』を球場限定で発売した。担当したのは若手社員2人。同世代のビールの売り子に販売してもらいPRに繋げる。大手菓子メーカーとの競争や物価高の逆風にめげず、創業97年を迎えた今月、若い力が新風を吹き込む。

2人は、営業部の竹野下諒(27)と商品企画部の西宮早紀(24)。期待の新商品『カープミックス』(50g、200円)は、甘辛く仕上げた落花生にバタピーナツを交ぜた。

石川社長に提案したところ、取引先のもみじ銀行の協力でカープと初のコラボが実現した。昨年11月、マツダスタジアムで試食会を開き、20歳前後の売り子12人から味やパッケージのデザインに関する意見を聞いた。

イシカワは1927年、現在の南区段原地区で創業した。豆菓子は長年親しまれているが、逆風も強い。落花生は米国産が8割を占め、円安などの影響で仕入れ値が値上がりし、価格競争は激しさを増している。

石川社長は大仕事に挑んだ2人を『固定観念にとらわれない若手の発想が新商品の種になる』と温かく見守る。



◆先ほど、『釣瓶の家族に乾杯』の録画を見ていた。今週は、卓球の石川佳純がゲストで、福島県の古殿町を訪問。そこで尋ねた酒蔵の外壁に壁画が大きく書かれていた。仕掛たのは、若き38歳の社長。72歳の父親曰く『俺達の発想では、こんなん出てこない』と。若い発想が、ビジネスや地域を活性化させるのだねえ。お見事、イシカワの豆菓子。『イシカワ』が広島の企業だとは、本当に知らなかったなあ。