今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネンの絶壁、氷河の爪痕』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背を進む麻莉亜、ついに北穂高登頂です』。そして、広島南アルプス『春日台団地~権現峠~火山~武田山~大町トレッキングⅡ』です。春日台団地は新しい団地ですが、標高220mの高台にあり、さぞかし冬は寒かろうなあと想像します。

 

























































■■『そんなことを聞きたいわけかの』
『ぜひとも』
『ちょっと聞くが、これは何かの訊問かの?』
『いえ、そういうものではありません』
『では、こちらも言わせてもらおう』
清左衛門はきびしい顔で黒田を見据えた。

『わしが村の者と会って何を話そうと、それは元来が私ごと。人に話して聞かせることでもなければ、話の中身を言えと強要される筋合いのものでもなかろうと思うが、いかがかな』

『お腹立ちはごもっともです』
清左衛門の不機嫌を、敏感に読みとった表情で黒田が言った。
『ご無礼は重々承知しておりますが、さる人にぜひともお聞きして来いと言いつけられまして』
『どなたのことだ』
『それは申し上げられません』
と言ったが、黒田はそこで微笑した。

ほう、よほど自信があるのだな、と清左衛門は思った。黒田をよこしたのは、多分藩の大物なのだろう。
その時、里江が茶菓をはこんで来たので、話はとぎれた。しかし里江が部屋を出て行くとすぐに、黒田はねばっこい口調で続けた。
『お話しいただけなければいかしかたありませんが、しかしそうなると、後あとまずいことになるかも知れません』

『これはおどろいた。今のは脅しか』
清左衛門は声を出して笑った。長年藩主のそばで用人を勤め、何度か藩政の修羅場にも立ち会って来た清左衛門からみると、黒田の恫喝は笑わずにいられないほどに露骨で青臭い。

しかも黒田は脅しの骨法を心得ているようでもある。将来ひとかどの者になるかも知れないぞと清左衛門は思った。
『知るとおり、わしは隠居の身。半分がほどは世捨て人でな、脅しはあまり利かぬ。ゆえにここで、一切話さんとがんばってもよいのだが、それではそなたが困ろうし、またおみよという女子と、人に言えぬ粋なことを話したわけでもない。よろしい、話そう』

黒田は一礼すると、底光りする服を清左衛門に向けて来た。
『まずは今年の稲の出来、漬物の味、里の暮らし、それにおみよの身の上話・・・』
と清左衛門は言った。


■■<女性管理職を増やせ①『候補がいない』>女性社員がいない――。東急不動産の内藤人事部統括部長(51)は驚いた。2022年に部長に就いた後、社員の年齢別の人員構造を確認すると、総合職の30、40代の女性は各年齢で5人以下だった。1人もいない年齢もあった。

親会社の東急不動産HDは、30年度までに女性管理職比率ヲ20%以上にする目標を掲げる。だが、東急不動産の女性比率は23年6月時点で7.2%。この10年で1%分しか伸びていなかった。女性から人気が高いという業界というわけではなく、30、40代は新卒採用を絞っていた世代でもある。『女性管理職を増やそうにも、そもそも候補もいないのではないか』。

分析すると、入社した年が同じ女性の半数が課長になるまでの在籍年数は20年で、男性より4年遅かった。三級育休や短時間勤務で、昇格の機会が遅れている実態が見えてきた。折しも22年度は新たな人事制度への移行期。新制度が『女性管理職の候補育成の後押しになるのでは』と内藤は期待をかける。



短時間勤務でも、その勤務時間に応じた目標を設定して、成果を評価する絶対評価を導入。課長昇格時期をそれまでの30代後半から30歳に早めた。出産などを見据えて早めに昇格にチャレンジすることも可能になるという見立てだ。昇格も『手上げ』方式にした。

『手上げ』をした社員向けに、他部門の部長から評価や助言を受ける『斜めコーチ』も導入。キャリア相談やロールモデルと知り合う機会に生かしてもらう。社内では新制度を前向きに捉える声が多いが、管理職を目指す女性が増えるかというと簡単ではない。

22年度に社員向けアンケートを実施。管理職の働き方について女性の6割が『魅力的ではない』と回答した。残業や取引先との会合が多い。新制度の肝である『斜めコーチ』に、負担が増えたという声まで管理職から寄せられた。

社内からは、女性登用について『女性、女性とばかり言うのも時代遅れなのでは』『実力がないのに管理職に上げるのはいかがなものか』といった声もある。それでも、女性のキャリア形成や働き方を考えることは『男性の為にもなる』と内藤は言う。『勤務地や労働時間の制約がない無限定正社員しかできない仕事には優秀な人材は集まらず、いずれ会社として立ち行かなくなる』。


■■<オムロン、国内外で2,000人の従業員削減を発表…中国景気の減速影響>オムロンは、国内外で従業員約2,000人を削減すると発表した。国内では全体の1割に相当する約1,000人について、希望退職を募る。主力市場の中国の景気減速を受け、工場の自動化に使われる制御機器などの不振が続いており、経営の立て直しを図る。

国内の対象は、今年7月20日時点で勤続年数3年以上かつ40歳以上の正社員と、60歳以上の再雇用したシニア社員。4月10日~5月31日に募集し、7月20日の退職を予定する。一部のグループ会社は対象外とした。

オムロンが希望退職を募るのは、約1,400人を削減した2002年以来、約22年ぶり。今回の大規模な人員削減に伴い、社外を除く取締役と執行役員は、役員報酬を3か月間、20~10%減額する。



◆『オムロン』は、確か京都大学のいろんな注文を受けるところから発展した企業だと承知している。『そして『優良企業』だとも。しかしたった20年の間に2回も大規模リストラをするなんて、経営陣の責任は非常に重いねえ。『優良企業』の看板が剥がれ落ちたのだねえ、情けない。だけんど、中国経済の減速がこれほどひどいとは、油断ならないぞえ。

 

『オムロン』の社名は、京都の『御室』という地名からきている。『御室』は、宇多天皇(当時期は法皇位)の創建にして真言宗御室派の総本山、門跡寺院でもあるところの、仁和寺の雅称及び住職(門跡)の雅称であり、加えて、仁和寺一帯を指す地名である。

         <世界遺産 国宝・金堂>



■■<『礼文岳』『利尻山』>北海道の北の端に浮かぶ、礼文島と利尻島。いずれもピークの山『礼文岳』『利尻山』をもつ。が、礼文岳は600m前後に対し、利尻山は1,700を超す。この2つの島、山は自然に恵まれ、本州では2,500mを越さないと見ることが出来ない鉱山植物が低地でも普通に見ることができる、とても貴重な地域である。

先週BS・NGKで『百名山 礼文岳・利尻山』の放送があった。SPらしく、合計90分の長い番組だ。そこで驚いたのは、なんと礼文島に『縄文人の生活遺跡』が発掘されているということだ。さらには、副葬物として勾玉やヒスイなどが発見されたと。

これらの島ではヒスイなどは採れない。本州の富山県付近が産出地である。ということは、礼文・利尻の島には古くから人が住んでおり、また日本海を介して海からの生活交流があったという証左になる。

驚いたねえ、本当に。冬場は激寒の地で人が生活をしいたとは。その苦難の生活は、冬場の北海道を見れば容易に想像出来る。自然環境に翻弄された古代の人達の生き様を想像すると、なんて現代の生活が豊かな時代になっているかを思い知るのである。先人の命の承継には感謝しかない。

木綿が大衆の衣服に使われるようになったのは、江戸時代中期頃のことだと聞く。それまでは麻やその他の植物繊維を使っていたのだろう。冬の寒い中を生き延びるには現在のような満足な防寒着などなかったのである。さらには、江戸の時代、いや明治になっても日本の日常生活から『飢饉』が消えることはなかった。



特に江戸の時代、1642~43年にかけて、家光の治世に起きた『寛永の大飢饉』、1732年吉宗の時代に起きた『享保の大飢饉』、1782~87年家治の治世、5年間にわたり起きた『天明の大飢饉』、1833~39年の家斉・家慶の代に起きた『天保の大飢饉』が『江戸4大飢饉』と呼ばれている。

これらの艱難辛苦の時代を、今に生きる私達の祖先は潜り抜け、生き抜いてきてくれたのだ。だからこそ、今、自分が生きている。祖先に大きな感謝を捧げ、先人の苦労に思いをはせた生活をすることが大切だと、思うねえ。


■■<大谷翔平、結婚発表会見の一問一答『いたって普通の人』『初めて会ったのは3年、4年前』>ドジャース・大谷翔平投手(29)が29日(日本時間3月1日)、米アリゾナ州グレンデールの球団施設で取材に応じ、自らの口で結婚したことを報告した。



――おめでとうございます。入籍日と奥さんはどんな人
『日本人の方ですね。入籍日は特に言わないというか、言わなくていいかなと思ってるので。いたって普通の人というか、普通の日本人の人です』

――知り合ってどれぐらい
『正確な日付はちょっと分からないですけど、初めて会ったのは3年、4年前ですかね。3年ちょっとかな』

――FAする時の判断に関係があったか
『それは全くなかったですね。彼女自身も僕の意見を尊重してくれてますし、そこはここまで野球とは別のことなので。どこに行っても(一緒に)来るという感じだったので。そこは全く関係なく、自分がどこで野球をしたいかというところが一番のところだったかなと思います』

――発表しなくてもいい中でアナウンスした
『一番は皆さんがうるさいので(笑い)。しなかったらしなかったでうるさいですし、今日まずここでして、あとは野球に集中したいなというのが一番ですね』

――結婚の決め手
『なんでしょうね。特にコレというのはないというか、一緒にいて楽しいですし、なんとなくずっと(一緒に)いるところを想像できたんじゃないですかね』

――二刀流として成功し始めた3、4年前に出会い、食生活でも支えてくれた
『初めて会ったのがそれぐらいというだけで、実際には交際が始まったのはもっともっと後なので。シーズン中は特には米国に来てなかったですし、基本的には今まで通りというか、渡米してから今まで基本的には一人でいたので、そこは特に去年も変わらなかったかなとは思います』

――どんなところにひかれた
『コレというのはないですね。全体として雰囲気というか、一緒にいて楽しいですし。コレ一つというわけではなくて、全体的な雰囲気が合ってるかなというか』

――プロポーズの言葉は
『普通に言いました。あえて言う必要はないと思います(笑い)』

――交際期間は
『どのぐらいなんですかね。初めて会ったのが3、4年前だというだけなので。実際にどのぐらいだったのは分からないです。婚約をしたのは去年だったので、それを指すなら去年ですかね』

――おうちで時間を過ごした
『ラフな感じで過ごしてました。外に出たら皆さんがうるさいので(笑い)』

――一般の方で一緒に住んでいる
『そうですね。キャンプの途中でこっちに来ました』