今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『古都ルツエルンに面するフィアヴァルトシュテッカー湖』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、難しい北穂高の『迫力抜群のゴジラの背を進む麻莉亜』、サンフレッチェ、エディオンスタジアム『最終試合のスタンド風景』。そして、広島市の東端の里山『日浦山 登山風景⑧』です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■『いい庭が出来ておるな。これは作らせたのか』

『うむ、思いがけなく藩に隠居部屋をいただいたゆえ、ついでに倅に言いつけて作らせたのだ』

『金がかかったろう』

『なに、値がはったのは石ぐらいのもので、あとは知っている村の者を頼んだということで、さほどに金はかかっておらぬ』

 

2人が庭談義をしている間に、里江がお茶と菓子をはこんで来て去った。その足音が聞こえなくなるのを待って、清左衛門が言った。

『隠居はいそがぬ方がいいぞ』

『ん?』

佐伯は口に持って行きかけた茶碗をとめて、怪訝な顔をした。佐伯熊太は、元服前からともに無外流の中根道場に通った仲で、何をしゃべってもかまわないごく少数の友人の1人である。佐伯は声をひそめた。

 

『何かまずいことでもあるのか』

『いや、そういうわけじゃないが・・・・』

清左衛門は苦笑いした。

『ただ、隠居というのは考えていたようなものじゃない』

『ほう』

 

『さぞ、のんびり出来るだろうと思ったのだ。たしかにのんびり出来るが、やることが何もないというのも奇妙なものでな、しばらくはとまどう』

『ほう』

『過ぎたるはおよばざるが如しだ。やることがないと、不思議なほどに気持ちが萎縮して来る。おのれのもともとの器が小さい証拠だろうが、ともかく平常心がもどるまでにしばらくかかった』

『へえ』

と町奉行は言った。しかし一見人のよさそうな、達磨のようにまるい顔を持つ佐伯は、風貌に似合わない鋭く働く頭脳を持っている。すばやく清左衛門が言っていることを理解した表情になった。

 

■■<ジャパニーズウイスキーⅦ『知らていない、日本のウイスキー』>今年9月、福與フクヨ伸仁(62)に朗報が飛び込んできた。福與は、サントリーのブレンダー。同社が作るウイスキーの味を統スべる『指揮者』といえる。福與にもたらされたのは、同社の『山崎25年』が世界的な酒の品評会でスピリッツ部門2,300点の頂点に立ったという知らせだった。

 

今でこそ、日本で生まれたウイスキーが国際的な品評会で高い評価を得るのは珍しくないが、かつては違っていた、初任地だった山梨の白州ディスティラリー(現蒸溜所)から大阪の山崎蒸溜所内にあるブレンダー室に移った後のことだった。当時、チーフブレンダーだった稲富孝一に呼ばれた。

 

『おまえ、次、ヘリオット・ワット行かせようと思うけど、ダメな理由があれば明日までに言え』。サントリーは、スコットランドのヘリオット・ワット大学に社員を駐在員説いて派遣し、業界研究などをさせていた。その白羽の矢が自分に立った。断る理由も見つからなかった。

 

96年、福與は家族を連れて渡航した。現地の業界に関する報告をこなしつつ、学生の身分を生かして他の蒸溜所に足を運んだ。日本のウイスキーの知名度は低く、家を借りる時、『サントリー』の社名を出してウイスキーの会社だと分かってくれたのは10人のうち2人。日本でウイスキーを作っていることさえ知られていなかった。

 

200人ほどが集まるウイスキーやビール業界のディナーに参加したことがあった。交わされるスピーチの中で、場が静まる場面があった。福與はその言葉をうまく聞き取ることが出来なかったが、同じテーブルにいた1人が、謝罪してきた。ウイスキーのことを指しているわけではないようだが、『日本製は質が悪い』と話していたようだ。『なんとなくですが、下に見られていたんじゃないですか』

 

■■<書き写し『継続は力なり』、小学2年生>ぼくは毎日続けていることがあります。それは『天風録』の書き写しです。

 

夏休みに、『ちゅーピー赤ヘル記者』のイベントに参加し、広島東洋カープの選手にインタビューをしました。その樋、大好きな森翔平投手が『継続は力なり』と言われていたこが、一番心に残りました。

 

しばらくして、ぼくは入院することになりました。入院中、何かできることはないかなと思っていたら、お母さんに天風録の書き写しをすすめられて、やってみることにしました。

 

時々、途中でやめたくなることもありましたが、森投手のことを思い出して、がんばることができました。そして、ついに1冊完成しました。

 

さいしょは、入院中だけ続けるつもりでしたが、何だかやめられなくなって、たい院後も続けています。これからはどんなことでもがんばっていきたいです。(中国新聞投書 府中町男性9歳)

 

◆ふと、大歌詞作詞家『阿久悠』を思い出した。高校時代は、ろくに勉強もしなかったが、毎日のように映画館びたりの生活。この経験の蓄積が、弘宣社に入って効果を出して波乱万丈の大活躍。その延長線上に、歌詞作詞家の道があったのだ。この少年の未来も、普通の子供がたどる道とはまた違った性格の道が待ち受けているように感じる。すばらしいことだ。

 

■■<森ビル『「ヒルズ」つなげ成長狙う>森ビルは24日、『麻布台ヒルズ』を開業した。330mと高さ日本一伸びる『森JPタワー』を中心に、住宅や商業施設、ホテルなどが入る複数のビルで構成する巨大複合施設出現した。六本木ヒルズはじめ複数の『ヒルズ』が港区六本木から虎ノ門にかけてつながる形となり、この地区での森ビルの収益基盤が固まる格好だ。

 

麻布台ヒルズは旧郵政省本庁舎ビル跡地など、8.1ヘクタールの敷地に出来上がった『街区』だ。森ビルは1989年に街づくり協議会を立ち上げ、地権者300人と用地交渉を行った。国家戦略特区における都市再生プロジェクトとして2017年に都市計画が決定され、18年に再開発組合が立ち上がって19年に着工した。

 

『エルメス』や『カルティエ』といった高級ブランドや物販、飲食店など150店舗が入る。高級ホテルの『ジャヌ東京』や、慶応義塾大学の予防医療センター、インターナショナルスクールも誘致し、富裕層を呼び込む。高級レジデンスを含む住宅部分は計1,400戸にのぼる。

 

森ビルは『麻布台ヒルズには高級ブランド店や大規模な生鮮食品マーケットも入り、他のヒルズだけでなく城南地域全体からの集客を見込める』と語る。

 

森ビルは『バーティカル・ガーデンシティ 立体緑園都市』と呼ぶ。超高層ビルにオフィスや住宅など複数の都市機能を集約し、敷地内に緑地を設ける手法で再開発事業を進めてきた。麻布台ヒルズをはじめ、アークヒルズや愛宕フリーンヒルズ、六本木ヒルズ、虎ノ門ヒルズは、いずれもこの手法で開発を進めた。

 

麻布台ヒルズの完成で、六本木から虎ノ門エリアはこうした『ヒルズ』によって面でつながることになる。森ビルは今後も、住友不動産と共同で進める『六本木5丁目西地区』の再開発を控える。

 

森ビルは面戦略をとることで、六本木ヒルズの映画館や美術館、虎ノ門ヒルズのコンベンション施設やスタートアップ拠点など、それぞれの街区の施設や店舗を他街区の住民やビジネスバーソンが相互に利用してもらうことを狙う。

 

◆森ビルは、『貸しビル業』に徹し、港区を中心に開発をすすめ、三菱地所や三井不動産のような全国規模の不動産業への道は歩まなかった。その分、一局集中的にエネルギーを注ぎ、あの六本木ヒルズの成功以来、都市開発を看板でビジネスを発展させてきた。まさに、『森ビルビジネス』を確立したと言ってもいいだろう。そして、祖父の代からの基本ビジネスをしっかり守った森一族の勝利なのであろうなあ。東京へ行ったら、是非麻布台ヒルズは見逃せない、な。