今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『インターラーケンへの車窓から』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背を進む麻莉亜』。そして、きらびやかな花『アルストロメリア』と、淡い紫色が魅力的な『アゲラタム』です。

 

































■■『どっちの見通しがあたるか、見ものだな三屋』
『・・・・』
『しかし、考え直す方がよくないか。いろいろな人に意見を聞いたが失政は事実だそうだ。まず山村家老に勝ち目はないぞ』
『この春はな』
と清左衛門は言った。
『しかし、その後のころはわからんぞ』

『その後?』
『山村家老は今度の争いに負けるかも知れぬ。だがおれが聞いた話では、今の藩政を支えているのは、じつは、家老たちではなくて中老の遠藤治郎助どのだというのだ。これまでの10年、藩がよくまとまって来たのは山村家老の手柄ではなくて、遠藤どのの采配がすぐれていたからだと、ひそかに言う者がおる』
『・・・・』

『筆頭家老では、遠藤どののほかの執政から事実は腫物扱いされていたらしい。組頭が指揮するような失態も実際にあって、この春朝田派の攻勢を受け止め切れまいと遠藤治郎助どのはみておられると聞いた』
『・・・・』
『しかし反面、それで山村家老が藩政から身をひくということになれば、それはそれでねがってもないことだというわけで、あとは遠藤どのは黙ってその後の推移を見守るつもりらしい。朝田弓之助どのはたしかに頭の切れる組頭だが、今のむつかしい藩政を切りまわすには少々齢が若すぎる。つまりは経験不足、いずれボロが出るとみているのだ』

『ふむ、そういう見方か』
『今の執政は、筆頭家老本人に少々問題があったというだけで、概してうまく藩政を動かして来た。朝田派にボロが出れば、政権は自然に現執政にもどって来る。その時は遠藤どのを中心にした新しい執政の顔ぶれが出来るだろうという見通しが出来ておる』
『それもひと理屈だな』

『おれはこっちに賭けた。どうだ、そっちこそ考え直す時期じゃないのか。朝田派から乗り換えるというなら、家老派というよりも遠藤派のしかるべき人間に引き合わせてもいいぞ』


■■<『「幼少期から身近」 俳優・佐野史郎⑤』>映画関係者がから勧められたカメラを手にして、撮影の合間に共演者にレンズを向けた時期もあった。『仕事でのカットとは違う素の表情が撮れました。共演者ではないと撮れない距離感かな。でも、心を許しているのか、そうじゃないのかと分かるので、怖くて共演者の撮影はやめました』。

写真はうそをつかない。そう理解してからも、カメラはつも手にしてきた。佐野家の家族アルバムがきっかけとなり、写真展を開くことに。2008年に東京と大阪の富士フィルムフォトサロンで『あなたがいるから、ぼくがいる』というタイトルで初の写真展を開催した。

その後、写真にまつわる仕事を続けているうちに、21年に神奈川県・箱根の『彫刻の森美術館』からカレンダーの写真撮影を依頼された。だがその後、多発性骨髄腫が判明。撮影は無理になったが、美術館側から『どうしてもお願いしたい』との申し出を受け、延期が決まった。



退院して体力が戻ると、彫刻の森美術館と、姉妹館の美ケ原高原美術館に通った。撮影には体力と気力、それに集中力がいる。しかも彫刻の森の標高が500m、美ケ原高原が標高2000mという自然条件も厳しかった。

過酷な治療の後でしたから、撮影では体力と気力をだいぶ振り絞りました。同時に『そこにものが存在する』という、表現の原点に戻ってみたいという気持ちになったのも確か。それに写真を撮影している時間の感覚は、俳優として生きている時間と変わらない身体感覚がありました』

◆佐野史郎が『写真家』だったとは、驚きである。病気に倒れ、復活した模様は垣間見ていたが、そんなに古くから写真に関わっていたとは。まさに驚きではある。


■■<日本全国一蹴度『旅する先生―出張授業』>旅する先生――。自転車で日本一周しながら、全国の小中高で挑戦の素晴らしさを出張授業する取り組み。7年前、私は旅する先生を名乗り、広島市の母校・基町高校から旅に出た。

目的は、教員になる前に多様な子供の姿を実体験するこだった。至らない自分を脱却し、理想の教員像に直線的に成長する手段と捉えていたのだ。



474日間の旅で62校を訪問した。各校のでの学びは自然的に実りあるものだった。しかし、旅先で偶然出会った人のひと言が、キャリア形成に大きく影響した。特に印象的な3つを紹介する。

『いやぁ、若いうちにしかできんから!』。山奥で雨宿り中に出会ったおじいちゃん。73歳から徒歩日本一周に挑戦。なぜその年で始めたのか、と尋ねた。と、『今日が最も若い日』と。私も挑戦したくなりました。

『雇われる人間と、雇う人間、どっちになりたい?』。埼玉県で宿泊させてくれた酒屋の店長が別れ際に行ったひと言。『学校を作る』という選択肢が生まれた。

『なでやねん! まだ何も始まってないやん!』。兵庫県でご飯をおごってくれたおじさんに、ゴール報告の電話を入れた際の返答だ。人生は現在進行形だと認識できた。

ゴールから半年後、私は神戸に『イドミィ』という小さな学校を作った。挑むから、イドミィと。100人の小中高生に探求学習やアウトドア、フリースクールの場を届ける日々だ。道半ばだが、挑戦してよかったと思う。



人類学者、ティム・インゴルドは点と点を結ぶネットワークと対比する存在として、蛇行しながら生成変化する線の『メッシュ・ワーク』を概念づけた。人生はメッシュ・ワークだ。予定通りにはいかない。だからこそ、うまくいかない状況を前向きにとらえ、偶然の出会いを大切にし、蛇行を楽しむ心が必要ではないだろうか。

今月、7年ぶりに母校で講演する。高校生に偶然を楽しむ生き方を届けたい。(高橋惇筆)

◆まさに、『Boys be ambitious!』だねえ。素晴らしいねえ。『今日が最も若い日』にも感じ入るねえ。


■■<『コンサル倒産急増』経営を助言する側がつぶれてどうする!>経営コンサルティング会社の倒産が過去最多となった――。東京商工リサーチが2023年12月頭に発表したレポートがビジネス界を騒がせた。『DXバブル』などで業界が盛り上がり、個人経営のコンサル会社にも案件が殺到していると思われていたのだろう。だが実際は『経営を助言する側』が経営不振に陥っていたのだ。現在、業界内で何が起きているのか。独立系コンサルの現役経営者が『自己分析』する。(森経営コンサルティング代表取締役 森 泰一郎)



◆コンサルに『厳冬』到来!?倒産件数『リーマン超え』  2023年1~10月期における経営コンサルティング会社の倒産件数が116件となり、リーマンショック時の件数(09年同期の109件)を超えた――。
信用調査会社・東京商工リサーチが12月頭にそんなレポートを発表すると、世間に驚きをもって受け止められた。コンサル会社を経営する筆者の元にも『衝撃的だ』という声が寄せられた。

なおこのレポートによると、22年同期のコンサル倒産件数は78件であり、ここ1年間で約1.5倍に急増したという。23年に倒産したコンサル会社のうち89.6%は、負債1億円未満の小規模事業者だとしている。

では、実際のコンサル業界はどうなっているのか。本稿では、経営者として現場にいる者の感覚をお伝えしていきたいと思う。

まずは『大手以外』のコンサルの実態について解説していこう。冒頭の調査でも言及されている通り、昨今は個人経営および中小のコンサル会社が増加している。そして、各社の経営層のバックグラウンドは多様化している。

一昔前の独立系コンサルは、大手コンサルファームである程度の地位まで上り詰めた人物が集まり、複数人で起業する場合が多かった。弁護士や税理士などの難関士業の出身者が経営に関与したり、大企業の定年退職者が『顧問』のような形で参画したりするケースも見られた。

一方、新型コロナウイルス禍を機に事業環境や働き方が変化したことによって、コンサル業界に参入する人物の属性が変化した。具体的には、フリーランスや副業という形でコンサル業を担う人、定年退職を待たずに独立起業に踏み切る人、従来の士業とは異なる『中小企業診断士』の資格を持つ人など、さまざまなバックグラウンドを持つ人が増えたのだ。他にも、大手コンサルファームを『早期に辞めて独立したい』という若手層が筆者のところに相談に来る例も増加した。

読者にはあまりなじみがないかもしれないが、すご腕のITエンジニアがベンチャー企業などに向けて技術的アドバイスを行う新業態のコンサルも見られるようになった。前述の通り、エンジニアという本業を持ちつつ、副業としてコンサルティングを担っているわけだ。実際に筆者の友人でも、このような形態で成功している人がいる。

◆では、中小および個人のコンサル会社のビジネスモデルについて解説しよう。こうした独立系コンサル会社の業態は、ターゲットとする顧客層によって二分される。簡単に言うと、中小企業向けと大企業(または上場企業)向けに分かれる。どの規模の企業を対象とするかによって、提供するソリューションや求められるスキル、参入障壁の難易度も変わってくる。

まず中小企業向けであれば、基本的には『月額いくら』という料金体系で契約をして、顧客企業の経営者と二人三脚で会社の課題を解決していくことが多い。

中小規模の顧客は『一つの課題を解決したら終わり』というケースは少ないため、金額は低くても契約期間が長くなる。その結果、一過性の取引で終わらず、継続的にお付き合いする企業も複数出てくる。コンサルティングの手法としては、経営層との対話形式や実務のサポートが中心となる。



他の稼ぎ方としては、クライアント同士をマッチングし、何らかの取引やビジネスを成立させることで手数料収入を得る方法がある。昨今話題となっている『事業承継や企業買収の支援』をメイン事業とするコンサル会社もある。

一方、筆者らがメインとする大企業向けコンサルティングでは『新規事業開発』『組織開発』といったテーマを細かく決め、課題ごとにプロジェクトを走らせて解決を目指す。単価は高いが、プロジェクトの期間は3カ月~半年と短いことが多い。

◆さてここからは、コンサルを取りまく事業環境の変化について解説しよう。つい最近までは、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の進展が顕著だった。20年後半以降、日本のビジネス界では大手企業を中心にDXが進み、中小企業でも21年以降に浸透しつつあった。

大手企業の関心はどちらかといえば、ビジネスモデルやサービスの改善を含めた『攻めのDX』だ。中小企業は、ITを活用した自社の業務効率化などの『守りのDX』を志向するケースが多い。このうち後者は、中小企業向けの独立系コンサルでも扱える案件が多く、業界の活性化や新規参入につながったといえよう。

また、冒頭で述べた東京商工リサーチのレポートにもある通り、政府や自治体から助成金・補助金を得るためのアドバイスに注力するコンサル会社が台頭するようになった。ただし、中小企業のIT整備が進むにつれて、DX関連のコンサルティング案件が徐々に減ってきた。これが直近の大きな変化である。もちろん、助成金周りの案件も半永久的に発生するものではない。

そのため、これらの領域で食べていたコンサルタントの仕事が失われ、案件が次第になくなってきた。そして競争が激化し、経営者が「ソフトスキル」を持たない企業が淘汰されるようになった。こうした事情で、比較的新しいコンサル会社が危機に。

◆コンサルも『トーマツ』などの超大手から、1人事業者まで千差万別だからなあ。大前研一がマッキンゼーでコンサルをやった頃が、日本でのコンサル業の黎明期であろうなあ。私はコンサルに詳しくないが、一番必要な能力は、数字から問題点を発見、発掘する能力であろうなあ。それには、幅広い事象、事案に研究をかさね、能力の間口を広くとる必要があるね。なまじっかではコンサルは務まらない、のである。