今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『古都ルツェルン駅構内』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、自身のユーチューブで『オリンパスの宣伝をする麻莉亜』、大相撲12日目『大関豊昇龍を倒し、10勝目を挙げた熱海富士』。そして、広島市の東端の里山『日浦山 登山風景③』です。

 

◆優勝争いトップの1人、熱海富士(21、西前頭8枚目)が結びの一番で東大関の豊昇龍(24)を突き落としで破り、2敗をキープ。中日から5連勝で10勝目を手にしました。

初の結びで初顔合わせの豊昇龍を相手に、立ち合い勢いよくぶつかりしっかり踏み込むと、豊昇龍に右を差されて土俵際に攻め込まれたが、最後は突き落としで逆転しました。熱海富士は初土俵(幕下、三段目付け出し除く)から所要19場所で、史上最速優勝(年6場所制以降)の期待がかかります。

同じく2敗の西大関・霧島(27)と琴ノ若(26、東関脇)はこの日直接対決となり、霧島が寄り切りで勝利し10勝目を挙げた。

 

とにかく今、大相撲での人気急上昇中です、熱海富士。あのニコリと笑った顔の表情が超カワユイと、女性ファンも引きつけています。初優勝、できればいいねえ。熱海市民と一緒に応援しましょう。

 
















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           <秋空にナンキンハゼ>

 

 

■■江戸屋敷は屋敷自体が町の中にあるだけでなく、屋敷の中にも藩主の在府の年と留守の年で100人ほどの差は出来るものの、均して350人ほどの人間が住んでいた。ひそかな町のざわめき、人のざわめきは夜がふけるまで絶えなかったものである。長い間そういう場所で暮らして来た清左衛門には、自分のほかに若夫婦とまだ赤ん坊の孫がいるだけの家は、ほかに下男と婢がいても静かすぎるように思われた。

事実国元の夜は、時刻が5ツ(午後8時)にもなればもう夜更けで、塀の外を歩く人の足音や話し声もぴたりとやみ、あとは時折の犬の遠吠えを聞くぐらいになる。

そういうことも理由のひとつだったかも知れないが、夜更けて離れに一人でいると、清左衛門は突然に腸をつかまれるような寂しさに襲われることが、2度、3度とあった。そういう時は自分が、暗い野中にただ1本で立っている木であるかのように思い做されたのである。

清左衛門は意外だった。清左衛門がひそかに隠居を考えるようになったのは、3年前に妻の喜和が病死してからである。妻が死んだ時清左衛門はまだ49歳だったが、やや勤めに疲れていた。そして先代藩主が死去した時には、隠居の決心はゆるぎないもになった。

従って、隠居して勤めをひき、子供に家を譲ることについては、仕事の上の心残りも余分な感傷の類も一切なかったつもりである。隠居してあとは悠々自適の晩年を過ごしたいと心から望んでいたのだ。

清左衛門が思い描いている悠々自適の暮らしというのは、たとえば城下周辺の土地を心ゆくまで散策するというようなことだった。散策を兼ねて、たまには浅い丘に入って鳥を刺したり、小川で魚を釣ったりするのもいいだろう。記憶にあるばかりで久しく見る機会もなかった白い野ばらが咲き乱れている川べりの道を思い浮かべると、清左衛門の胸は小さくときめいた。

ところが、隠居した清左衛門を襲って来たのは、そういう解放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。そして、その奇妙な気持ちの萎縮が、数日して自然に消えた時、清左衛門はそのものがどこから来たかをいささか理解出来た気がしたのだった。

隠居をすることを、清左衛門は世の中から一歩退くだけだと軽く考えていた節がある。ところが実際には、隠居はそれまでの清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣のすべてを変えることだったのである。

勤めていた頃は、朝目覚めた時にはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝覚めの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。君側の権力者の1人であった清左衛門には、藩邸の詰所にいる時も藩邸内の役宅にくつろいでいる時も、公私織り交ぜて訪れる客が絶えなかったものだが、今は終日1人の客も来なかった。


■■<ジャパニーズウイスキーⅢ『サントリーを辞し、家業へ』>ウイスキーの消費がどん底まで落ち込んだ『冬の時代』。肥土アクタ伊知郎(58)も、その厳しい冬の寒さを知るひとりだ。

江戸時代に創業した埼玉県秩父市の蔵元『肥土本家』に生まれた。多くの杜氏を輩出してきた東京農大醸造学科を卒業後、1988年、サントリーに就職した。

バブル経済の真っ盛り。世の中は消費の熱に浮かされていた。アルコール飲料の営業では、空前のブームを作ったビール『スーパードライ』といかに戦うか悩んだ。一方、ウイスキーは毎年右肩下がりに消費が落ちて行く。スナックなどで他社から乗り換えてもらうことは出来ても、新規に手に取ってもらうのは難しかった。肥土も、ウイスキーの人気のなさに驚いた。『「サントリーなら黙ってても売れる」と言われるわけですよ。実際にはそんなことはない。むしろ1%でも売り上げを伸ばす大変さっていうのを感じた』。

仕事はやりがいがあり、会社に『骨をうずめる』つもりでいた。そんな思いの半面、物作りに携わりたい、という思いも募っていた。ちょうどそんな頃だった。

父が営む『東亜酒造』の経営が芳しくなかった。家業に戻ってきてほしい。そういう声が掛かった。『渡りに船』。6年勤めたサントリーを辞め、父の会社へ。28歳だった。

肥土が求められたのは、しかし、物作りではなかった。前職時代の経験を生かした営業回りだった。手頃な清酒や焼酎を専らとしてきた東亜酒造だが、ウイスキーの製造もしていた。80年代には埼玉県羽生市に蒸留所を設け、大麦麦芽を用いたモルトウイスキーを生産した。だが、期待はすでに霧散し、行き場を失った原酒ばかりが残っていた。

『クセが強くて売れない』。社員をして、そう言わしめた。仕方なく、輸入した原酒と混ぜて『武州』ブランドによる売り物としていた。



■■<圧倒される『まちなかサッカースタジアム』>広島市中心部に完成していくサッカー専用スタジアムを見るたびに圧倒される。外観は大きい箱のよう。屋根が高い。スタンドはかなりの傾斜だ。とにかく目立つ。来春の開幕後に証明がつけば、もっときれいで映えるだろう。いよいよ、できるんだと実感している。

私がサンフレッチェ広島に携わり始めたのは1998年、その頃からクラブ内には専用スタジアムの構想は会た。図面を作製し、内々に建築場所を調査したこともあった。とにかく専用スタジアムがほしいという思いだった。

今回は広島市や広島県、経済界など、多くの協力を得た。きっかけは2012年9月に始まったスタジアムの建設を求める署名運動だったように思う。この年はサンフレが開幕からJ1で首位争いを演じており、『ここでチャンスを逃したら次はない』と声が上がった。

多くのサポーターに協力を求める以上、署名活動をやるなら徹底的に、そして、選手にもお願いしようと鳴った。一度だけではなく、何度も、選手たちはシーズン中の練習後、毎月のように広島市中心部に立ち、署名への活動を訴えてくれた。

各選手がスタジアムに強い思いを持っていることは知っていた。ただ、その熱意は想像を上回っていた。当時、リーダシップを取ってくれたのが、現日本代表の森保一監督や、佐藤寿人、青山敏弘、森崎和幸、浩司の各選手。彼らは秘めていたスタジアムへの思いを前面に出してくれた。

署名は、チーム成績と連動したように機運も高まり、J1初優勝を決めた11月24日の直前に20万人に到達した。選手もまた多くの人に背中を後押しされたのだろう、37万人もの署名になった。

建築地の策定で紆余曲折はあったが、最高の場所にスタジアムはできる。全国のどこを見ても、あれほどの立地にそびえ立つ、『まちなかスタジアム』はない。感謝しかない。そして、あのスタジアムをどう生かすか、見守っていきたい。(本谷裕一筆)



◆美辞麗句で、サカスタ礼賛だ。が、この熱烈な礼賛の裏に、『2019年9月の37万人の署名活動から、完成までになぜ14年もの年月がかかったのか。なぜか、責任者出てこい』、の声が聞こえる。松井一実君、聞こえるか、その大きな、また大勢の人の声が。本当に困った市長ではある、な。そして、どれだけ本谷さんらが苦労したことか。本当にサンフレ関係者の皆さん、ご苦労様でしたといいたいねえ。久保会長も含めて。

本谷さんは、久保エディオン社長の側近で、サンフレ会長からの命で2007年12月に社長に就任。2012年12月の退任まで、都合5年ほど社長を務めた。サンフレはその甲斐あって、本谷社長の最終年、2012年に初優勝し、以後13年、15年と優勝した。


■■<マツダ新ブランドメッセージ『心よ走れ』>広島の自動車メーカ―マツダは、11月1日付で『ブランド体験推進本部』を新設。車の運転を楽しみ、前向きに生きる姿を描く新ブランドメッセージ『心よ走れ』を発表した。カーライフをイメージしてもらえるよう、会員サイトでオーナーの声を紹介。車やモータースポーツの楽しさを伝えるための新会社を設立する予定だ。

11月4、5日に岡山国際サーキットで特別協賛する『マツダファンフェスタ』が開かれた。前年より1,000人多い5,406人が来場。ロードスターのパーティレースをはじめ、サーキット・トライアル、参加型燃費耐久レース『マツ耐』、RX-8のワンメイク走行会などに大歓声が上がり、多いに手応えを得たという。ラジコンやバーチャルレース体験などで子供が楽しめる催しもそろえ、家族を巻き込んだ。

毛籠社長は『ファンやロードスターオーナーが各地で参加型の各種イベントを主催してくれ、ありがたい。こうしたマツダへの応援は魅力的な車の開発で応えるほかなく、身が引き締まる。「移動体験の感動」生むことが至上命令。ファンフェスタのような場を提供することでリアルな体験のとりこにしていく』。

21年11月に『マツダ・スピリット・レーシング』を結成し、国内屈指のレース『スーパー耐久・S耐』に参戦。eスポーツやアマチュアからもS耐㎡出場出来る選手の育成をもくろむ

来年1月に4代目ロードスターの改良モデルを発売。斉藤茂樹主査は『過去最高の仕上がり』と胸を張る。ロータリーエンジンを発電機に使うPHVにも話題が集まった。トークイベントに登場した上藤和佳子主査はキャンプで調理器具に給電出来るなど、暮らしに使いやすい点を強調した。

ユーザーのカーライフ充実を主眼とした情報発信に力を入れる。値上げにもかかわらず販売台数を伸ばし、価値訴求戦略が当たった。毛籠社長にとって初年度の中間決算は売上高、利益ともに過去最高。好スタートを切った。



◆昨今のマツダで、一番強烈なアピールポイントは何といっても『MAZDA ICON SP』っだ。次世代のマツダをけん引するような、とてもアグレッシブなスポーツカーではあるな。是非世界中でヒットさせて、カーファンを吸引してほしいものだ。来年度は、売上高が5兆円を超す規模になるだろう。広島の経済を引っ張るマツダには頑張ってもらわなければならない。カープ、サンフレのためにも!

 
■■<2017年に最高勝率に輝いた薮田、通算368登板の三上らの去就が未決定>11月も下旬となり、今オフに戦力外となった選手たちの新天地も続々と決まっている。一方、実績は十分ながらもここまで発表のない大物もいる。投手だけで見ても、2017年に最高勝率のタイトルを獲得し、広島のリーグ優勝に貢献した薮田和樹投手らが決まっていない。ここでは主な投手たちを見ていきたい。

薮田は2017年に38試合に登板し、15勝3敗、防御率2.58、勝率.833の好成績を残した。しかし、その後の6年間でわずか6勝にとどまり、今オフに戦力外通告を受けた。プロ10年で通算368試合に登板した三上朋也投手は、2年連続の戦力外。昨オフは1月に巨人と育成契約を結んだが、来季はどうなるのだろうか。

日本ハム戦力外の井口和朋投手は、プロ8年で通算217試合に登板。今季は開幕1軍だったものの5試合の登板にとどまった。2軍では38試合に登板して4勝3敗2セーブ、防御率4.14の成績でまだ29歳と若い。阪神戦力外の小林慶祐投手は今季ウエスタン・リーグのセーブ王に輝いたが、1軍では1登板にとどまった。

日本ハム戦力外の立野和明投手も、2軍では好成績を残している。31試合の登板して4勝4敗、防御率2.67。1軍ではわずか4登板で防御率6.00だったが、まだ25歳と育成契約に動く球団があってもおかしくはない。2019年ドラフト2位で巨人入りし、期待された太田龍投手はプロ4年で1軍登板なく復活を目指す。



◆理由は簡単だね。将来的期待感が低いのだね。だからどの球団、どの地方リーグ球団も声をかけないんだね。だけんど、薮田はなんであんな線香花火で終わったのだ
うか。理由と原因がありそうだがな。やっぱ、練習嫌いだったのかなあ、残念。

■■<日本協会・田嶋会長『価格をどんどん吊り上げようとされたのは事実』 シリア戦の放映権について言及>日本は2026年W杯アジア2次予選第2戦で5-0でシリアに勝利。この試合は日本国内では地上波中継、ネット配信ともに行われないという異例の事態となった。それについて試合を現地で視察していた日本協会の田嶋幸三会長は『放送できなかったのはすごく申し訳ないという気持ち』としつつも、改めて『日本に対する放送権の価格をどんどん吊り上げようとされてたっていうのは事実』と説明した。

シリアが内戦状態にあったため、中立地で行われたが、この試合の放送権はシリア協会にあり、日本側はそれを買う立場だった。20日にはジッダ市内で行われた試合前日の会見の会場に、試合の放送権に関わっているというアラブ首長国連邦の代理店PRO社のCEO、ユセフを名乗る人物が登場。中継が決まらない要因とされていた値段の高騰については『そこに問題はなかった』と主張していた。

最終的には放映権の値段をシリア側が下げてきたということは田嶋会長も把握している。それでも、日本のテレビ局では事前に番組編成が決まっていることや、ストリーミングサービス、サーバーの確保など準備にも時間がかかることから、『2日前に決まることなんで日本じゃありえない』と話した。



今後も来年3月に北朝鮮、6月にミャンマーと敵地での試合がある。『決して逆に叩いて叩いて値段を下げようなんてことじゃない。やっぱりテレビ局さんなりにいろんな計算があったり、師手もとだ』と語る。

 

◆法外な放映権料の吊り上げに断固とした対応をした日本勢に拍手だねえ。2次予選で、しかも相当実力差のある試合故、それほどファンの関心も強くなかった。結果5-0だもんな。放映されず、放映権料が入らなかったシリアにバンザイ、だ。