今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネンのケーブル』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、新潟魚沼の難ルート『麻莉亜の八海山トレッキング』。広島南アルプス『春日台団地~権現峠~火山~武田山~大町トレッキングⅤ 水越峠から武田山弓場跡までの登り道』です。『弓場跡』とは、武田の武士が弓の調練をした場といわれ、現在模擬弓試練場となっており、子供達にとても人気の場所です。この上りはかなりきつく感じますが、標高差があまりないのか、ひょいと登れました。

 

 

 

 















































■■お化け葛籠をあけてしまったかな、と清左衛門は思った。背中に小さい戦慄が走った。とにかく葛籠の蓋をしめなければなるまい。間に合うかどうかはわからんが、とも思った。

『今、わしに言ったようなことを・・・』
と清左衛門は言った。
『ほかの者にも言ったことがあるかな』
『いいえ』

『それはけっこう。では、改めてそなたに言っておく』
清左衛門はきびしい顔で言った。
『掃部屋敷で見たことは、一切忘れてしまうことだ。人に聞かれたら、忘れた、おぼえていないと言え。そうせぬと、そなたも弥市の二の舞になるぞ』
清左衛門のその言葉で、おみよは青ざめてしまった。みるみる顔から血の気がひいたのがかわいそうだった。

清左衛門は言葉をやわらげた。
『なにそれほど心配することはない。あの晩のことをしゃべらなければ、誰も何もせぬ。ところで・・・』
誰かにつけられはしなかったかと聞こうとして、清左衛門は思いとどまった。

つけられ、おみよがこの家に入るのを見られたのは、まず間違いないことである。おみよに話して、無用のおびえをあたえても仕方ない。
『むこうに着くまでには日が暮れよう。送っていこう』
『いや、わしも丁度散歩に出ようと思っていたところだ』
『・・・・』

『ただし同行させたい者がおるがゆえ、その者が来るまでちょっと待て。ここが窮屈なら台所で待ちなさい』
おみよを台所に連れて行ってから、清左衛門は下男の平助を平松与五郎の家に走らせた。万一のことを考えて助を呼んだのである。平松は非番でなくともそろそろ下城するはずだった。


■■<佐和子のこの人に会いたい『中尾ミエ③』>
阿川:中尾さんは年を取ってもみんなずっと働きなさいと前々からおっしゃってますよね。
中尾:だって今は昔と違ってみんな元気だし、自分のお小遣いぐらい自分で稼ぎたいわけでしょ。

阿川:とはいえ、働き口がなかなかないんでしょうねえ。
中尾:私思うんだけど、特に都会は若者の1人暮らしが多いから、おばちゃん達がおふくろの味を届ける家庭料理のお店をやったら若い子は助かると思うのよね。



阿川:子育て後の主婦とかね。旦那以外の誰かに美味しいって言ってもらうのはやっぱり嬉しいでしょうし。
中尾:そうそう。お互いにとっていいわけじゃない。本人達は『何の取り柄もない』と謙遜するけれど、出来ない人に言わせれば、料理を作れるのって立派な技術だからそれを活かさない手はないと思うの。国が一緒になって考えてくれたら、もっとやれることが広がっていくと思う。あと介護の問題もそう。みんな自分事で考えなきゃダメなのよね。自分が年を取った時にどういう環境に身を置きたいか、今のうちから準備しておかないと。

阿川:中尾さんもお父さまを93歳で亡くなられるまで介護なさってたそうで。老後への意識はいつ頃から湧いたんですか?
中尾:漠然とは還暦過ぎてからかな。だから老人相手のミュージカルを作るようになったの。あと最近、自分も年を取ってみて、老人ホームには入りたくないなって思うようになった。だって、ショーで高級老人ホームに行くんんだけど、行けば行くほどなんか違うな、と思って。

阿川:ショーがてら下見しまくってるのね(笑)。
中尾:しまくっている。ただ、入るのにお金もかかるし、月々の費用も20万じゃ足りないんだから。それに、サービス面でも一流のシェフがいて、1日3食美味しいものを提供します。皆さんは何もしなくていいですって。でも、その何もしなくていいっていうのが一番辛いんですよ、人生。美味しいものなんて別にいらない。お茶漬けでいいよ。それで、じゃ自分がどういうところに行きたいか探して・・・見つけたの。

阿川:えっ、もう見つけたの?
中尾:石川県の輪島の『輪島KABULET』という空き家再生も兼ねた小さなコミュニティなんです。温泉施設を拠点いしていて、温泉に来たら、自分の名前が書かれてた『名札』をひっくり返すシステムだから生存確認もできる。私の札ももうあるのよ。

阿川:じゃ東京から輪島に引っ越すってことですか。
中尾:いや、東京の家はそのままにしておいて、そこに築百年以上の空き家を買って今ゲストハウスを作ってるの。



◆『輪島KABULET』
<営業状況のご案内 (1月5日)>
『2024.01.05
1月1日に発生した地震により、輪島KABULETも被災し、入所利用者は避難生活を送っています。断水と停電も続いており、日帰り天然温泉「三ノ湯・七ノ湯」は当面の間休業とさせていただきます。 施設の復旧後は、地域の拠点として開放する予定です』。

やはり被害を受けていたんだねえ。本当に残念だが、再復興してほしいなあ。この対談は1月18日号に掲載されているが、取材は昨年のものだろう。文中、地震被害について一言も言及がないから、な。


■■<相談できる『才能』を>これまでのLINEのやりとりは9万通。私の公式LINEの登録者は2,100人を超え、多い日は1日200通以上のやり取りをする。これが私の日常だ。

『家庭環境に悩んでいる』『学校に行けない』『死にたい』。内容は多岐にわたる。現在広島市でも不登校の児童・生徒数は6年連続で過去最多と増加傾向にあり、生きづらさを感じる子供達が多くいる。

私は24歳の時、偶然の出会いから中国人留学生の面倒を見ることになった。それから経済的な困難さが理由で部屋を借りれない留学生や、養護施設・ひとり親家庭で育った日本人達、伸べ35人と10年間共同生活をした。

他人との共同生活で対話の重要性を感じ、その経験から始めたのがLINE相談なのだ。相談をしてくる人は、必ずと言っていいほど謝る。『時間を取って御免なさい』『こんな話をしてごめんなさい』『長々と御免なさい』。どうしてそんなに謝るのだろう――。考えて気付いたのが『相談』に対する偏見だ。私は自信を持って言う。『相談出来ることは生きている上で必要な能力だ』。

そのことを伝えるために『命の参観日』という講演をしている。8年前に始めたこの講演は、全国各地の小中学校、大学などで7万人に向けて届けてきた。初めは暴言をはいていた子でも、真摯に話を聞き続けると、何が辛いのか説明してくれるようになる。相談するということは、自分の思いや悩みを言語化するということだ。言語化が出来れば相手に伝わる。また思考が整理され、解決への一口とつながる。



これが自分自身のメンタルケアを行う方法の1つなのだ。学校によっては養護教師と連携し、子供達の相談に当ったケースもあった。これが私がしている精神疾患発症の予防としての早期介入であり、自殺の予防となり、『誰も取り残さない社会』の実現への第一歩だと、信じている。(玉城ちはる筆・シンガーソングライター 南区出身)

◆シンガーソングライターという肩書はあるものの、心の相談員なのだねえ。子供の自殺者数が右肩上がりだ。岸田君の『かつてない少子化対策』には含まれているのだろうか。札束で少子化対策をしても実効は知れているのだねえ。フランスや北欧の国々で失敗した方策を歩んでいるとしか思えない、日本国の岸田采配ではあるな。


■■<EIZO『市場開拓、鮮やか』>高画質液晶モニターのEIZOが、新たな用途開拓に成功している。金融機関や米ハリウッドなどに加え、医療や航空管制の現場にも浸透してきた。パチンコなど遊技機向けが半数を占めた20年前、市場の縮小を見越して社会インフラ分野に進出を決め、新たな市場を獲得し続けている。

◆『正確に色彩表現』 石川県白山市の本社ショールームには用途に最適化したモニターが並ぶ。横幅90cmでも曲面にして多くの情報を見やすくしたディーリングルーム用や、激しい雨の時や夜でも人影を判別できる監視用、手術室向けモニターは患部の微妙な陰影を精密に映し出す。

色彩を正確に表現出来ることから、米ハリウッドの映画・アニメ制作の現場での使用比率は5割を超えるとされる。2010年には映画界に貢献いた企業・技術者に贈られる『アカデミー科学技術賞』を受賞した。

価格は他社製品と比べて3割以上高いが、品質にたいする信頼性も高い。100以上の国・地域に販売し、駅の監視用に使う東急電鉄や自動車メーカーのデザイン部門、アニメ制作会社などに採用されている。

EIZOは1960年代後半、村田製作所創業者の故村田昭が『完成品の観点から電子部品産業を見たい』と設立した。白黒テレビや70年代に流行したインベーダーゲーム機など映像関連のOEMを手掛け、85年に自社ブランドのモニター生産を始めた。

94年に入社した実盛社長は村田製作所出身.90年代後半、競合他社はアジアに生産拠点を移しコストを下げたが、EIZOは価格競争に巻き込まれるとの当時の判断で日本に留まった。



◆『自前で中核技術』 半導体や液晶は外部から調達するが、色表示のカギを握る特定用半導体ASICは自ら開発する。品質を決める生産や開発の中核部分は、手の内に置くのがEIZOの方針だ。

売上高は2007年3月期に956億円の過去最高を記録した。パチンコなどの遊技機向けが全体の53%を占めていた。しかしその頃、携帯電話の普及などを背景に、EIZOは若い世代の嗜好が変わりパチンコの遊戯人口は減るとの見通しを立てた。主力だった遊技機とオフィス向け以外の開拓を急いだ。実際、11年3月期には売上高が300億円程度減った。そのほぼ全てが遊技機向けの減少分だった。

新分野の開拓で遊技機向けの減少分をすべて取り返せたわけではない。それでも着実に売り上げを伸ばした。特に医療関係は軌道に乗り、全体の43%にまで増えた。

07年に独シーメンスの医療用、16年にパナソニックの手術室と内視鏡用の事業を買収した。検査・診断・治療・手術の各分野を押さえ、医療現場の映像なら絵に一括注文する顧客が増えた。

足もとでは売上高の5割を占める欧州の景気後退に悩まされる。23年10月に24年3月期の売上高見通しをお前期比ほぼ横ばいの815億円、純利益は13%減の51億円に下方修正した。

野村證券では『欧州の景気悪化はネガティブな要素』と指摘するが、23年4~9月の時点で77%の自己資本比率を踏まえ『M&Aや工場建設といった攻めの投資など選択肢は様々』と分析する。

◆ふーん、EIZOは村田製作所の息子会社なのか。知らなかったなあ。でも凄いハイテク関連企業に見えるなあ。パナソニックがオリンパスに対抗していた内視鏡事業を買収したんだねえ。それってすごいと思うが、オリも世界シェア7割の会社だから難敵だねえ。内視鏡といえば、富士フィルムも参入しているのではなかったか、な。