今日の画像は『奥穂高への道439ザイテングラード・岩支尾根を登る』、カープに入団が決定した『秋山翔吾』。そして、広島縮景園の赤と白の『ハナモモ』、さらに光に輝く赤い『キクモモ』です。モモの花が素晴らしく満開ですねえ。

 











































■■■家庭経済が困難だったため、中卒で就職し、結婚した夫とともに運送会社を起業。引っ越しニーズに対応した運送屋として成長し、今や日本全国引っ越しの『アートコーポレーション』が活躍する。中卒という肩書で、関西経済同友会代表幹事、関西経済連副会長などを歴任。政府の諮問委員会の委員にも就く。学歴が世の中に通用するのは、卒業後就職をする時期だけで、世に出れば、本人が持った努力と実力が社会で評価されるという、まことに疑うことが出来ない来歴の『寺田千代乃さん』ではある。

■■売り上げ目標を下げようと言う意見が多い中で300億円の目標を掲げた際、私は『目標は手を伸ばしてつかもうとするもので、最初からつかめる所まで下げたものを目標とは言わないと思う』と話した。その時は言わなかったがもう1つ理由があった。ここで目標を下げたら、実績がもっと下がっていくのではという恐れを感じていたのだ。

売り上げが落ちた時の支店長会議では『他社との価格競争が激しくなっている』など、予算未達の理由をうまく説明する支店長が多かった。逆に会社への注文が多く出た。もっとCMを増やし、宣伝を強化してほしい、などだ。

300億円の目標を掲げた時の支店長会議では特に注文が付かなかった。反発ではなく危機意識が広がったように感じた。全員で動こうという意思を全社員が共有するため、『take action』というスローガンを作った。動き出す、行動に移る、立ち上がる、といった意味だ。

役員らと営業担当者とのペア営業には思わぬ収穫があった。週末の土日を1カ月間、計8日一緒に回ることで様々な話ができ、立場を超えて距離が縮まった。組織が大きくなると、部署や年齢が違う者同士が話す機会はなかなかない。その後、研修で社に来た社員が土産持参で役員にあいさつに来たり、頑張って成績を挙げた社員に役員がねぎらいの電話を掛けるといった関係が生まれた。

社内の風通し、雰囲気をよくするのは大切だが、精神論だけでもいけない。この時、売り上げや仕事の評価が高い支店の社員に利益を還元する制度を作った。もともと成果を重視する賃金体系にはしていたが、少し形骸化していた。業績を上げている支店に報いる仕組みを作りたかった。

社員にとっては収益が上がったら出る臨時ボーナスである。利益に応じて支店に支給される総額が決まる。支店長の額は会社が決め、社員への支給は支店長に任せた。利益還元金は無味乾燥ではないものにしたいと思い、支店長から社員に現金で渡して家に持って帰ってもらうようにした。

よい仕事を評価するグリーンカードも導入した。以前は決められたルールを守らない時に注意を喚起するイエローカード、レッドカードを作っていたが、寺田と相談し、加点もする仕組みに変えた。

『全員現場』で私や役員が全国の現場に出向くことについて、支店長からは『社員は抜き打ち検査を受けているように感じるかも知れません』という声も上がっていた。警告カードだけを持って見回っていたらそう思われるかも知れないが、そうではない。実際、全国を回ってみると、現場の社員は喜んでくれた。お客様に感想を伺うと、お褒めの言葉をいただくことも多かった。その対象は私や役員ではなく社員である。いい仕事をしている社員へのささやかなねぎらいとして、テレホンカードを渡した。今はクオカードになっている。

1994年10月から95年9月の期の売り上げは306億円になった。やれば出来るという達成感を皆で共有出来たと思う。原点に帰るため、95年10月、本社機能を大阪ビジネスパークから創業の地、大東市に戻した。

走り続けてばかりでは駄目だと気付いた80年代に『反省と挑戦』を掲げて業務を見直したことがある。常に忘れないよう、本社の入り口近くにこの言葉の書を掲げている。


■■<ウクライナ残酷な物語Ⅴ 『アメリカが援助する訳』>ウクライナとは、一体どんな歴史を持った国なのだろうか。ウクライナで大使を務めた黒川裕次さんが語る。

◆ロシア帝国下では、ウクライナは『小ロシア』、ウクライナ人は『小ロシア人』と呼ばれた。まさしくロシアの辺境地帯との位置づけられてしまったのだ。

19世紀末から20世紀にかけて、『小ロシア』の貧しい農民達が、ロシア帝国の東へ大挙して移住した。1914年には、ロシア極東地方にはロシア人の2倍に当たる200万人のウクライナ人が定住していたほどで、今もこの地方の住民にはウクライナ人特有の『~エンコ』で終わる姓が多い。

移住から1世紀以上が過ぎた今では、移住者の子孫の多くは自らをウクライナ人ではなく、ロシア人だと思っているようだ。この地方出身の元フィギュアスケート選手、エフゲニー・ブルシェンコがロシアへの愛国心を示す言動を繰り返しているが、彼のルーツもウクライナの可能性がある。

逆に、ウクライナにも多くのロシア人が流入しており、何世代も経たことによって、身も心もウクライナ国民になっているパターンがある。『~コフ』『~ロフ』で終わる姓はロシア系が多いようだ。そういう人が、ロシアと戦っているウクライナ兵の中にもいるわけだ。

同じ時代、オーストリアの支配下に入っていた西ウクライナの農民達は、米国とカナダへ移民として多数渡った。21世紀になった頃には、米国には150万人、カナダには100万人のウクライナ系住民がいると言われていた。

今回の戦争ではまだはっきりと分からないが、クリミア併合の時など、ウクライナ系米国人が現地入りしては様々な援助を行っていたものだ。米国としての対外援助も、私が知る限り、ウクライナへの援助額はトップクラスだった。米国が何かにつけウクライナを支援する背景には、ウクライナ系米国人の影響力もあるのではないかと推測する。

なお、他にも新大陸へ渡った移民として、ウクライナ系ユダヤ人がいる。現在の大統領であるゼレンスキーもユダヤ系であるが、ウクライナがポーランドとリトアニアの支配下にあった時代、ユダヤ人優遇策があり、多くのユダヤ人が流入したのだ。19世紀末には、ウクライナの都市人口の過半数はユダヤ人だったほどだ。

ところが20世紀にかけてユダヤ人への暴行や略奪が起き、新大陸へ移住する人が続出した。彼らの子孫が、現在のユダヤ系米国人の核になっている。ホテルチェーン『ハイアットホテルズアンドリゾーツ』のオーナーであるブリッカー族も、そうした移民の子孫だ。(元ウクライナ大使・黒川裕次)

◆ウクライナから、これほど多くの人達がアメリカやカナダに移住していのか。知らなかったねえ。イタリアやアイルランドなどからの移民は多かったとよく聞くがねえ。ウクライナからとは、すごい。


■■<『強権』対『民主主義』 『正義』支える 経済・軍事の『力』>ロシアのウクライナ進攻は実に多くのことを気付かせてくれた。一方的な武力行使をためらわない大国が今もある現実、希望的観測や過度の理想論の危うさ、自国を守る気概の重要さなどだ。そして『正義』が持つ力とその限界を改めて考える機会にもなった。問題のポイントや教訓は何だろうか。

◆アテネとミロス  『もし世界の秩序が「力こそ正義」に基づき、「強者は持てる力を行使し、弱者はそれを甘受するしかない」としたら、小国の安全と存続は根本から揺らぐ』。

ロシアの進攻からまもない2月末、シンガポールの外相はこう述べ、米欧に続いて対露制裁に踏み切る方針を表明した。アジアの小国としては異例の決断だった。

プーチン大統領の世界観を思わせる『強者は・・・』のくだりは古代ギリシャの歴史家ツキジデスが著した『戦史』から引いている。紀元前5世紀のペロポネソス戦争で、強者アテネは中立を掲げるエーゲ海のミロス島に服従を迫った。引用したその部分はその際のアテネ側の言葉だ。ミロス側は正義を訴え、譲歩を望む。だが、最後はアテネの強大な武力に屈する。

ウクライナ危機はこの故事と重なる部分がある。そして、古代ギリシャから続く様々な問いを改めて私達に投げかける。『力こそ正義』は現代の世界でもまかり通るのか。そもそも何が『力』たりうるのか。逆に『正義こそ力』も成り立つのだろうか。

◆国連非難決議  こうした問題を考える手掛かりになればと、国連緊急特別総会で3月2日に採択された『ロシア非難決議』を改めて分析してみた。

国連加盟193カ国の投票結果をグループ分けし、各国の『自由度』との関連を調べた。『自由度』は米国の民間活動団体『フリーダムハウス』の報告書のデータを使った。政治的な権利や市民活動の自由を100点満点で採点し、『自由な国』』『自由が一部制限されている国』『自由でない国』に分類している。

ちなみに日本は96点の『自由な国』、ロシア(侵略前)は19点、中国は9点、北朝鮮は3点の『自由でない国としている。

投票結果の賛成141カ国の人口は合計で世界全体の43%に留まっている。一方、中国とインドを含む棄権35カ国の人口は51%に上っている。賛成国のうち本格的な制裁に踏み切ったのも20カ国程度にすぎない。ブラジルやエジプトなど、決議に賛成していても具体的な行動は起こさず、中立的な立場を維持している国の方がずっと多い。

背景には国ごとの様々な事情がある。軍事や資源を通じたロシアとの関係が重要な国もあれば、遠くの戦争より食料価格の上昇を心配する国もあるだろう。どの国も国益を冷徹に計算している。

そして、『正義』を実現するには『経済』と『軍事』の力が欠かせない。この点は今回の危機から学ぶ最大の教訓だろう。もし国際社会が避難決議による道義的な責任追及だけ、すなわち『力なき正義』だけに止まっていたら、ロシア軍の制圧地域ははるかに広がっていたはずだ。

G7主導の軍事援助は徹底抗戦するウクライナ軍を支えている。強力な経済制裁も『武器』の役割を果たしている。ウクライナはプーチン流の『力こそ正義』が通用しないことを示せるかどうかの試金石になる。

ただ、それは簡単ではない。制裁と軍事支援を主導するG7は世界のGDPの46%、軍事費の53%を占める。ロシアはわずか2~3%だ。これほど差があるのに戦闘は膠着状態が続く。米欧が対立の激化を怖れて直接的な介入を控えているためだが、このことは大国が現状変更を既成事実にすると、元に戻るのは極めて難しくなることを示す。ここでの教訓は早めに手を打つことの重要性だろう。

さらには、米国の死活的な役割だ。米国は世界の中で依然として経済と軍事で圧倒的な力を維持している。制裁や軍事支援でも先頭に立ってきた。

注意すべきなのは『正義』の押し付けだろう。バイデン大統領は世界を『民主主義』対『専制国家』という二分法で捉えがちだ。『白か黒か』で迫ると多くの国を遠ざけかねない。世界の中で『自由な国は計82か国で全体のわずか42%』。『自由が一部制限されている国』まで巻き込まないと過半数は取れない。

世界には様々な『正義』がある。『侵略は許さず』など誰もが認める『正義』に絞り、仲間を増やす。そんな現実的な対応も必要だ。

◆最大のリスク  ウクライナの戦況や米欧とロシアの対立について、短期的な見通しを語るのは難しい。一方、長期的な流れは明らかだと思う。

ロシアの国力は相対的な衰退が続いている。米国との差は旧ソ連時代から大きく広がった。制裁で経済は一段と落ち込むかも知れない。英誌エコノミストは『ロシアは今だ超大国でありたいと切望する中規模国家』と指摘する。ただ、核戦力だけは米国と並ぶ超大国の地位を保っている。国力の低下に反比例して核への依存は高まり、弱さ故の怖さを持つ存在であり続けるかも知れない。

一方、ロシアと並ぶ強権国家の中国は誰もが知る通り、民主陣営の最大の競争相手になる。経済や軍事では米国を追い上げる。『正義』と『力』の問題を考える時に厄介なのは、グローバル化の時代の相互依存関係だ。中国を最大の貿易相手国とする国は民主主義国を含め60カ国以上に上る。

仮に中国が東アジアでロシアと同様の暴挙に出たとして、米欧や日本はどこまで厳しい制裁に踏み切れるだろうか。

最後に米国に触れれば、今後も『正義』に基づく国際秩序を支える要になる。その一方で、最大のリスク要因ともいえる。米国はG7の中で最も国内の分断が進んでいる。『正義』よりも『実利』というトランプ的な指導者が再び現れ、世界を主導する役割を降りる可能性は否定出来ない。相対的な地位の低下が進む日本を含む先進国にとって、米国を中心とした結束の維持を図ることは最大の課題になる。(読売)

◆少し難しい、難解な内容だが、これからの世界を見通すものとしてなかなかのものだ。単に『正義』だけと唱えても、国際紛争では効果が乏しいという指摘だ。ロシアのウクライナ進攻が世界の国々に問いかける『正義』とは何か、が今求められている。それにしても、世界の中で『自由な国は計82か国で全体のわずか42%』、とは驚きであり、その現実にとまどうばかりだ。日本のような自由な社会のようでない国が、58%も占め、人口割合で言えば相当な高い割合がでこの種の国の人民が占めてしまうのだ。現実は厳しい、なあ。


■■<法隆寺で『CF、1億円超』コロナで拝観者減り、境内整備費募る>世界遺産・法隆寺(奈良県斑鳩町)が、境内の植木の手入れなどの費用をクラウドファンディング(CF)で募ったところ、開始から9日目の23日で、目標額の5倍の1億円を突破した。用意していた返礼品の一部が不足する展開となり、法隆寺はCFのウェブサイトに、『予想をはるかに超えたご支援をいただいた。感謝に堪えない』などとするコメントを載せた。

寺社がCFで資金を募るケースは増えているが、文化財の修復などを目的としたものが中心で、日常経費を求めるのは異例だ。

今回のCFは、コロナ下で、収入の柱の拝観料が減ったことが背景にある。2019年度に約65万人だった拝観者数は20年度は約20万人、21年度は約35万人に減った。檀家のいない法隆寺にとって、拝観料の減少の影響は大きいという。

支出を抑えるため、大規模な建物の修理費(年間約5千万円)、文化財指定を受けていない彫刻や絵画の修理費(同1400万円)を一時的にカットし、草刈りや樹木の剪定などの境内整備費(同約2千万円)を4割近く減らしたという。だが、拝観者の目につきにくいところでは樹木が伸び放題になるなどしていた。

◆この話は、CFを始めた直後に聞いたねえ。確か目標の2千万円を、たった1日でクリアしたって。本当に、聖徳太子のご利益に違いないだったねえ。まさに日本人、日本社会だ。


■■<『米大学生、2年で1割減』、学費高騰、コロナ追い打ち>米国の大学生の減少が加速している。全米学生クリアリングハウス研究センターNSCRCによると2022年春学期の大学生数(院生除く)は、前年比4.7%減の1,334万人だった。新型コロナ禍前の20年春比では139万人減で1割も少なくなった。米国では大学に対する価値観が大きく変わりつつある。

近年は学費の高騰が進んでおり、経済的負担の重さから大学進学を考え直す若者も増えていた。こうした『大学離れ』の傾向に追い打ちをかけたのがコロナ禍だ。学部生数は、非営利団体のNSCRCがリポートでデータの公開を始めた16年以降、6年連続で減少が続くが、とりわけ過去2年間の減り方は急だ。

22年春学期は『準学士号取得プログラム』(2年生大学など)が前年比で8.3%減り、落ち込みが目立った。『学士号取得プログラム』(主に4年制大学)も2.7%減った。大学院生を含めた学生総数でも1,592万人と4%減少した。

米国では公立2年生大学は『コミュニティーカレッジ』と呼ばれ、低所得層の若者などに進学の選択肢を提供している。2年制大学の米業界団体、キャリア技術教育協会ACTEでは『直近では雇用市場が好調なためk、進学せずに仕事を見つけるケースが多いのではないか』と分析する。

米労働省によると、高卒のフルタイム従業員の全米平均賃金は22年1~3月に週827ドル(11万円)と20年前から6割上昇した。高卒者の賃金水準は18年時点の2年生大学の卒業者を上回る。低所得者の割合が多い黒人や中南米系では、多くの家庭がコロナ禍で働き手を失うなど経済的な打撃を受けた。調査団体によると、高校生2万8千人に聞いたところ、22年卒業予定の学生のうちコロナ前後で『卒業後の進路計画を変更した』と応えたのは黒人、中南米系がともに30%超で、白人の24%を上回った。

4年生大学も明暗が分かれている。『競争率の高い名門校は今も応募が殺到している』と語る。有名校は豊富な資金を持ち、奨学金プロググラムも手厚い。一方で、私立・公立を問わず『中堅以下の大学は学生減少の影響を最も大きく受けている』と見る。

非営利団体カレッジボードの調べででは、00年から20年までに米大学の学費は私立の4年生大学で平均56%上昇し、公立4年制でも倍増した。いずれも米国の物価上昇率を大きく上回るペースだ。各大学は生徒集めに教授陣や施設の充実を競い合い、急速に増す運営コストを学費に転嫁する動きが広がる。

ミシガン州で働きながらコミュニティーカレッジに通う20代後半の女性は『遠隔授業のプログラムなどを調べたが、学費が高すぎるので4年生への転入をあきらめた』と言う。

焦点は新入生が増えるかどうかだ。米国では秋学期が年度の初めに当たり、新入生の多くは9月に入学。21年秋学期kの新入生の数は20年秋学期から0.4%増とほぼ横ばいに止まった。学生数減少は一段と深刻になる。

◆一言で言えば、『何のために大学に行くか』だ。それをはっきり自覚していないと、大学は出たけれどとなる。特に私立の3隆地方大学など、就職に際しての難関は厳しい。東京、大阪の大手企業などへの就職は難しく、いきおい地元の中小企業への就職となる。就職のために大学に行くなら、これは失敗の巻である。さらには、IT関連では大学に行くより、独学、実務で修練する方がメリットがあるケースが多い。人生の選択の岐路に立って、若者がどう決断するか、人生がかかっている。


■■<『堅パン』創業時の伝統守る 香川・善通寺『熊岡菓子店』>1896年(明29)創業の味を守る――。戦時中の非常食として開発した『堅パン』の原材料や作り方を変えず、提供し続ける香川県善通寺市の『熊岡菓子店』だ。家族経営故に生産量には限りがあるが、3代目の熊岡民子(88)は今も店頭に立つ。歯が欠けるほどに堅い堅パンを全国のファンが買い求め、午前中のうちに完売になることもある。

堅パンの歴史は日清戦争まで遡り、初代店主が日本軍から軍用食の開発を打診されたことがきっかけだ。軍の要望である『軽く、日持ちし、腹持ちが良い』に応え、当時は『兵隊パン』と呼ばれた製品を作り上げた。その名称を変えたのが、今も販売が続く『堅パン』となる。

材料は小麦粉と砂糖意外は非公開だ。小麦粉と砂糖を混ぜ合わせ、伸ばして切って焼いて乾燥させる。創業後に変化が加わったのは、レンガの釜から電気に道具が変わったことぐらいだ。

香川県観音寺市が出身の熊岡民子は、お見合い結婚後に夫婦で3代目の店主となった。親族のみ知る秘伝のレシピは代々受け継がれ、今は4代目、5代目の夫婦店主とともに店をl切り盛りする。

熊岡は初代店主を『優しかったが、仕事には厳しい。良い品を作るとの使命に燃えていた』と振り返る。熊岡は米や麦を生産して学校などに提供する商売を営む実家で育ち、『商売人としてお客さんに喜んでほしい』との思いが強い。

店頭では5種類のパンを扱っている。最も堅い『石パン』の見た目は茶色い小石のようで、100g当たり200円の量り売りで提供している。このほかに四角形の『角パン』(1枚30円)や円形の『小丸パン』(同20円)などに加え、他の製造者から仕入れる芋けんぴやえびせんべいなども販売する。

砂糖などの原材料の値上げが続いているが、『儲けは重視しない。いつまでもおいしいと食べてほしい』との思いから安価な価格での提供を続ける。

店は弘法大師空海の生誕地として知られる『総本山善通寺』に隣接しており、四国遍路で善通寺を訪れた人々が足を運ぶ。新型コロナの影響で客足が途絶えた時期もあったが、SNSなどで話題となり、中四国だけでなく全国のファンが訪れる。晴れている週末などには行列ができ、売り切れとなる商品もある。

味や製法だけでなく建物も100年以上の歴史を誇る。レトロな雰囲気が漂う外観に『カタパン名物本家』ののれんが掛けられている。変化の激しい時代の中で、変わらぬことを大切にしてきた熊岡菓子店。今後もその変わらぬ価値を代々引き継いでいくつもりだ。

◆時代は変わり、善通寺市の名物菓子から、全国の名物菓子に成長したんだねえ。まさに『商いとは、飽きない』とよく言われる不断の努力が必要なんだねえ。

 

■■<秋山 広島入り決断激白 響いた『カープの大きな財産になる』> 古巣の西武に復帰すれば、慣れ親しんだ首脳陣、チームメートがいる。球場を含め、かつての日常があるだけに一番スムーズに適応できたはずだ。また、ソフトバンクの条件面は最も上だったと想像できる。9年間在籍したパ・リーグで対戦経験のある投手も多く、結果を出すための苦労は少なかったはずだ。

しかし、選んだのは“アドバンテージ”がないセ・リーグのカープ。メジャーへ移籍した際も、かつて日本人が在籍したことがないレッズを選択した。4月にはレッズのマイナー行きを選択せず、メジャー復帰の可能性が少しでも高い米他球団移籍を求めた。そして今回も自らを成長させる場を選んだのだろう。

年俸だけを見れば他球団が上回っていたに違いないが、重視したのは金銭ではなかった。今回、代理人に任せず自ら交渉の場についたことからも、受けた熱意こそが決断の要因。誠実な人柄で、野球人として、人間として、常に新たな挑戦を求める秋山らしい決断だ。プロ12年目で初のセ・リーグの舞台を選んだ理由、今後への思いなどをスポニチ本紙に語った。 

 
――帰国から6日。シーズン中ということもあり、決断は早かったが、新天地を決めた今の率直な思いは?  
『シーズンが進む中で、オファーをもらった3球団には、それぞれ感謝しています』

――環境が大きく変わるが、決め手は?  
『西日本に住むのもセ・リーグという環境も初めて。米国という知らない場所に飛び込んでいった時のような、新しいことを知りたいという思いがある。それが、カープというチームにお世話になりたいと思う一つの要因になりました』

――交渉の席での言葉が大きかったか?  
『鈴木(清明球団本部長)さんからの“来てもらえれば カープの大きな財産になる”という言葉は響きました。それと“2000安打まで、あと五百何本だったよね”と言っていただいた。自分が2000本への思いを持っていることをフロントの方が認識してくれていたのが、ありがたかったし、うれしかった』

――契約は3年ということだが。  
『長くプレーしたいという気持ちがあり、欲しい条項の一つだった。それと、普段FA戦線などにも参戦しないカープがオファーを出してくださったことも大きかったですね』

――カープのイメージは?  
『地元に熱いファンがいて、球場が真っ赤に染まるイメージ。アツ(会沢)、キク(菊池涼)、(田中)広輔と、侍ジャパンで一緒に戦った年の近い野手陣がいる。チームが勝つためのワンプレーに対して“今のは凄いよかった”と共有できるようなメンバーだと思う。客観的に見て、いい雰囲気だなと思っていました』

――メジャーでは結果が出せなかったが。 
『昨年のケガ(両太腿裏の張り)は自分が起こしてしまった。不本意だし、悔しいけど、それを招いているのは全て自分。結果が出なかったのも、その時の力だと思っています』

――3年ぶりの日本でのプレーになる。  
『もう一度、試合に出るために挑戦する。“こういう選手なんです”と改めて理解してもらえる準備をしていく。選手として、人間として認めてもらい、打席に立ったときに期待してもらえるかどうか。そんなに簡単なことではないと思うので、自分がどれだけできるのかという期待感、ワクワク感があります』

◇秋山 翔吾1988年(昭63)4月16日生まれ、神奈川県横須賀市出身の34歳。横浜創学館から八戸大を経て10年ドラフト3位で西武入団。15年にプロ野球記録のシーズン216安打を記録するなど最多安打4度、17年に首位打者に輝いた。20年に海外FA権を行使してレッズへ移籍し日本人初の同球団所属選手に。通算成績は日本が1207試合で打率.301、116本塁打、513打点。メジャーでは142試合で打率.224、0本塁打、21打点。1メートル82、83キロ。右投げ左打ち。

◆カープがFAを含めて、交換トレード以外で選手を獲得することはまずまれだ。それを今回、秋山に対して執念を見せたのは、やはり鈴木誠也の抜けた穴の大きさが試合結果に表れているということだろうと思うねえ。一応Aクラスに位置するカープではあるが、下位との差は僅差。いつBクラス、最下位に転落してもおかしくない状態だからねえ。カープのガッツを感じるねえ。