今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネン、崖の上野村ミューレンから流れ落ちる滝』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背、終盤を進む麻莉亜』。そして、サンフレ-浦和戦パートⅢ『プレー風景』です。この試合、とりわけサンフレの烈しいハイプレス・ボール奪取が注目されています。

★24日、J1に昇格した『町田セルビア』が、ガンバ大阪と対戦した。この試合はDAZNで中継されたが、町田の親会社であるAMEBAが無料放送していた。PCで見たけれど、PKで先行特典した町田に、後半宇佐美が素晴らしいFKを突き刺してドローに。町田はPKで得た1点止まり。レッドカードで1人減までは、ガンバを凌ぐプレーを展開していた。J1上位は無理としても、1年でJ2に降格というような事態にはならないだろう。町田旋風、吹く、か、な。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■場所はさっき見た村はずれの橋から数間ほどの上流である。はげしい水音を立てる急流の中で、女と子供は固く抱き合い、子供は恐怖のために高い泣き声をあげていた。4、5歳に見える女の子だった。その子を抱きしめている女は30前後で、走り寄る清左衛門を血の気の失せた顔で見ていた。

2人がなぜ動けないで抱き合っているのかは、そばに寄ってみるとすぐにわかった。そこは向う岸に近く大きな中洲があり、その中洲から清左衛門がいる側にかけて、ゆるやかに川底が傾いている場所だった。蛇行する水がはげしく石垣にぶつかっているこちら岸では、水は膝を越えるぐらいかと清左衛門は見当をつけた。

女と子供がなぜそんな急流の中にいるのかはわからなかったが、いずれにしろ2人はこちら岸にわたることも、中洲に上がることも出来ず、そこで動けなくなっているのだった。そして動かずに人の助けを呼んだ女の判断は妥当なものだった。

2人が立っているあたりで、水の深さは女の踝クルブシを越えるものだったが、流れは速かった。へたに動けば足をとられて顚倒しかねない場所である。そしていったんころんでしまえば、女はともかく、子供は間違いなく橋の下のあたりの、投げはゆるやかだが底の見えない深みまで、あっという間にはこばれてしまうだろう。

『動くなよ、今助ける』
清左衛門は大音の声をかけた。2人から眼をはなさず、釣竿を置き腰の脇差と魚駕籠をはずした。そして2人が立っているやや上流から、石垣を伝って川に降りた。

はたして水は清左衛門も膝をわずかに越すほどであり、水に入ったとたんに、清左衛門は身体が頼りなく浮き上がるのを感じた。手で水を掻きながら、半ば流されるようにして急流を斜めに横切ると、どうにか女と子供がいる場所にたどりつけた。

しかし立ち止まると足もとをさらわれそうな速い流れである。清左衛門はよろめいて、3人は川の中で抱き合った。


■■<亜豪で稼ぐ日本人③ 『2年連続20%の昇給』>バンコクを拠点にする日系の人材紹介業『パーソネルコンサルタント』で21年4月から働く小林愛可(27)は、月5万バーツ(21万円)の最低賃金の存在が『タイ行きをためらわなかった理由の1つだった』と振り返る。

学生時代にタイのマヒドン大学に交換留学したことがり、現地での暮らしぶりやかかる費用は分かっていた。月5万バーツが最低保障されていれば、十分な暮らしを送れることはイメージ出来た。


新卒で入社以来、エンジニアやホテルのフロント係、通訳といったタイの高度人材を日本に送り出す事業を任されている。入社2年目と3年目のタイミングでいずれも20%昇給し、月給は8万9,000バーツ(37万円)まで上がった。

小林は『こんな昇給は日本ではあり得なかった。頑張らないといけないといつも思う』と話しつつ、『日本で働くとまずは半年~1年研修して、その後も先輩社員をサポートする仕事が一般的。すぐに責任者として任せてくれたおも大きい』と働き甲斐を感じている。

小林の同僚の安保龍一(25)も日本の大学を出て新卒で入社。近く丸2年を迎える。タイ国内法人営業の責任者を務め、初任給からすでに3割の昇給を手にした。タイへの関心を持ったきっかけは、小林と同様に交換留学だ。日本でも就職活動に取り組んだが、コロナ禍で採用を中断する企業も多かった。ならばいっそと留学で縁のあるタイ行きを決断さした。

英語とタイ語を操り、責任ある立場で働くことは将来への備えになると実感した。『タイの地場企業が伸びているので、挑戦として一度は働いてみたい。日本に戻るというのは、もうのんびりしたくなった時なのかも知れませんね』。

◆日本からの転職が増えているのはタイばかりではない。人材紹介のパーソルケリーでもアジア・オセアニア地域への転職が決まったケースが24年3月期には310人に達する見通しで、コロナ禍前を上回る。

ベトナム人女性との結婚を機に、ハノイで22年4月から現地採用で働くのは亀飼謙治(43)。日本では自動車メーカーの生産技術部門を一貫して歩み、効率的な生産現場づくりに汗をかいてきた。現在は二輪車・四輪車向け部品製造の『協栄製作所(浜松市)』のベトナム法人で、新規プロジェクトのマネジメントを担当する。

手取りの年収は4万2,900ドル(630万円)ほど。『日本で額面900万円ぐらいもらっていた時と手取りは変わらない。それに生活費は安い』と言う。

ハノイで働くようになってよかったことにワークライフバランスの確立がある。コンドミニアムから会社まで送迎バスがあり、午前9時半に出社し午後4時半に退社する。『残った仕事を持ち帰ることはあるけど、会社に泊まり込んで働くこともあった日本とは大違い』。渡航後に子宝にも恵まれ、家族3人で過ごす時間を楽しんでいる。


■■<イオン、『広島県世羅町に自社農場』>流通大手イオングループの『イオンアグリ創造』(千葉市)は自社農場『イオン広島世羅農場』を広島県世羅町に設けた。広島市の会社から事業を承継し13.5ヘクタールで野菜を栽培。広島、岡山両県のイオンやマックスバリュ50店舗などに供給する。

中電工ワールドファームから昨年10月末に事業継承した。農地のほか、選果場や事務所も継承し、イオンアグリ創造の社員7人と地元パート従業員9人で運営する。ハウス栽培で1年間ホウレンソウを生産し、露地栽培で枝豆や白ネギ、キャベツ、アスパラガスなども栽培する予定だ。


イオンアグリ創造は、イオン100%出資の子会社として2009年に設立し、農業に参入している。中国地方では11年の島根安来農場(23hr)、15年の広島安芸高田農場(12hr)に次いで3カ所目。

イオンアグリ創造は近く世羅町と農業参入に関する協定結ぶ。親会社のイオンの流通網を生かして地元農業者の販路拡大などにも協力する予定。イオンは『農業を持続可能な職業にするため、弊社の若い人材とアイデアを地域に還元したい』としている。

◆世羅盆地は農業適地だからねえ。頑張ってほしい、イオンアグリではあるな。やはり、電気工事屋さんには農場経営は無理だったのか、な。