今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『ラウターブルネン、シュタウブバッハの滝の展望台での観光客』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背を進む麻莉亜』。そして、新しい『エディオン・ピース・ウイング』で開催された、24年J1スタート試合『サンフレッチェ対浦和レッズ』です。試合はサンフレが押し気味に運び、GK大迫のファインセーブ、そして湘南から移籍した大橋のWゴールで『2-0』でサンフレッチェが快勝し今シーズンの幕開けを白星でスタートしました。

 

★サンフレッチェ広島GK大迫敬介が、指揮官も称賛する好プレーを見せて勝利に貢献した。2月23日の明治安田生命J1リーグ第1節・浦和レッズ戦に先発出場。オフに手術した右手の負傷を経て開幕戦でピッチに立ち、先制点のピンチを防ぐなど安定した働きで完封勝利の立役者の一人となった。

▼2024年2月23日 J1リーグ第1節(@Eピース:観衆27,545人)
 広島 2-0 浦和 得点:(広)大橋祐紀2
試合終了の笛が鳴ると、GK大迫と荒木、佐々木、塩谷がハイタッチで互いをたたえ合った。サンフレッチェ広島の誇る鉄壁の守備陣が、浦和の3トップの攻勢をシャットアウト。大迫は『新スタジアムで勝てたことに何よりもほっとする』と、無失点勝利に胸をなで下ろした。

ピンチは立ち上がりに訪れた。塩谷が『決められたら苦しくなっていたと思う』と語った前半6分の場面。ペナルティーエリア内で打たれたシュートを、大迫が左手1本ではじき出した。スキッベ監督が『あそこから試合が始まった』と言うように、守護神の好守で守備陣の集中力は高まった。

その後は、パワーでもスピードでも負けなかった。荒木は2022年J1得点王のチアゴサンタナを徹底マーク。空中戦や1対1に競り勝ち、仕事をさせなかった。荒木は『入れてくるボールが単調だった。前の選手がコースを限定してくれたおかげ』と組織的な守備が機能。佐々木、塩谷も体を張った。

昨季リーグ最少失点の浦和との堅守対決を制し、最高のスタートを切った。塩谷は『まだ38分の1。一つ一つ積み重ねたい』と気を引き締める。

 

 





 

 

 

 

 

 

        <吉川晃司の国歌斉唱>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■日射しはまだ十分暑いのだが、川には裸で水にたわむれる子供の姿は見えなかった。真夏に比べて、水はずっと冷たくなっており、水嵩もいくらか増えていた。その水嵩ンお変化は、数日前から小樽川の上流の山地一体を襲っている、散発的な雷雨のせいだろうと思われたが、同時に季節の変化を現わしていた。

誰もいない、丘の陰に入って小暗く見える川には、水面を飛ぶ虫をとらえる魚がはね、そしてそこだけ日があたって見える丘の高い斜面のあたりでは、一団になってひぐらしが鳴いていた。夏が終わり、季節が移る頃だと清左衛門は思った。丘の、どこか見えない場所に、やはり一団になって鳴くひぐらしがいて、ひぐらしは寄せる波音のように交互に鳴きかわしていた。

突然に清左衛門は、真向から照り付ける日射しの中に出た。そこは小樽川が大きく曲がって西北にむかう場所であり、菱沼村がそこで終わって清左衛門は野の中に出たのである。過ぎて来た村々の背後に続いていた丘は、やはりそこから遠くしりぞいて、西の方に何かの塚と見まがうほどの低い隆起となって終わる。

日はその塚のように丸くて低い丘のはずれから、一直線に野を照らし、野のむこうに今は克明な姿を現して来た城下の木立や家々の白壁などを照らしていたが、野の稲は、いちめんに直立する穂をつけ、白い花がひらくもの間もないだろうと思われた。その穂の間をわけて田の畔を歩いて行けばいくらか近道になるかも知れないが、清左衛門はそうはせずにやはり川岸を歩いて行った。

小樽川は、今前方に見ている野塩村の村落に突きあたった後は、今度は向きをはっきりと城下の方に転じて流れて行くし、それにここまで来ると川幅は広くなり、附随して土手の道も広くなってもう歩きにくいことはなかった。

その道は、常時野道としてつかわれているがためかいくらか手入れされているようでもあった。
――いそいで帰ることはない。
と清左衛門は思っている。


■■<『王さんのような「努力」を』>私が座右の銘にしたい言葉は『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力と呼べない』だ。これは元プロ野球選手の王貞治さんの言葉である。

この言葉を選んだのは、自分の努力は、まだ努力と呼べなかったからだ。ピアノコンクールに出場すると決まった時から、練習をがん張った。でも、ずっとそいういわけにはいかず、時にはやめたい気持ちにもなった。その時、この言葉に出会った。

そこで気付いたことは自分の努力はまだ努力と呼べないことだ。今までは『このくらいの練習でいいかな』と満足していたけれど、王さんは『努力』と呼べるまで努力してホームランをたくさん打った。それほど努力もせずに『努力した』と言ったことが、ちがうことに気付いた。

私も、王さんのように報われる努力にたどり着くまで、一生けん命に、努力していきたい。(中国新聞投書 女性12)

◆12歳といったら、中学1年生かねえ。12歳にしてこの金言に出会ったあなた、とても幸せですね。頑張ってください。



■■<亜豪で稼ぐ日本人① 『オーストラリアでラーメン店、年収3千万円』>オーストラリア・シドニーの象徴、オペラハウスの対岸にあるビジネス街で、日本人が営む一軒のラーメン屋が人気を博している。

『Soi Ramen Lab ソウラ―メンラボ』。他民族国家の豪州で、多くの人に食べてもらえるラーメンを『研究する』という意味を込めた。ネット上の口コミ評価は5点満点中の4.8点とすこぶる高く、『ベジタリアン向けのメニューもあった』などと感謝のコメントが並ぶ。


◆『ピーク時年収は3,000万円超え』 共同経営者の1人で店長の関田岳志(41)は奈良県出身。関西の日本料理店や首都圏のラーメン店で修業した。ラーメン店勤務当時の年収は400万円。28歳の時、『いつか経験したい』と夢見ていたワーキングホリデーで初めて渡豪した。

英語を学ぶ傍ら、経験を生かして現地のラーメン店で働き始めた。時給は15豪ドル(当時のレートで1,200円)。ビザの期限を迎えて帰国したが、現地のなじみ客から『いつ帰ってくるんだ』『一緒に店を出さないか』と持ち掛けられた。自分を必要としてくれる人がいることが嬉しかった。

出資者の協力を得て2015年に店長として最初の店を開業。日本から弟も呼んで2号店、3号店を開き、永住ビザも取得。年収はピーク時で3,000万円以上に膨らんだ。

新型コロナ禍で一時帰国したが、22年に再び渡豪。新しいコンセプトで現在の店を立ち上げた。妻子と3人家族で、家を2軒買うなど資産形成も進める。関田は『ゆくゆくは日本に帰りたいが、子供の教育環境や老後の生活資金のことなどを考えると、しばらくはここで働きたい』と話す。

今、成功を夢見て、関田のように海外を目指す人が増えている。日本では得られない経験を積むという前向きな理由のみならず、低賃金が続き閉塞感が漂う日本への失望という後ろ向きの理由があることは想像にかたくない。



■■<米大学進学『佐々木鱗太郎』>米国の大学へ進学する意向を表明していた高校野球の『佐々木鱗太郎内野手』(花巻東高)の入学先が決まった。全米大学体育協会NCAA1部の競合で学業でも世界屈指の名門校。高校球界のスターの夢のある挑戦は、後に続く高校生アスリートの進路にも影響を与えそうだ。

年間1,000万円以上とされる学費や寮費は『アスレチックスカラシップ スポーツ奨学金』で賄われる。佐々木には他にも複数の大学からオファーがあったという。日本の高校野球のレベルが米国でも高く評価されていることが分かる。

佐々木の公式戦出場は2025年2月からの予定。NCAAには勉強でGPA(科目評価)が一定以上でないと試合に出場できない厳格なルールがある。佐々木は野球の練習と並行して英語に習熟してリポートの書き方などを学び、必要ナGPAの獲得を目指すことになる。

学業と競技の両立が不可欠ナNCAAの強豪校は、学生アスリートに対するサポートは日本では想像できないほど手厚いという。シラキュース大でプレーした菅野洋佑(25)は、『勉強では出席の重要性や論文・リポートの多さに驚くと思う。でも、学業で苦戦する学生アスリートを助けるためのスタッフもたくさんいる。困ったらためらわずに周りに助けを求めること』とアドバイスを送る。



佐々木は選手としてだけでなく人間として成長するために米国の大学に進む決断をした。先輩の大谷のように、信頼関係を大切にして、ひたむきに努力を続けることができれば、その目標は間違いなく果たせるだろう。(北川和徳筆)

◆年間費用が1,000万円以上か。普通の家庭だったら、送りだせないねえ。凄い世界だなあ、アメリカは。