今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『インターラーケンへの車窓から』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背を進む麻莉亜』。そして、ひさしぶりの広島市の南端『江波の景色――江戸時代からの守り神、海神宮と江波港』です。江波島江戸の時代からの歴史を誇ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■『あの方がいらっしゃるのを、おとうさまはあまり喜んでおられないように見えますけれども』

『まあ、そうだ。古い友だちだから来るなとも言えぬだけで、うれしい客というわけでじゃない』

『むかしに何か、お若い頃にでもあの方に借りでもございましたのですか』

 

『借りというわけではないが・・・』

嫁の、いかにも内輪の会話らしい俗な言い方に、清左衛門は苦笑いした。

『しいて言えば、わしはしかるべき地位を得て禄も増えたが、奥之助は家禄をへらしたまま、不遇といってよい暮らしをしておる。それが借りかな。やつの家で茶を一杯ふるまってもらったが、いや、粗末な家だった』

 

『そうですか』

『もとは同列だったがものが、30年会わずにいる間にその違いが生じた。若い間は功名心もはげしくまだ先があると思うから、多少の優劣などということでは決着がついたとも思わぬものだが、年取るとそうはいかぬ。優劣はもはや動かしがたいものとなり、おのがことだけでなく、人の姿もよく見えてくるものだ』

 

清左衛門は、ついでだから金井奥之助のことを話しておこうかと思った。

『奥之助が今のようになったのには、わけがある』

 

近く藩を二分する政変が起きるだろうという噂がささやかれるようになったのは、清左衛門も金井奥之助も御小納戸勤めをしている時だった。2人ともまだ若く、清左衛門は23で奥之助は25だった。

 

■■<『「写真撮影、表現の原点」 俳優・佐野史郎③』>リラックスした表情を浮かべていた佐野史郎(68)は10月28日夕、新潟県新発田市にいた。レトロな雰囲気が漂う吉原写真館で行われたトークセッションに参加するためだ。タイトルは『写真の力 佐野史郎X吉原悠博』。吉原悠博(63)は明治時代から続く写真館の6代目で、2人は写真を通して知り合った。

 

写真館の部屋や階段の壁などには、松江で医院を営む佐野の実家に保管されていた明治時代からのアルバムからピックアップした写真。そして佐野のセルフポートレートが展示された。

 

『私の写真展のタイトルが「まなざしの先の俳優」って大層なもの。何様のつもりだという気がします』。そう語り始め、スタジオに集まった50人の観客を和ませた。佐野にとって、この場はちょっと特別な空間。自然光が入るこのスタジオで『まどのそと』などの曲を収め、7月に発表したアルバム『ALBUM』のジャケット写真を撮影したからだ。『まさにあの辺りで撮影しました』と手で場所を示して笑顔を見せた。

 

ジャケット写真では、画家の『ルネ・マグリット』が描いた絵に登場するような帽子をかぶり、椅子に座ってギターを構えている。柔らかな弦の音が聞こえてくるようなムードあるショットだ。

 

吉原が撮影の舞台裏を語る。『普段の撮影はストロボを使うことが多いのですが、佐野さんはちょっと違うな、と。それで自然光を生かしたライティングにしました。オールドレンズを使うことも決めて2カ月ぐらい細かな調整をしてきました』

 

■■<球場中心の『街』、集客に威力発揮>盛沢山だった2023年のスポーツの話題では、北海道北広島市に誕生したプロ野球日本ハムの新本拠地『エスコンフィールド北海道』の動向にずっと注目していた。この国でスポーツが地域社会でどれだけの価値を持つのか。その真価が問われる挑戦と思っているからだ。

 

23年3月の開場から半年で新球場を核にした『北海道ボールパークFビレッジ』の入場者は1年目の目標だった300万人を超えた。うち野球観戦以外の来場者は100万人。プロ野球シーズン終了後も来場者は増え、年内に350万人に達した。

 

球場だけでなく、野球ファンでなくても楽しめるエンターテイメントやレジャー等様々な機能を集めた新たな街生み出す取り組みは、順調に滑り出したと言える。

 

Fビレッジの運営会社の役員が先日、東京都内で開催されたスポーツエコシステム推進協議会のイベントに登壇、Fビレッジについてこう説明した。『球団事業、球場事業に加えて不動産開発事業の3つを一体的に進めています』。その取り組みを、球場という城を中心に町並みができていく城下町に例えた。

 

日本では従来、プロスポーツチームの経営といえば『球団・チーム事業』だった。最近はそこにスタジアム・施設が加わり『チームと施設の一体運営が成功のカギ』などと言われている。チームの財政的な評価は、試合の入場者数や施設内の飲食・物品・広告収入、試合の放映権料などスポーツ興行の枠内に留まっている。

 

だが、米国のスタジアムやアリーナは施設周辺を含めて一体開発し、新たな街のように整備するやり方が主流になっている。三菱UFJの林顧問は『周辺施設とパッケージになることで、スポーツが持つ集客力の威力は2倍にも3倍にもなる』と話す。

 

32ヘクタールの敷地面積を持つFビレッジの整備はまだ3割程度。課題とされるアクセス改善の決め手となるJRの新駅完成は5年後の見通し。開業1年目の注目がどこまで続くか未知数な部分はあるが、人を集める魅力的な施設はこれからさらに増えていくだろう。

 

24年は長崎市でジャパネットHDがサッカースタジアムを中核とする『長崎スタジアムシティ』を開業、広島市では中心部に2月に開業するサッカースタジアム『エディオンピースウイング広島』に併設した『スタジアムパーク』の整備が進む。今年も競技以外にこうしたプロジェクトの進展からも目が離せない。(北川和徳筆)

 

◆やや少し前になるが、21世紀に拡大・充実すルビジネスの筆頭に『スポーツビジネス』が上げらている、と聞いた。まさに、新しい競技施設は、単にスポーツ競技だけの場ではなく、その他多くの人々、多くの事業者にあらゆる可能性を提供する場になりそうで、は、あるなあ。

 

それにしても、札幌ドームを運営する『札幌市』は、日本ハムという大きな魚を逃がしたねえ。なんでも、札幌市の利益のためのドーム運営だったとか。カープのマツスタとは真逆な札幌市ではあるなあ。愚かなる札幌市をさらけ出している。

 

■■<積み重ねの言葉と共に『円鍔勝三彫刻美術館』>尾道市の北山間部にある御調町。その山頂に立つ緑青色の三画屋根の建物が、『円鍔勝三彫刻美術館』です。

 

文化勲章を受章した彫刻家円鍔勝三の功績をたたえ、1993年に建てられました。御調町の美しい町並みが見渡せる円鍔記念公園の中を野外彫刻を見ながら進むと美術館があります。美術館は23年11月20日でちょうど開館30周年を迎え、節目の記念展として『円鍔勝三 わが人生』を開催しました。

 

記念の年に『これぞ、円鍔勝三』という作品を展示したいと思い、改めて考えたのは『代表作は何か』ということでした。記念切手にもなり、最高裁判所に作品がある『正義の女神』や、福井県越前市の紫式部公園内にある『紫式部像』、広島市中区の平和公園内に設置されている『平和祈念像』は有名です。

 

ほかにもキタキツネの親子の別れを表現した木彫『北きつね物語より』、円鍔自身の長男をモデルとし日展特選に選ばれた『砂浜』、鉄と木を組み合わせた大作『ムーランルージュの夜』・・・。どの彫刻も代表作になり得る傑作ばかりです。

 

記念展の準備段階で円鍔の弟子で彫刻家の重岡謙治さんにお会いし代表作を尋ねました。すると『円鍔先生は時代に合わせて、いつも新しいことに挑戦していた。なので、その時そのときの作品が代表作何です』との答えが返ってきました。

 

その言葉で思い出したのは、美術館に入ったところにある円鍔88歳の時の書『積み重ね 積み重ね 積み重ねた上にも 又積み重ね』です。円鍔自身の座右の銘ですが、途切れることのない情熱が、挑戦し続けるエネルギーとなり、数々の傑作を生みだしたのだと感じました。

 

ならば、記念展では『これぞ』という作品を全て展示しようと考え、歩みを5つの期間に分け、作品とともに作風の変遷を紹介しました。

 

私はこの美術館に勤めて今年で10年となりました。私も『積み重ね』の言葉を胸に、探求心を忘れず、これからも皆様に新たな作品の魅力をご紹介してい行きたいと思います。(松本香菜子筆)

 

◆『円鍔勝三さん』、初めて聞きました。文化勲章を受章されているくらいですから、大家には違いありませんね。機会があれば、御調町を訪ねてみたいと思いますねえ。広島駅北の彫刻も円鍔先生の作なんですねえ。晴れやか躍る女性達が華やかさを謳歌しています。

 

『御調町rは、ミツギチョウと読みます。広域合併で尾道市に繰り入れられたのでしょう。ミツギチョウとはなかなかよめません。