今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『乗換駅、インターラーケン東駅』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背を進む麻莉亜』。そして、冬の花『スイセン』と、花期の長い『ヒメツルソバ』です。これらの花が咲けば、まさに『春遠からじ』ですねえ。

『ヒメツルソバ』はヒマラヤ産。明治期に日本に入ってきた。花は集合花で、小さい花が1cmほどの球状に集まった金平糖のような形をしている。園芸店などの紹介でも『金平糖がいっぱい咲く花』などと紹介されることも珍しくない。開花直後はピンク色をしているが、徐々に色が抜けて白へと変化する。 花期は5月頃から秋にかけて長いが、真夏には花が途絶える。ヒマラヤ原産の植物にしては耐寒性はそれほど高くなく冬季には降霜すると地上部が枯死し宿根状態となり、さらに土壌凍結が起きると根も枯死して全滅してしまう。ただし種子の発芽率が比較的高いため親株が死滅してもこぼれ種で翌年には新たな株が芽吹く。

 

















 

















■■『加瀬伝八郎どのの娘御か』『さようでございます。母御が亡くなられて今年は七回忌になりますので、その法事のご相談にまいられました。多美どのと申されますが、あの方もお気の毒なことに藤川さまを離縁になりまして、いまは・・・』

清左衛門は徳元の言うことを半分も聞いていなかった。そうか、あの人はもう七回忌でさっきのは娘御か。すれ違った時に見覚えがあると思ったのは気のせいではなかったのだと思い、自分の思い入れに気持ちをうばわれていた。

清左衛門が支藩の松原藩に使いに行ったのは、21の夏のことである。前年から御小納戸組に見習いとして出仕していて、公用の使いはその時がはじめてだった。

使いの中身は松原藩の重役に会って、書類を受け取って来るだけの簡単なものだったが、清左衛門は緊張していた。その日は未明に家を出て昼すぎには松原城下に着き、書類を受け取るとひとやすみもせず引き返した。

八ツ(午後2時)頃に国境沿いの籾摺川に出、川岸に腰を下ろして持参の握り飯を喰った。そして湊町の魚崎についたのが七ツ半(午後5時)である。そこまで帰れば、あとは城下まで3里の行程だった。まだいくらか日の気配が残るうちに、城下にもどれるだろう。

そう思った時、若い清左衛門もさすがに重い疲れを感じた。魚崎は漁船のほかに商い船も入る湊町である上に、街道の宿場でもあった。人がごった返しているにぎやかな町である。そのにぎやかな町が持つ心やすさに惹かれて、清左衛門は葦簀ヨシズ張りの茶屋に立ち寄ると、つめたい麦茶をのんだ。生き返った気持ちになった。日射しはまだ暑かったが、残る3里を歩き通す気力がもどって来た。

茶店を出て、清左衛門は尾花町という商人町に差し掛かった。そして男に呼びとめられた。清左衛門を呼びとめたのは、大阪屋という呉服問屋の主人である。

自分でそう名乗ってから、主人が言った。
『ご城下におもどりの方とお見受けしましたが、ご家中の方でしょうか』
『さようだが』
『それでは折り入ってお頼みがございます』


■■<ポーラ及川社長十訓Ⅱ『「行動先行」の切り替えスイッチ』>自分で言うのも何ですが、私は切り替えが上手な方だと自負しています。落ち込むことがあってもそれを引きずりません。

ポイントとしては『行動先行』であること。行動すれば頭のスイッチも切り替わる。頭だけのスイッチを切り替えようとしても難しいですから。

仕事で落ち込んだ時には、会社から一歩出ることを心掛けます。公園で新鮮な空気を吸い、少し余裕があればちょっと離れたホテルのレストランに行って、ご飯を食べて戻ることもあります。



オンとオフの切り替えには、夜に食事会を入れるのが効果的です。私は人に会うと気持ちが浄化されるタイプで、会いたい人と会うのが何よりの癒しです。ここでも場面の切り替えは大事で、会社からできるだけ離れたエリアに設定します。

こういうお楽しみのスケジュールを入れておけば、仕事のモヤモヤを家に持ち帰らないで済みます。人によってはスポーツジムやカラオケなどでもいいのかも知れませんね。

働きながら休暇を楽しむわーケーションも大好きです。自然の中にいると、仕事を持って行っても思考を切り替えやすくなります。

最近では、鹿児島で一泊二日の『オイカワ企画ワーケーションプラン』を立てて、友人に声を掛けたら10人も参加してくれることに。

24時間の中でオフへの切り替えとして、1時間のワークショップを3つくらい開催できるかな、と考えています。スキルを持っている参加者にお願いして、自己認識のワークショップやチームビルディングのワークショップ。

そして寝る前には、私のスキンケア講座を・・・。こういうことが出来るのはワーケーションならではです。


■■<福山の日野折箱店、『商工会とタッグ、売上7倍』>福山市の小規模事業者と商工会がタッグを組み、弁当などに使われる折箱の売り上げを7年間で7倍に伸ばして注目を浴びている。復活を実現したのは日野折箱店と神辺商工会。町商工会の担当指導員は手腕が評価され、全国の商工会が支援力を競う2023年度の大会で日本一に輝いた。低迷する売り上げが急回復した原動力とは――。

『日野折箱店』は1948年創業で、従業員はパートを含め9人。かつては苦境にあえいでいた。祖業の折箱部門は、冠婚葬祭が簡素になったあおりで低迷。事業の中心は割り箸やおしぼり、使い捨て容器などの包装資材部門に移っていた。日野貴文社長(46)は17年、活路を求めて町商工会経営指導員の藤本貴史(45)に支援を頼んだ。

課題はデジタル化への対応だった。電話で注文を受け、箱作りの管理はホワイトボードに手書きで済ませるなど、デジタルとは遠い状態だった。藤本の提案で、受注から製造、出荷までのワンストップで管理出来る専用ソフトを導入した。



日野は提案を受け入れるだけでなく自らソフトを使いこなし、従業員が使いやすいように工夫した。例えば従業員がミスした際、日野がソフトの作業指示書を作り替え、注意ポイントを赤字で表示するようんいした。

藤本は『日野社長の工夫でデジタル化に対応出来たから、生産性が上がった』と振り返る。この取り組みが後に大きな効果を生む。

◆折箱事業は、同業が廃業するなど業界そのものが逆風にさらされていた。だが、新型コロナ禍で食物の持ち帰り需要が急増。日野折箱店はデジタル化で効率を高めていたため、受注の拡大に対応出来た。折箱部門の売上高は16年6月期の1,200万円から23年6月期には8,250万円に7倍と急増した。

一連の取り組みと成果が評価され、藤本は昨年12月、全国の商工会が経営支援の事例を発表する全国大会で広島県内の商工会として初めて最優秀賞に輝いた。藤本は『日野社長が努力してくれた結果の受賞。小規模事業者のデジタル化の成功例になった』と喜ぶ。

日野は将来を見据えた活動に歩み出している。3月以降には本社近くで新工場を稼働する。月6万~7万個の生産力を月10万個以上に高める。逆風を乗り越えた経験を生かし、同業へのコンサルティングも始めた。『折箱業界は事業継承が課題。若い同業者に経験を伝えたい』と。

◆まだに、『人生は塞翁が馬』だなあ。たかが折箱、されど折箱、だ。お見事!


■■<閉山中の富士山で遭難、『53歳男性の行方わからず』>1月13日、都内在住の男性が家族に『富士山へ登山に行く』と家を出たまま、その後も家に戻らず行方がわからなくなっていることから、警察は遭難した可能性もあるとして17日に捜索を行った。

行方がわからなくなっているのは都内在住の会社役員の男性(53)で、1月13日午前10時頃、家族に『富士山へ登山に行く』と告げて家を出たものの、16日現在も帰宅していない。

男性は14日に帰宅する予定だったため、心配した家族が警視庁管内の警察に届け出た。

警視庁の情報では、男性は水ヶ塚駐車場(裾野市)を利用した可能性があるということで、県警の山岳遭難救助隊は17日に富士山に入り、捜索を行った。

富士山は現在、いずれの登山道も通行止めで閉山期間となっている。



◆まあ、このような『ルール破り』には、天罰てきめんだねえ。かわいそうだが、ルール違反で遭難したのだらから、まさに『自業自得』ではあろうな。18日、夕刻現在、男性が救出されたという情報はない。ご愁傷様ではあるなあ。家族にとっては、新年早々から大変な事件事故ではなるなあ。仕方がない。