今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『インターラーケン東駅』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背を進む麻莉亜』。インターラーケンから、トレッキングのベースになる『アウターブルネン』の村までの登山電車に乗り替えます。そして、広島の里山縦走『三滝山~丸山~大茶臼縦走Ⅱ』です。三滝山山頂から、西山本に下山、やん谷を上り、丸山へ。
 

 

 










      <登山道を整備するボランティアの男性>

          <丸山へ上り返し>





         <峠をわたってきた馬のための湯つぼ跡>

               <茶屋跡>



       <峠をわたって来た人のための汗流しの湯つぼ>

             <寺社の奥の院>

          <牛田山・戸坂方面>

          <戸坂・松笠山方面>

          <高陽町・白木山方面>



■■『そうか。では村に行って着る物と喰い物をつごうして来よう』
『いや』
奥之助は立ち上がった清左衛門を制した。
『そのまま行ってくれ。もう、もどらんでくれ』
『何を言うか』
『いや、自分が何をしたかはわかっておる』
と奥之助は言った。

しばらく沈黙してから、また声を押し出すようにして続けた。
『貴公が憎かったのだ。いや、ずっとそうだったわけじゃない。が、ひさしぶりに会った時、その思いが胸にあふれて来た。とめようがなかった』
『・・・・』

『同じ隠居でも、貴公は家禄をふやし、用人という役も勤めた。その上の隠居だ。わしは一度も日の目を見なかった。落ちぶれたまま隠居せざるを得なかった。家の者も、大事にはしてくれぬ。当然だ』
奥之助はちらりと顔を上げて、清左衛門を見た。

『しかし憎んだと言っても、まさか殺すつもりはなかった。信じてもらいたい。魔がさしたのだ。恥ずべきことをした』
『・・・・』
『許してくれとは言わぬ。助けてもらった礼も言いたくない。それでも、昔の情けという気持ちが一片でも残っていたら、このままわしを見捨てて帰ってくれ。もう二度と貴公には会わぬ』
『そうか』
清左衛門は太い吐息をついた。しばらくして言った。
『わかった。では、このまま帰る』

砂浜を横切って、清左衛門は漁村がある山陰にむかった。寒気が身体を刺して来た。波の音がだんだん遠のいた。
――これで・・・。
金井奥之助とのつき合いが、すべて終わったようだと清左衛門は思った。のぞんだことなのに、喜びはなく胸に空虚なものがしのびこんで来ている。年老いてみじめなのは、豈奥之助のみならんやと思うからであろう。

振りむきたい気持ちをおさえて歩き続けた。暗い足もとでさくりさくりと砂が崩れた。


■■<【移籍情報】福岡、広島FWナッシム・ベン・カリファが完全移籍加入>現在31歳のナッシム・ベン・カリファは、元スイス代表の経歴を持つストライカー。自国のグラスホッパー・クラブ・チューリッヒでプロキャリアをスタートし、ドイツのVfLヴォルフスブルクや1.FCニュルンベルクなどを経て、22シーズンにチュニジアのエスペランス・スポルティーブ・ドゥ・チュニスからサンフレッチェ広島に加入した。広島での2シーズン目を迎えた昨季は、リーグ戦26試合に出場し、2得点を記録した。

福岡は、今オフにチーム最多10ゴールのFW山岸祐也が名古屋グランパスへ、昨季リーグ戦で5ゴールをマークしたFWルキアンが湘南ベルマーレへ移籍していた。

福岡に加入する本人は、クラブ公式サイトを通じて以下のように加入への喜びの声を語っている。

『アビスパ福岡へ加入できて嬉しく思います。この尊敬されるクラブで戦えることを光栄に思いますし、これからの挑戦がとても楽しみです。私はクラブの目標達成に全力を尽くすつもりです。新しい環境やファン・サポーターの皆さんと会えるのを楽しみにしています』



また2シーズンを過ごした広島の公式サイトでは以下のように感謝の言葉を述べている。

『親愛なるサンフレッチェ広島へ。この言葉をもって皆様に深く感謝の意を表したいと思います。皆さんの信じられないほどの歓迎とサポートは、ピッチ内外で私に大きな感動を与えました。美しい広島でお会いした時の皆さんの共感、皆さんの激励、声援が私に活力を与えてくれました。私たちが作った思い出は、いつも私の心の中で特別な場所にあります。特にルヴァンカップ決勝やピースマッチでの勝利は忘れられません。友情、サポート、そして忘れられない瞬間をありがとう。また、素晴らしいチームメート、常に驚くほどプロフェッショナルであったスタッフ、そして監督・コーチにも感謝したいと思います。皆さんと離れるのは寂しいですが、このクラブはいつも私の心の中で特別な場所です。すべてに感謝します!』

◆サンフレのスキッベ監督が就任とともに、招聘したカリファ。2年間だったけれど、サンフレの上位進出に大きな役割を果たしてくれた。今季急遽サンフレが、湘南からストライカー大橋祐紀(27)を招聘したこで、カリファの役どころに影がさしたのだろう。福岡からみれば、手薄になった攻撃陣の穴埋めという策にもはまる。カリファの福岡での活躍を祈りたい。


■■<マツダ、『ロータリーエンジン開発、専門チームが6年ぶり復活>マツダの毛籠(もろ)勝弘社長は12日、千葉市の幕張メッセで始まった改造車ショーの東京オートサロンで、ロータリーエンジン(RE)の開発を専門とする組織を2月1日付で6年ぶりに復活させると発表した。プラグインハイブリッド車(PHV)に載せる発電用REなど、車の電動化に向けた独自の強みと位置付け、燃焼技術の改善などを加速する。技術者約30人で再始動する。

名称は『RE開発グループ』で、かつてのRE開発者などを集める。前身の組織は2018年4月に解散し、所属していた約70人は他のエンジンの開発などに散らばっていた。源流は『四十七士』と呼ばれた技術者47人で1963年に発足したRE研究部。毛籠社長は『鍛錬を積んだエンジニアが再結集する。飽くなき挑戦の精神で奮起してほしい』と述べた。



マツダは電動化の多様な選択肢の一つとしてPHVに力を入れている。昨年はスポーツタイプ多目的車(SUV)のMX―30に発電用REを積むPHVを追加。10月には高出力の発電用REを搭載するコンセプト車『マツダアイコニックSP』を公開した。

毛籠社長はオートサロンの会場で『コンセプト車への多くの賛同と激励に背中を押され、夢に近づくべく開発グループを立ちあげる』と強調。『何とか実現できるようにスタートを切る』としつつ、『解決しないといけない技術課題は、ものすごくハードルが高い』との認識も示した。

マツダは小型オープンスポーツカーのロードスターと小型車マツダ3のスポーツモデルを開発しているとも明かした。発売時期は未定。このうちロードスターは屋根を手動で開けるタイプに日本では初めて排気量2000ccのエンジンを載せる。オートサロンは14日までで、マツダは6台を出展した。

◆このロータリーエンジン開発グループは、単にREをPHVの電源にする目的だけではなかろうな。水素でも動くREであり、またエタノールなど植物由来のアルコール類でも動くエンジンなのだ。究極的に水素ロータリーの研究となると、これは様相が違ってくるなあ。EVは、車自体は無公害というものの、火力発電で発電し、電池を作る工程では相当のCO2を排出している。ひょっとして化けるかもな。カープ、サンフレのためにも頑張ってほしいマツダではある、な。



■■<『日大の田中英寿元理事長死去 77歳r> 日本大理事長や日本オリンピック委員会(JOC)の副会長も務めた田中英寿(たなか・ひでとし)氏が13日、77歳で死去したことが、日大関係者への取材で分かった。病気療養中だったという。

田中元理事長は青森県出身。日大相撲部で学生横綱になり、3回の全日本選手権制覇を含めて34個のタイトルを獲得した。相撲部の監督や総監督を務めたほか、アマチュア相撲の全国組織で役員となり、JOCの副会長にも就いた。

卒業後は日大職員になり、2008年には日大理事長に就任。13年間に及ぶ在任中、自身に学内の権力を集中させて『日大のドン』とも呼ばれた。21年11月には、日大の取引業者から受け取ったリベートなどを隠し申告しなかったとして所得税法違反容疑で逮捕され、その後に有罪判決が確定している。

事件の背景には、田中元理事長を頂点とする学内の権力構造の問題が指摘され、日大側が田中元理事長との『決別』を宣言し、現在の林真理子理事長をトップとする新体制に移行することになった。



◆77歳でなくなるなんて、悪行を重ねて、酒毒にまみれて頓死だろうなあ。同じ穴のむじだであるかみさんも既に亡くなっている。いくら金があろうと、寿命100歳時代に、命がこう短くては人生謳歌とは言えないねえ。『てんもうかいかいそにしてもらさず―天網恢恢疎にして漏らさず』だな。

まさに、天が悪人を捕えるために張りめぐらせた網の目は粗いが、悪いことを犯した田中英寿は一人たりとも漏らさず取り逃さない。天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある、ということだなあ。まさに正真正銘の、『天網恢恢疎にして漏らさず』だ。